第5話 シルヴィ、執事の溺愛を知る?

 ぎしっとベットの軋む音がして、シアの顔が間近にあった。


「あー、お嬢、どんだけ無理してんの。顔が青白い」


 (ち、近いわよ!シア!)


 おでことおでこがくっつくような距離感で、シアは私を見つめている。


「あー、次は真っ赤になった。照れてんの?お嬢、可愛い」

 そう言うと流れるような仕草で、私の額に生暖かいものがふれた。


 それがシアの唇だと自覚すると、私はさらに顔を真っ赤になった。


「な、何を、いきなり……」

「いきなりじゃねーよ。額にキスなんて、今まで何100、何1000回したと思ってんの?」

「はい?」


 聞き捨てならない台詞を今聞いた気がする。

 だけど、私はされた記憶なんてない。

 つまり私が寝ている間に、そうしていたという事だろう。


「な、なっ!?」

「あー、でももう遠慮しなくて良いということだよな?お嬢」

 そう言いながら、私の頬を指先でなぞる。


 触り方はとても優しくて。

 壊れ物を扱うように丁寧で。


 (シア、指も綺麗よね。ひんやりしてて心地良いし)


 心地良くて。

 ずっとこうして欲しくて。


「もう!まったく、そんな煽るような目で見んな!」


 シアは乱暴に立ち上がると、私に背を向けた。

 よく見ると、耳の後ろも真っ赤だ。


 (あれ、照れてる。なんだか可愛い)


 この屋敷で、同じように育ってきて。

 こんな触れ合い方は初めてだけど。

 私が年頃になった頃から、シアは執事としてしか接してくれなくなった。


 (婚約者がいたのだから、当たり前なんだけど。もう破棄しちゃったけど)


 そういえばさっき、国王様はシアの事を『ルシア様』って、様付けで呼んでいたことが、気になった。


「ねえ、シア。さっき国王様がルシア様って……」


 私が全部言い終わる前に、シアはかばっとこちらを振り向いた。

 驚いた目で私を見つめ、そして冷ややかな視線に変わった。


「悪いお嬢様だな。盗み聞きした?」

「盗み聞きっていうか、サロンの前まで声、聞こえてきてたから……」


 私がそう言うと、「あの馬鹿……」と呟いて、シアは溜息をついた。


「お嬢。お嬢は俺の事、どう思ってる?」

「はい?何で今その質問……」

「大事な事なんだ」


 シアの真摯な視線に、私はたじろぐ。

 だけど、今嘘をいうつもりもない。


「た、頼りにしてるし、信頼してるわ」

「それは執事として、だろ?」


 そう言われれば、否定は出来ない。

 私がこくりと頷くと、シアは深い溜息をついた。


「その話、これ以上深く話したら後戻り出来ないし、俺たちの関係は変わる。それでもお嬢は聞きたい?その覚悟ある?」


 私とシアの関係が変わる?

 今までのように、ずっと側にいてくれなくなるという事?


 (シアがいなくなる――そんなの嫌よ)


 自分が考えていたより、衝撃が大きい。

 そんな事、考えたことがなかったから。


 当たり前のように側にいて。

 当たり前のように迎えてくれて。

 セリル殿下と結婚したって、王家までついてきてくれるって勝手に思ってた。


 (話した事はなかったけど……あの過保護な父が、私1人王宮みたいな魔鏡に行かせるとは思えなかったから)


 それだけ頼りにしていて、いつでも自分の味方で。

 そんな彼の存在が自分の中で大きかったのだと、自覚する。


「シア、いなくなるの?」

 ぽろっと、頬に流れ落ちるものを感じた。

 なんで涙が出るのかは、わからない。


 でもシアがいなくなるなんて、悲しくて。

 胸が張り裂けそうに痛くて。

 そんなの嫌だって、子供のように駄々をこねている自分がいて。


「うあ!何泣いてるんだよ!!」

 シアは動揺するように狼狽えてから、溜息をついて。

 私を優しく抱きしめた。


「――俺の全部を受け止めて?そしたら全て話すから」

「――勝手にいなくならない?」

「ならないから。ああ、もう泣くな!」


 ポロポロと流れ落ちる涙が止まらない。

 どうしてこんな気持ちになるのか。

 彼がいなくなると考えるだけで、頭の中が真っ白になって。


 (この気持ちとは何?セリル殿下の時はもっと……)


 ぽかぽかした陽だまりの中にいるような心地良さで。

 何となく相手の事を大事に思っていて。


 でもシアの事を考える時は、違う。

 自分の中でこんなにも荒れ狂う感情があったのかと、思ってしまう。


 (こんな激情知らない……)


 なんで?

 いつから?


 彼は、私が5歳の頃から、側にいて。

 


 さっと脳裏を横切るのは、大粒の雨が降りしきる中、5歳くらいの男の子が血みどろで傷ついた姿。

『貴方を、誰も助けられないなら、こんな能力いらないわ!』



 この声知ってる。

 私だ。

 男の子は誰?

 おずおずと顔を上げた――。



「お嬢!」

 シアの声に、はっと現実に返ってきた気がする。


 (あの光景は何?)


 夢にしては、なんだか現実的で。


 (私は喪服姿だったわ……)


 お母様の葬儀。

 5歳の頃なら、きっとそうだ。


 頭がズキズキ痛む。


 (何これ、私の記憶?)


 でも覚えてない。

 あんな少年見た記憶がない。

 

 でも、漆黒の瞳も、髪も。

 私は知ってる。


「お嬢、悪い」

「えっ」

 

 そう返事するのがやっとで。

 温かいものが唇に触れた。

 唇をこじあけられ、温かい何がが身体を駆け巡る。

 

 それだけで、荒ぶっていた心が落ち着いてくるのが分かった。

 しばらくそうしていただろうか。

 私は力が抜けて、シアの身体に寄りかかる。


「寝ろ。後で起こしに行くから」

 ぶっきらぼうな口調なのに、私を扱う彼の手は優しくて。


「うん……」

 私は凄く眠くて。

 ズキズキ痛んだ頭の事も。

 何も考えられないほど。


 ゆっくりと目を閉じる。


「お嬢は、俺が冥府の神だと言ったら、どうする?」


 優しい手の動き。

 口を開けようとしたけど、迫り来る睡魔には勝てなくて。


 そのまま吸い込まれるように、眠りに落ちていった――。

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