第5話 トラウマ

 最後に、ハーストは幸を部屋に送ると読み書きを教えると言った。契約書や看板が読めず困ったので素直にありがたい。

「それであの、ハーストさん。妖精さんについてなのですが、もし妖精石を呑み込んでしまった場合ってどうしたらいいんでしょう……?」

「は……」

 みるみるうちにハーストの顔が青ざめていく。

やはりというか、かなり良くない行為らしい。

「えっと、あはは、はは?」

「まさか屋敷妖精に呑まされたのか??クソ、どいつだ!!体調は?腹痛や吐き気は?」

「だ、大丈夫です。あの、それで」

 ハーストが指を鳴らすと彼の手首に青い小鳥がとまる。

 幸は小鳥は何度か見たがこうやって呼び出すのかと変に感心する。

「ポチに連絡を、ウォーロック殿の所に急いで連れていけと。直ぐにだ。」

「あ、体調不良とかは、ないので」

「いいわけがあるか!人格を乗っ取られたり最悪命に係わる場合もある行為だ……いや、まさか…………君は俺の解呪の為に呑んだのか???」

 バレずに聞き出すのは難しいとは思っていたものの爆速でバレてしまった。


 幸がまた怒られるかと身構えつつ恐る恐るハーストの顔色を伺うと、彼は床に座り込み、片手で顔を抑え苦しそうな表情を浮かべていた。

「俺の為に体を張らないでくれ……頼むから……」

 ハーストの瞳から涙がこぼれる。まさか泣いてしまうとは思わず幸は慌てる。

「ごめんなさい……もうしないので……」

 幸がハンカチを渡すとハーストは受け取り目を押さえた。尋常ではない狼狽え方を見るに、家族の死に関係があるのかもしれない。

「は、ハーストさんだってね。禁則を無闇に破っちゃ駄目でしょう?妖精さんだってあなたの…………」

 これは言ってはいけない。彼は幸のために禁則を破ったのだ。幸は口を噤み、まだ泣き続けるハーストの頭を躊躇いがちに撫でた。


 三十分ほどそうしていると廊下から走ってくる足音が聞こえ、髪がはね返ったポチくんがやってきた。

「サチさん……!ウォーロック様には連絡したので参りましょう!僕が……おはこ……」

 幸が困った顔で口の前に人差し指を立てると、ポチくんはハッと我に返り廊下を引き返して行った。


「心配してくれてありがとうございます、行ってきます」

 もう数分して、涙でベチョベチョになったハンカチを膝に降ろしたハーストを見て、幸は今できる笑顔で声をかけ部屋を出た。

 階段の下でポチくんが体育座りしている。

「あ、幸さん。一体何が……」

「お待たせしてごめんなさい。どこかに連れて行ってくれるんでしょう?移動しなから話してもいい?」

「は、はい。馬車を待たせていますので」

「ところでこの服で大丈夫な所かな?着替えた方かいい?」

「ご出身は貴族家ですが形式は気にしない方なので大丈夫だと思います」

 部屋に寄り一応顔を隠すケープを被り幸はポチくんの待つ馬車に向かった。


 ウォーロックの住処は都市外苑の鳥籠館とは反対側に流れる小川の傍にあるらしく、また数時間馬車に揺られる。今日は天気が良く、遠景に大きな城が見えた。

「なるほど……妖精石は相当に強いものでなければ消化してしまえるんですが、幸さんは魔法使いじゃありませんものね」

 馬車の中でポチくんの耳が揺れる。今回はお屋敷からクッションを借りてきたので降りても歩けそうだ。

「あんまり呑み込んだって自覚もなくて……」

「うーん、それは危ないです。体内に取り込むというのは略式契約になる場合があるので、知らない人に出されたものや変なものを食べちゃだめですよ」


 馬車が到着すると、こぢんまりとした建物の前で長い髪を肩口で三つ編みにした中性的な美人がエプロンをかけて花に水をあげていた。耳が長く雰囲気はザ・エルフと言いたくなる。

「ウォーロック様。例の子を連れてきました。お待たせして申し訳ありません」

「ああ、ポチくん。大丈夫だよ。お店に入って」

 店に入るとカラカラとベルが鳴った。

 店内にはトルソーと服が所狭しと並んでいる。ウォーロックは普段は仕立て屋さんをしているらしい。

 幸が頭を下げ挨拶するとウォーロックはテーブルと椅子を運んできて幸達に座るよう促した。

「ごめんね、散らかってて。裏は輪をかけて今人を通せる状況じゃなくてさ……ちょっと待ってて」

 ウォーロックはつまづきながら店の裏手に向かい、お茶のセットと焼き菓子の盛られた皿を持って戻ってきた。ハーブティーだろうか、ハーストの屋敷の物とも少し違う不思議な香りがする。

「小腹がすいたからね。君は……さっちゃんでいいかな?話しながらお茶にしよう。ポチくんも甘いの好きだろう?」

 幸はポチくんの瞳が輝くのを見逃さなかった。


「なるほど……妖精石を呑み込んでしまったと……」

「はふぃ、そふみたいでふ」

 焼き菓子を頬張りながらポチくんが答える。ほっぺをパンパンにしている姿は獅子よりハムスターを思い起こさせる。

 レモンケーキに似た焼き菓子と色とりどりの果実の砂糖漬けやナッツの載ったクッキー、スライスされたパウンドケーキも日本で買えるものに近い気がする。

「妖精が自ら石になったんだね……?」

 ウォーロックは幸に手をかざしていた手を下ろし、首を傾げる。

「はい……私に手を出すように言って……」

「今は妖精の声は聞こえる?」

「いいえ……話しかけても返事も無くて……」

「ならもう死んでしまったかな……」

「え」

「石になるという事はそういう事なんだよ。君の中にある石を砕いても妖精が元に戻ることは無いんだ。力を使い果たしたならそのまま術者の肉体に吸収されるものだけど……、君は魔族じゃなくて唯人みたいだもの。きちんと砕いたほうがいいかもね」

確かにもう元には戻れないと彼女も言っていた。

「ただの人間が魔法使いになるのって、やっぱり難しいんですか?」

「?なりたいのかい……?まぁ……なれなくはないけど魔力機関の生成に結構かかるよ?かなり小さいうちに処置しておかないと容量も大きくならないし。君くらいだと施術は出来なくはないけど満足に術を使うのはちょっと難しいかもしれないよ」

「そう、ですか」

 幸は掌を見つめる。あの時の光は確かに何かを引き出される感覚があった。幸は勿論魔法なんて使ったのはあれが初めてだ。才能。妖精の言葉が引っ掛る。

「だんひょのあへはきにひなくてらいろうぶれす」

「ポチくん、飲み込んでから喋ろう」

 幸は呆れるがウォーロックは嬉しそうだ。

「クス、そんなに美味しいかい?これは私の手作りなんだ。そんなに好評なら菓子屋をやるのも面白いかもね。」

『ヌシ様、納期が迫っていますよ』

 輝くクマのぬいぐるみが店の奥から歩いてきた。妖精が入っているのが幸でもわかる。

「分かっているよ。さて、さっちゃん。妖精石をどうする?砕いておくかい?」

「私は……このままでいいです。もう何も聞こえませんし」

「そうか、大丈夫だと思うけど体調に不安を感じたらまたここにおいで。術医でも良いけどハーストくんの所には皆関わりたがらないだろうから……」

「ハーストさんは……内向的で落ち着いた方ですよね。なんで腫れ物みたいに扱われるんですか?死刑に値するような事をする方にはとても見えなくて……」

「…………彼は」

 ウォーロックは困ったような笑顔を浮かべた。

「彼自身は、何も悪くないと……私も思うよ」

『ヌシ様!!』

「あっ、ちょっと待って、あ、転ぶ!転ぶから、あー」

 輝くぬいぐるみがウォーロックの足を掴みズルズルと音を立てて店の奥に引いていく。修羅場中に来てしまったようだ。

他のぬいぐるみが出てきて頭を下げる。幸もつられて頭を下げた。

「ポチくん、ごめんね。大丈夫だったみたい」

「ふま?」

「食べるのに集中してたかぁ」


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