試行錯誤

 実技2日目、ついにフォークリフトの本領とも言える「荷吊り」の練習が始まった。

 これまではとにかく白線を踏まぬように前後進するだけだった。が、今度は右左折の先に用意された架台上の荷物を持ち上げ、安全に運び、さらに右左折を繰り返した先にある別の架台に載せ、また無事に帰ってくるというミッションだ。ちょっと何言ってるのか分からない。

 しかもこれがそのまま最終日(明日)の実技試験の内容とのことで、先程もまたフェンスの足を踏み割ったばかりの私には荷が重すぎて(ダブルミーニング)、私は深々と溜息を吐いた。

「だーいぶ白線踏まなくなったじゃん」

 二日酔いくんのフォローにもはや苦い顔しかできないでいると、彼は見かねたように「ほら見てみな」と次順のギャルの操縦を指差した。

「ギャル子の手元だけ見てろ、角に差し掛かったけどハンドルはまだ動いてない……ほら、この辺から切り始めても全然間に合う」

 言われてみれば確かに、ギャルはフォークの爪先が角から出きってからハンドルを回している。乗用車で例えるなら、交差点を曲がるときに信号機の真下でハンドルを切り始めるようなものである。

「フォークが前方の障害物に当たることを警戒しすぎて早く曲がると、さっきみたいに真横のフェンスに当たんの。後輪駆動だからちょっと遅いくらいの方がいーよ」

 感心しきりの私に、彼はさらに次順の国鉄くんの運転でも、右左折するたびに曲がり方のコツを教えてくれた。

「そう、曲がり始める前から少し遠くに目線を――え、これ時間ぴったり終わるんじゃ」

 壁の時計と最後の角を曲がり帰ってくる車体とを交互に見る。確かに彼の言う通り、あと10秒ちょっとで終礼時刻だ。

 もう指導そっちのけで立ち上がり、私達は国鉄くんの運転に釘付けになった。

 3……2……1……心の中のカウント0と、車体が完全停止する瞬間が重なり、小気味よくチャイムが鳴り響いて、一同は称賛に沸いた。

「すげえさすがJR! 定刻通りだ!」

 遅延なしで駐車場ホームに戻ってきた国鉄くんは嬉しそうに会釈した。

 これで無免許運転じゃないというから驚きだ。皆の走行を見て覚えたようである。写輪眼でも標準装備してんのか。

 ほっとした顔で自分の席に戻ってきた国鉄くんに、二日酔いくんとギャルが絡む。

「やっぱすげーな、元の頭が俺らとは違う。なあ、JRってどうやったら入れんの?」

「勉強? 計算とかいっぱいできたらOK?」

「その質問が馬鹿っぽいからもう無理だよ……」

「無理かー。ちっとは学校で勉強しとくんだったな」

「いやもう俺らが勉強したところで間に合わねえだろ。格だよ。人としての格。見ろよこの背筋の良さ。同じパイプ椅子だぞ」

 2人の雑絡みに国鉄くんは終始恐縮しきりで微笑んだが、隣でいぶし銀さんは豪快に笑った。

「ははは、しかし帰りの指差し確認忘れてただろう。好タイムだったが惜しかったな! -30点!」

「そんなあ」

「ここはトラック屋の俺が見本を見せてやるしかないな! とくと見るがいい!」

 いぶし銀さんはそう豪語して煙草を吸いに行った。


 が、流石というかなんというか、結果は案の定だった。

 いぶし銀さんは乗り込むや否やシフトレバー(サイドブレーキ)を下ろし忘れてエンジンを鬼吹かししたり、荷物を架台にぶつけたりとイージーミスを重ねた。一体どうしたというのか。

「あ、あれはもしかして……!」

「おっさん……緊張してんじゃねえか……!?」

 よく見なくてもわかる。いぶし銀さんは目を見開き、しっかりと歯を食いしばって乗車していた。緊張に弱すぎか。

「ったく、穴が開くみてえに皆見るんだからよ、ちょっと焦ったじゃねえか」

 帰ってきたいぶし銀さんは恥ずかしそうにはにかんでいた。


 しかし他人のミスを笑っている場合ではない。二日酔いくんの指導のお陰で多少走りがマシになったものの、荷吊りが壊滅的に駄目だった。

 荷物にフォークを刺す、架台にぶつける、真っ直ぐに置けないの三重苦が新たに私を苦しめる。

 しょんぼりして戻ってくると、再び二日酔いくんが声をかけてきた。

「荷を真っ直ぐに置けねえのは、直前の右折で車体が斜めに入ってきてるから。ハンドル切りすぎて、曲がった後にタイヤ戻そうとして左右に揺れちゃってるから、あれじゃ荷が危ない」

 ぐうの音も出ない。

「パレット上の荷物見てみ。てっぺんに吊る用の輪っかがあるだろ」

 言われてみれば、確かに箱型の荷物に釣鐘のような小さな金輪が付いている。

「あれがパレットの中心だ。リフト乗ってるとパレットの中心線は見えない。見えるのは荷物の頭だけだからあの輪っかを目印にする。カーブ曲がった終わり際に架台見て、架台の中心線に輪っかが重なるように車体を動かしてみ」

 確かに荷物の中心を見る余裕は無かった。カーブを曲がる時の私の視線はほぼ常に前輪に向いている。進みながらフェンスにぶつけないか細心の注意を払っているからだ。

「カーブは前輪が当たってないのを最初に確認したら、もうタイヤは見なくていい。見るのは積荷と着地点だけ。さっきもきれいに曲がれてたんだから、今の感覚を覚えとけばぶつかることは絶対ねえ」

 次に順番が回ってきて言われた通りに走ると、驚くほどスムーズな荷運びが実現した。今までどこかにぶつけるたびに走ってきていた教官が、ずっと座って見ていられるレベルである。

「俺の言った通りだったろ」

 直後の休憩で、自販機前で二日酔いくんは得意げに笑った。

「すごいです、教えてもらったことが的確で」

「まあ前の職場ではリフトの指導役だったからな」

 指導役が免許を失くすな。そう思ったが見違えるようになったのは確かに彼の指導の賜物であることには間違いない。素直に感謝すべきだろう。

「本当にあり――」

 丁重に感謝を述べようとしていた私には目もくれず、彼は薄い財布を開き、落ち窪んだ眼を剥いて驚愕していた。

「さっ……30円しか入ってない……」

 自販機で何も買えないやつだ。この灼熱の練習場で、水一滴も飲めないのは死に値する。

「タバコ買えねえよ……クソ……」

 そっちかよ。この絶妙に尊敬しきれない感じが彼の魅力……なのかもしれない。

 私は黙って水を買って渡した。

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