第6話 ドーナツ

 手を振るぬいぐるみ達に見送られて馬車は道を引き返した。

「あ、ニンバス!」

 馬車がハーストの屋敷につこうとしていた時、御者が嫌そうな声を上げた。

流石に彼ほどの暴君ともなれば悪名も轟いているのかもしれない。

「あれは昨日の……ポチくん、あの人です」

 窓からニンバスを認めた幸は対面のポチくんに訴える。

「ほへ」

 寝ぼけている。口元によだれが垂れておりますよ騎士様。


 なんとかポチくんを起こして、御者には入口から少し距離を取って馬車を停めて貰った。

「ニンバスー?ああ、アリアンデルですね」

 あくびを噛み殺しながらポチくんは呟き馬車を飛び降りる。

「本当にひとりで大丈夫?昨日はナイフを見せてきたんだよ?」

「あー、大丈夫です。慣れてますので」

 ポチくんはビビる幸を尻目にさっさと歩み寄ると門に凭れたニンバスに話しかけた。ポチくんが例のメモを取り出し、何言かを話すとニンバスはペコペコと頭を下げる。よく見ると片腕を布で吊っている。昨日のアレで折れてしまったのだろうか。

 幸が近寄るとポチくんは門にとまった小鳥に声をかけていた。今まで気付かなかったが呼び鈴代わりだろう。

 戻ってきたポチくんはやれやれと肩をすくめていた。

「あの人、昨日とは随分違う感じだったけど……」

「彼が態度と口がでかいのはやさしい先輩や弱い立場の者の前だけなんですよ。今日のは落書きを消しに来て休憩してただけみたいですね」

門を見ればなるほど、赤い塗料がかなり剥がれている。

「……なんなんですか、あの人」

「なんですかねぇ。信じられないかもしれませんが根から悪い奴じゃないんですよ。ああ、でも無断での家屋侵入と刃物で脅したのは普通に犯罪なので生家に書簡で警告しておきます。また来たらすぐ先輩に言って通報してください。即牢にぶち込みます」

「う、うん……」


 お屋敷のノッカーを叩くと中から慌てた様子のハーストがドアを開けた。まだ少し目が赤い。

「サチ!だ、大丈夫だったのか?」

「はい、大丈夫でした」

「大丈夫ですよ。先輩」

 ポチくんと目が合い、ハーストは少しだけ頬を赤らめると、咳払いでごまかした。


 ウォーロックのぬいぐるみは残ったお菓子を包んで持たせてくれていた。半分は妖精にあげると良いと言われたので皿に載せて分けると小さな歓声が上がる。幸がいなくなったら妖精たちのお菓子パーティが始まるのだろう。


 厨房にあった例の謎の石板はIHみたいな効果があり、妖精に頼んでポットを載せると温めてくれた。原理は謎だが妙にハイテクだ。

 お菓子を皿に盛って、お茶を淹れて談話室に向かう。貴族のお作法では目の前で淹れるものらしいが、あまり待たせてはポチくんに申し訳ない。幸がノックすると中から返事が返ってきた。

 お茶を出すと、ハーストは自分は食欲が無いから幸も一緒に食べるよう言ってくれた。仮にも使用人だし遠慮すべきだろうが、作法は他の来客の時は気にしてくれればいいと言われ幸は頷いた。

 ポチくんが嬉しそうにお菓子を食べているのをハーストと眺める。騎士団の隊舎では間食が禁止されているそうだ。

 その後はポチくんとハーストが話し込んでいたので幸は先に空いた食器などを片付けに厨房へ戻った。




 翌日、ハーストが休むように言ってくれたので幸は厨房に向かった。

教本片手に黒板と身振り手振りでコミュニケーションを試みると、まだ読み書きが拙いことを理解したのかお料理妖精たちは頑張って絵をかいて意思疎通を図ろうとしてくれた。


 倉庫の材料を見て出来そうな焼きドーナツを作ってみる。ウォーロックの焼き菓子を見てダメ元で聞いてみたが、異世界でベーキングパウダー的なものがあったのはある種のカルチャーショックだった。しかしおかげで色々お菓子が作れそうだ。

 オーブンの温度設定は難しかったが、試行錯誤を何度か繰り返しパンを焼くときの温度より少し下げてもらうことで解決した。入れてからは焦げる前に妖精が止めてくれる親切設定だ。

 待っている間にナッツを炒ったりグレーズ(砂糖がけ)も用意できた。なんとチョコレートのようなお菓子も存在するらしいが今の時期は在庫がないそうだ。

ジャムやはちみつのドーナツと、ハムと香草も出してくれたので食事系ドーナツも並べ、中々豪華なお茶請け皿になった。食器も様々な形状のものが棚にあったのでアフタヌーンティーの様にスタンドに積んでみた。

 少しでもハーストが食べられるといいのだが……。残ったら幸と妖精で食べるとしよう。


 焼きたてのドーナツもいくらか分けると妖精たちはまた嬉しそうに回っていた。

 我ながら慣れない環境で作ったにしては上出来な味だ。牛乳がないので山羊の乳だったり鶏ではなくよくわからない鳥の卵だったりしたが材料の比率と生地の硬さを基準にして問題はなかったようだ。怖いので半熟や生の料理はやめておこう。


 幸は中学1年の頃、弟の啓太にせがまれて初めてドーナツを作ったことを思い出す。

 当時は揚げ油はまだ使わせてもらえなかったので、ホットケーキミックスを使った焼きドーナツを焼いたのだ。

 焦げていたし、少し生焼けだったけれど、あまりにすごい美味しいと褒めるのでそれからも月に数度は料理やおやつを作った。出来立てを食べさせたくて。


 身体が弱いのは弟のせいじゃなかった。

 母は幸がバイトをしなくても学校に通えるようにしてくれていた。

 幸が我慢していられたのは、幸も二人を大切に思っていたからだ。

 母が弟を連れてきたのだって嫌がらせではなく一度くらい応援に来たかったからなのだろう。忙しいのに無理に休みを捻出してまで。

だってあの日は幸の晴れ舞台だったのだから。


 幸はまだ精神的に子供だ。短絡的後悔をしてばかりだ。きっと今後も悔いるばかりの人生だろう。

 でも、もし帰れて、また会えたなら、ちゃんと自分の気持ちを伝えて、酷い事を言ったことを謝って、家族にもこのひと達の話をしたいな、と幸は思った。

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