ドレスコードは作業服で
初回走行は、まあ、うん。
大方の予想通り惨憺たる結果に終わった。
3つのコーンと2枚のフェンスがフォークになぎ倒されたり後輪に踏まれたりして犠牲になり、私は教官の熱いご指導を頂戴する羽目になった。なんかもう教官も最後の方は溜息を吐いていた。頼むから匙を投げないでくれ。
何がどう難しいのかを挙げるとしたら、乗用車とのハンドル操作の違いが大きいだろう。
フォークリフトのハンドルは乗用車と同じく円形だが、両手で掴んで操作しない。9時の方向にツマミが付いており、左手で掴み回転させて操縦するのだ。これを右手で操作すると減点対象になる。生まれながらのサウスポーならともかく、右利きの私にはなかなかこの動作が慣れない。
おまけに後輪駆動のため、ハンドルを切ると車体のお尻がぐるりと回る。狭い倉庫でも小回りが利くように作られているのだが、前輪駆動である乗用車の感覚でいるとそれが仇となって思った以上に曲がり、フォークで前方の障害物をなぎ倒すことになる。ひとつ倒すごとに他の受講者が目を伏せるのが分かって居た堪れない。
では皆同じように苦戦しているかと言うと、残念ながらそうではない。
参加している私以外の4名の受講者は、特に大きなミスなく乗れていた。精々白線を踏んだり、コーンの端を掠ったりとかそんなレベルである。乗っているのは本当に私のと同じ車だろうか。もしかしたら私はフォークリフトが義務教育でない世界線から来てしまった場違いな人間なのかもしれない。
やはり散々だった2巡目のT字路走行を終えて、午前の小休憩に入った。隣を見れば、2巡目も安定の走りを見せた二日酔いくんが鼾をかいて寝ていた。
怠惰と王者の貫禄を天秤にかけて、やや怠惰が勝るその肩を揺らす。「休憩入ったら起こして」とお願いされていたからだった。
「ふが……ご飯?」
「お昼はまだです」
「ああ……ヤニ休憩ね」
深い隈の顔を両手で揉みしだきながら、ツナギの彼は喫煙所の方へふらふらと消えていった。
その姿を目で追って小さく息を吐くと、隣から声がかかる。
「あ、ねーねー文川さんて、こっちの仕事の人? じゃないスよね?」
振り向くと金髪のギャルが立っていた。バッチバチのネイルは眩しいが、デニムのツナギの着こなしは熟練している。多分彼女は彼女の言うこっちの仕事の人――工場・製造業に従事する者なのだろう。
そちらの業界とは縁もゆかりもない所から来てしまった一抹の申し訳なさを感じつつ、私はヘルメットを取って首を横に振る。
「じゃないですね」
「ちょっと待って当てるんで……えーっとあの……図書館の人!」
「違いますね」
司書のことか。確かに私の見た目はひょろひょろモヤシ系OLな上にひとりだけTシャツチノパンだから、ツナギの皆に囲まれた中ではかなり浮いている。異業種が混じっているとなれば、話しかけたくもなるのだろう。
「あたしは倉庫、そっちのオジサンは運送でー、ねえねえこの人、何の仕事だと思う?」
ギャルは長い爪ですぐ隣の作業服の男性を指差した。服に汚れひとつなく清潔感溢れる彼の、ヘルメットにあったロゴを見て私はあっと声を上げる。
「……JR?」
「そう! めっちゃレアじゃない!?」
「どうも、レアです」
30代くらいだろうか、JRのお兄さんの純朴さと賢さを兼ね備えたような穏やかな笑みに、嫌味のない余裕さを感じる。さすが大企業。
国鉄くんと呼ぶことにした彼はギャルの興味の的となったようで、その後も根掘り葉掘り仕事について聞かれていた。
「はっはっは! それにしても現場系でもないのにリフト取りに来るとは、若いのに感心なこった!」
運送業のオジサン、とギャルに紹介されていた男性がそう私を労った。50代くらいだろうか、刈り込んだ頭と黒く日焼けした肌の彼は、マグロ漁船にでも乗ってそうな豪快さを醸し出している。ちょっとだけ若い頃の渡哲也に似ているので、いぶし銀さんと呼ぶことにした。
いぶし銀さんは受講者の走行順では最後に走るが、初回走行ではいくつかの安全確認を忘れていたくらいで、走行自体に大きな危なっかしさは見受けられなかった。運送業と言われて納得だ。
「まあトラックもリフトも車にゃ変わらねえからな! 運転に関しちゃこっちのもんよ」
仁王立ちで豪快に笑う背後に大漁旗がはためくのが見える気がした。
そこへ煙草休憩から帰ってきた二日酔いくんが、すっかり休憩前より打ち解けた場に「何の話?」と入ってきた。相変わらず国鉄くんを掴まえたままのギャルはねえ聞いて、と二日酔いくんに手招きする。
「この人、JRだってよ。すごくない?」
すると瞬時に隈に囲まれた瞳が好奇に輝いた。
「国鉄とかすげえ貰ってんだろ。年収聞いてみようぜ年収」
「それかボーナス」
脊髄反射で収入を聞くんじゃない。
「うーん、期待を挫くようで申し訳ないんですけど、意外とそうでもないですよ。一番高い時でこれくらい」
国鉄くんの指が控えめに立てられる。あんたも素直に答えなくて良い。
「……どこも大変なんだな」
「ねー」
二日酔いくんとギャルは口々にそう言って国鉄くんの肩を叩いた。
しかしよくもまあフォークリフト免許取得という共通の目標の下、こんなに職種も年代もバラッバラな人間が集まったものだ。滅多にないガテン系限定の異業種交流会に、私も身を乗り出した。
「あの、もう始めても良いかな……」
個性派揃いの話の輪からそっちのけにされていた教官の寂しそうな呟きは、賑やかな喧騒と工場扇の羽音に掻き消されていった。
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