第3話 シルヴィ、執事に迫れられる

 翌朝。

 目元には冷たいタオルがかけられた。


 いつもより、遅めの朝。

 ひとしきり泣いた後、そのまま疲れて寝てしまったようだ。

 いつのまにか、訪問用のドレスから寝衣に着替えさせられていた。


 (うちの侍女達は優秀だわ)


 私は目元のタオルを取り起き上がると、シアが椅子に座って本を読んでいた。


「お嬢、起きた?」


 こくりと頷くと、水差しからコップ水を入れ手渡された。

 一気に飲み干し、空のグラスをまたシアへ手渡した。


「お風呂の準備、出来てるから」

 シアはそう言い部屋から出ると、入れ違いに私付きの侍女達が入ってきた。


 そのまま促され、部屋の隣の湯殿へ。

 しっかり洗われ、マッサージされ。


 家用の緩いシルエットのワンピースに着替えさせられ、鏡の前へ座れば、いつもと変わらない私だ。


 (でも、もう婚約者はいないのよね)


 今から婚活するにも、目ぼしい男性は既に結婚しているか、婚約者がいる人ばかりだ。

 特に高位貴族ほど、婚約は早い。


 (私も、セリル殿下の婚約者になったのは4歳の頃だもの)


 昨日は何となく、国外旅行なんて思っていたけど、婚約者探しの旅といえば、父も文句はないだろう。


 (我ながらいい考えだわ)


 見聞を広めるために、旅先でのロマンス――。

 まるで物語のようだ。


「何、間抜け面してるの?お嬢」

 いつのまにか侍女はいなくなり、溜息をついたシアが部屋にいた。


「先の事を考えてたのよ。ほら、私ったら王子妃教育とかで、領地にも頻繁に帰れなかったでしょ?国外旅行してみたいなって考えてたのよ」

「旅行?」

「ええ、どうせこの国にはめぼしい男性は残ってないでしょうからね。探す幅を広げようと」


 私の言葉に、シアは大きく目を見開いて、そして声を上げて笑い出した。


「な、なによ」

「いやー、お嬢らしく前向きだなって。そこがまた良い」


 そう言うと、シアは私の頬を指で撫でた。


 そんなスキンシップ取られた事ない私は、慌ててシアの指を避けるように立ち上がった。


「なっ!」

 頬が熱い。

 きっと真っ赤になって、シアを睨んでも、なんの脅しにもなっていないだろう。


「そんなウブな反応してたら、悪い男に引っかかるよ?お嬢」

 対象的にシアは余裕ある感じで。

 でも意地悪そうに笑う、その漆黒の目は真剣で。


 シアから目が離せない。


「ねえ、お嬢。俺もお嬢の候補のリストに入れてくれない?」


 逆らう事なんて許されない。

 そんな風に聞こえるのは、私の気のせいか。


 じりじりと近づいてくるシアから目が離せないでいると、彼の顔が目の前にあった。

 ゆっくり近づいてくる顔。

 私は思わず目を瞑った。


 コンコンッ。


 扉をノックする音に、現実に引き戻されたような感覚がして、シアの身体を思いっきり押しのけた。


「はい!」

 私が元気よく返事をすると、シアは顔を顰めて、ちっと舌打ちをした。


「お嬢様、シアがそちらにいますか?」

「あ、はい!います!」

 扉の外から、アガリアの声がして。


「失礼しますよ――おや、取り込み中でしたか?」


 私達の妙な空気感に、何かを感じたのだろうか。

 アガリアは、目を細めてこちらを見ている。


「な、何もないわ――シアに用事かしら」

 努めて冷静に返せたと思う。


「――ええ、まあ。シア、少し良いですか?」

 アガリアの問いに、シアはあからさまに嫌な顔をしたけど。

 そのままついて、部屋を出て行った。


 (な、何なの……あれ)


 2人の姿が見えなくなると同時に、私はへなへなと床に座り込んだ。


 (あんな大人の色香、知らない)


 胸のドキドキがおさまらない。


 今までのシアは、私とそんなに変わらない年頃で。

 同じように成長して。

 誰よりも長く、彼といたはずだ。


 なのに今の顔は……。


 (全然知らない人のようだったわ……)


 それに金縛りにあったように動けなくなった。

 まるで、あの漆黒の瞳に魅入られたように。


 (危険、だわ……)


 得体の知れない感情の渦に飲み込まれるみたいで。

 私の知らない何か。


 (だけど、もう手遅れなのかもしれないけど……)


 避けるしかない。

 その日を境に、私はシアを避けるようになった。



 ******



 ズキズキと頭が痛くて。

 昨日も今日も、すこぶる身体が重い。


 それでも、屋敷が騒ついていて。

 私は仕方なくベットから起き上がる。


 机の上のベルを鳴らして、侍女を呼び、着替える。


「お嬢様、シアが来てますが――」

「部屋には入れないで」


 私がそう言うと、私付きの侍女は部屋を出てすぐに戻ってくる。


「お嬢様、シアからこちらの薬を、と」


 侍女から受け取ると、それは私が常に飲んでいる頭痛薬だった。


 (何よ。あんな事しそうになって、今更執事顔するつもり?)


 私は手渡された水を飲み、薬を飲み干した。

 するといつもならすんなり効いてくれているはずなのに、効きが悪い。


 横になりたいと思うが、屋敷のばたつきが気になってくる。


「ねえ、今日誰か来るの?」

「それが――国王様が来ると先触れが……。先日まではずっと使者の方だったのですが……」

「国王様が?」


 (臣下の家にわざわざ、先触れまで出して。何の用だというのだろうか)


 国王様が来るという言葉に、私は嫌な予感しかしなかった。


 (まさか、婚約解消の話ではないでしょうね)


 そんな事を考えていたら、門周囲が騒がしくなり、豪華な場所が2台、敷地内の馬車留に入ってきた。

 私は自室のベランダから、その光景を覗いてる。


 1台の場所から、憔悴しきった国王様と侍者、そしてもう1台の場所からは大きな箱が2つ。


「何、あれ……?」

 私の目には大きな箱が目に止まる。


「……恐らく金貨か紙幣ではないでしょうか?」

「何でうちに?」


 侍女の言葉に溜息をつくと、自分が慰謝料を請求していた事を思い出した。


 (あれが婚約解消の慰謝料?いや、ちょっと大袈裟すぎない?)


「――お父様に会いに?」

「いえ、それが――そのシアに会いたいと」

「はあ?!」


 あいつはまたどんな存外な事を言い出して、こんな事になっているのか。


「――私も行くわ」

「か、畏まりました!」


 私の言葉に、侍女は家着用ではない簡素なワンピースを手に、慌ただしく準備を始めたのだった。

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