第7話  魔女、誤算と後悔に苛まれる

 目を開けると、そこに広がっていたのは闇。

 朝だと思って起きたら、そこには豪華なベットも、部屋も調度品もない、ただの暗闇だった。


「こ、ここは……」

「その声は、ユリか」

「セリル様!」


 私は、王宮の一室に留め置かれ、部屋を与えられて寝ていたはずだった。


 セリル様を陥落しろと命じられ、あの手この手をつかい、あのシルヴィ公爵令嬢との婚約を破談させた。

 そこまでは計画通りだった。


 彼女への想いを私への想いにすり替えさせる魔法を使い、全てうまくいっていたはずなのに。


 (おかしいわ、ここでは魔法も使えない)


 声を頼りにセリル様を探そうとするけど、見つからない。

 指先に炎を灯しそうとしてみたけど、魔法が発動しない。


 (そもそもここは何処なのよ!)


 焦りに支配される。


 王子妃になれば贅沢三昧に暮らせる――そう思ったから、あの男の口車に乗ったのに!


「おや、これは奇妙な2人が」


 突然声がして、銀髪の長い髪をした絶世の美青年が目の前に現れた。


 その美しさに心を鷲掴みにされた。


 深い海の底のような青い目は私を捉えると、にこりと口角を上げる。

 その所作でさえも、美して。


 もうセリル様のことなんて、どうでも良いと思えるほど。

 私は心を持っていかれた。


「た、助けて下さい!」

 私の叫びに、絶世の青年は興味を持ったのか、こちらに近づいてきた。


「レディを置いとくような、野暮な事はしないよ」


 青年がそう言うと、空間が歪み、ある部屋のような所へ一気に景色が変わった。


 (す、凄い魔法だわ!)


 美貌もさることながら、この青年はかなりの魔法の使い手であると感じる。


 (私は幸運だわ!)


「――連れの男性は隣の部屋へお連れしましたよ。レディ、お名前を聞いても?」

「ゆ、ユリですわ!」

「そう、ユリというのですね」


 青年はにこりと笑い、そこにある椅子に腰掛けた。

 茶器が宙を舞い、お茶が目の前の机に出された。

 途端に香しい匂いがして、私は急速に空腹を覚えた。


「こ、ここは何処ですの?」

「――普段は私と、旧知の知り合いしか寄りつかない場所、とでも言っておきましょうか」


 そう言うと、青年は流れるような動作でお茶に口をつける。

 それさえも美して。

 私の頬は真っ赤に染まった。


「お一人なのですか?」

「ええ、まあ」


 なんという幸運。

 こんな美しい男性が1人で暮らしているなんて!


「あ、あの、わたしくをそばに置いて下さい!」

「――お連れの男性はよろしいのですか?」


 青年はそう言うと、隣の部屋に視線をやる。


 (彼がいるのなら、セリル様なんてどうでも良いわ!)


「彼は単なる知り合いで、共に巻き込まれただけなのです!」

「――ほう」


 青年の目が、ギラリと光った気がした。

 温度を感じさせない、青い目が私を捉える。


「将来を誓った仲だったのでは?」

「そ、そんな事はないですわ!」

「そうですか。だけど彼から貴女の魔力の波動が……」

「そんなもの――もうありませんわ」


 私はにっこり微笑むと、セリル様にかけていた魔法を解いた。

 中々かからなかった彼への干渉は、何度にも重ねがけしたことによって、ようやく効果を発揮した。

 これだけ複雑化した呪術を解けるのは、かけた私以外にはいないだろう。

 無理矢理解けば、彼の精神が崩壊する。


 (私の優秀さを思い知れば、この方も!)


 青年はにこりと見惚れるような笑みを浮かべると、立ち上がった。


「あの、どちらへ」

「お腹が減ってるでしょう。食事をお持ちしましょう」

 それだけ言うと、青年は部屋から出て行った。


 私は溜息をつき、部屋を見渡す。


 (この部屋、まるでお姫様の部屋みたいだわ)


 ピカピカに磨かれた調度品の数々。

 天蓋付きのベット。

 灯りを灯す燭台。

 どれもをとっても、平民だった私には取り揃えることなどできそうにない一級品だ。


 (美して、お金持ちなんて、私はなんとついてるの!)


 セリル様が霞んでしまうほどの美貌と所作。

 どれをとっても、私が選ぶのは先程の青年だ。


 窓から見える暗闇が気になるけど、昼になって辺りを見て回れば、此処がどこかわかるはず。

 伊達に長生きはしていない。


 見た目は、少女のような清らかな姿ではあるけど、本当は50年以上は生きている魔女だ。


 (あの青年を貶す事なんて、簡単なはずよ)


 この姿と魔法さえあれば、どんな事でも成し遂げれる。


「ふふ」


 この時までは、私はそう考えていたのだった。


 


 食事は魔法によって届けられた。

 飢えることなんてない。

 お風呂もトイレも、部屋から続きにあり、生活には困らない。


 いつの間にか消えた隣のセリル様の気配も、気にはならなかったはずだった。


 あれから3日経っても、1週間経っても。

 私は部屋から出ることは叶わない。


 青年も姿を見せない。


 この部屋にただ1人きり、だ。


 (気が狂いそう!)


 こんなに誰とも会わないなんて、何かがおかしい。

 外はいつまでも暗闇で、時間の感覚がわからない。


 ただ時を刻む音だけが、時間が流れていることを実感させる。


 どれくらい時が経ったのだろう。

 ふと、鏡の中の自分と目があった。


「きゃあああ!」


 映し出されるのは、皺だらけの老婆の姿。


 魔女はその魔力故に、歳を取るのが遅い。

 だから50年以上生きていても、あの可愛らしい姿だったはずた。


 なのに鏡の中の自分は、年老いた老婆の姿で。


 (こんなのおかしい!)


 私は必死に扉を叩く。


「出して!ここから出して!」


 叫んでも叫んでも。

 返ってくる応えはない。


 (扉が駄目なら、窓からでも!)


 そう思い大きな窓を開けて、外を見た。


「きゃあああ!」


 目に映るのは異形の者。

 手や口や目が、あちこちにある。

 大勢が私を見ていた。


 (何、ここ……)

 

 荒れ果てた土地。

 木々は荒れ、枝だけになっているものばかり。

 土は赤黒く、植物が生えている気配はない。


 後ろに下がろうと、あるはずの窓を掴もうとする。

 だけど感触がなく、振り返ってみれば、そこにはもう何もなかった。

 同じように、赤黒い土が見えているだけ。


「――おや、外へ出てしまいましたか」

 

 暗闇だと思っていた空には、月が浮かんでいる。

 その月をバックに、あの青年は立っていた。

 いや正確には、宙に浮いていた。


「どういうことよ!」


 今までの怒りが込み上げで、思いっきり私は怒鳴った。

 だから気づかなかったのだ。

 声さえもしゃがれてしまっていたことに。


「おおっと、これはすごい剣幕だ。全身に魔力を滾らせて……なるほど、これが人の感情の渦ですか」


 青年は感情を感じさせないはずの青い目は楽しそうに、口元は弧を描いている。


「貴方!何者よ!」

「――こんなことなら、もっと早く箱庭から出せばよかったかな。いや、でも反撃されてもなあ」


 ぶつぶつ呟く彼は、何かを思いついたように手を叩く。


「そうか。まだそんなに魔力が残ってるなら、もう一度箱庭へ……」

「何言ってるのよ!元のところへ返しなさいよ!」

「――何言ってるの?」


 彼は面白そうな物を見るような目で、私を見ている。


「ああ、ユリは何も知らないんだね。普通は生きた人間はここには来れないんだよ。そんなことが出来るのは神だけだよ。我がご主人さまだけ」

「なんですって?それじゃあ、此処は……」

「冥府だよ。普通は魂の状態しか来ないからねぇ。生身の人間なんて、僕、久しぶりに興奮しちゃったよ」


 青年は無邪気に笑うと、私を見定めた。

 まるで実験動物でも見るような、冷めた目で。


「あの箱庭で、少しずつ魔力を削がせてもらったからね。それに時は残酷だね。どんどん衰えていく様を見るのも、楽しかったよ」

「何を、言っているの……?」


 私の理解の範疇を超えた発言に、私はただ声を振るわすことしか出来ない。


「ああ、人の暮らす世界とは、時の流れが違うからね。君が箱にいた時間は、人間の住む世界でいうと、ざっと20年くらいかな?」

「20年ですって?!」


 魔女の寿命は、普通の人間よりも長い。

 だから若い姿を保っていられた。

 だけど、今は――。


「君は、どれだけご主人様を怒らせたんだろうね」

「怒らせた……?」


 思い当たる人物は1人しか浮かばない。

 セリル様と婚約していた、あの令嬢?


「それに、君。他にも色々とやらかしてるみたいだね。拐かすの、初めてではなかったでしょ?」

「それは――」


 私はこの若く美しい見た目を維持するために、他の国の貴族や王族にも手を出したことがある。

 彼らは愚かで、私は甘い汁を吸うだけ吸って、次へと移っていった。


「そ、それは男達が愚かで――」

「愚かねぇ」


 青年はその言葉の後に、くすくす笑っている。


 (そう言えば、冥府の神って――)


「お金!出すわ!」


 (滅多に姿を現さないけど、お金を積めば、何でも願いを叶えてくれるって、噂になっていたわ!)


 どこかの王子が王になったとか、極貧だったのにお金持ちになったとか、風の噂で聞いたことがあった。

 お金さえ積めば、なんでも言うことを聞いてくれる――私は希望の光が見えたと思った。


「くっくっくっ――無理じゃないかな?だって、君、彼を怒らせたんだよ?」

 馬鹿にするように青年は笑うと、温度を感じさせない目で私を捉えた。


「そんな事言うなんて――興味失せちゃった。じゃあ2度と会えないと思うけど、頑張って」

 青年はそう言うと、空間から消えた。


「ちょっと!待ちなさいよ!」


 ねちょり――そんな音で振り返れば、あらゆるところに目がついた大きな魔物がいた。

 彼がこちらに進むごとに、音がする。


「い、いやよ……来ないで!」

 次の瞬間、魔物は大きく口を開け、私を飲み込んでいった。


 (あの王子に手を出さなければ……)


 私という意識が無くなる瞬間、そう思ったのだった――。

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