3 桃花鳥

第1話 嫁取り

 騒動が落着き、数日が過ぎた。

「サチ」

部屋から出たハーストが幸を呼んだ。幸は掃除の手を止めハーストの側に寄る。

「何ですか?」

ハーストは珍しく飾りの沢山ついた服を着て、腰に剣を下げていた。一部編み込んだ髪もよく似合っている。

「ニンバスが謝罪をしに来るらしい。向こうは君にも会いたいと言っている」

「は…………」

ニンバス。

名前を聞いただけで幸の眉根に皺が寄る。

「嫌です……謝罪はいらないので会いたくないです」

「だろうな。だが、もう家の前まで来ているらしい……」

「たのもーう!」

屋敷の正面から太鼓のような大声が響いた。

幸はビクッと目を見張る。

「ほら」

「!?……この声は明らかにニンバスさんじゃないですよね??」

「奴の父親だ。……怖かったら中にいてくれ。俺だけでも用は足りるだろう」

ハーストは敷地を出なければ良いらしく、さっさと屋敷を出て行った。

「え、あ……」


 屋敷の前、と言うより門の前には4頭立ての豪奢で大きな馬車と大男が立っていた。服装は飾り紐の多くついた軍服のようなもので、頭に長い二本角が生えている。確かに角は似ているが、肩幅はアリアンデルの二倍はありそうだった。

「ひゅ」

 幸は扉の後ろで息をのむ。

2mはゆうにありそうな屈強な体躯の小脇に抱えられているのは件のアリアンデル。明らかに先日見た時より傷だらけ、ボロ雑巾のような有様になっている。

「ハルフレイル・ニンバス殿。ご足労頂いたうえで申し訳ないが書簡でも伝えた通り当家としては謝罪は不要だ。侍女もそう言っている」

「そう申さるるな、ロードナイトの。儂らにも体面というものがある」

「……」

「これ、起きんかアリアンデル。お主の蒔いた種だぞ」

アリアンデルから返事は無い。気絶しているようだ。

「……改めて。倅には貴族の在り方を教育し直すつもりだが、その前にロードナイトにハルフレイルとして今一度謝罪しよう。すまなかった」

 ハルフレイルは意識の薄い息子を地面に置き、代わりに片膝をついてハーストに頭を下げた。

「顔を上げられよ、ニンバス殿。謝罪は頂戴した。こちらとしては事を荒立てるつもりはない。アリアンデルが同じことを繰り返さないよう言い含めていただければ構わない」

「心遣い痛み入る。何発か折檻するならば倅を置いていくつもりだが?」

「貴殿の教育方針に口を挟むつもりはないが、俺も屋敷から叩き出すのに倅殿に怪我を負わせたのだ。報復は不要と考える」

「心得た。しかし少し尻を叩いただけでこの様よ。全く学び舎からは逃げ帰り、つくづく軟弱に育ってしまった」

「性根はともかくアリアンデルはそこまで弱くはない。些か暴力的な言動さえどうにかすればいい跡継ぎになるだろう」

「公のような息子ならば儂も安心なのだがな……ままならぬものよ」

「そう申されるな。アリアンデルにも俺より良い所は沢山ある。俺等と比較していじけさせるよりのびのび育ててやってほしい」

「そう言ってやるのは公くらいのものよ……」

 会話が途切れ、二人は地べたに突っ伏すアリアンデルを見下ろす。


「あ、あの……お話し中申し訳ありません」

「サチ、こちらはハルフレイル・ニンバス殿だ」

幸はハーストに教わっていた簡易なお辞儀をしてから箱を見せた。

「せめて……その、手当てを……」


 正確にこの国に画一化された救急箱という概念自体は無かったが、治療道具を見せてもらい幸なりに外傷向けの道具を詰めていた。内服薬は胃薬と痛み止め、解熱剤は教えてもらったが、殆どが生薬な上副反応が怖いので無闇に入れられないなと思う。


 先にハーストとハルフレイル二人に庭先のテーブルセットにお茶を出してから、幸は転がったままのアリアンデルを観る。

先日まで吊っていた腕は繋がっている様子だが、折れていなかったのだろうか。

 とりあえずは茶のついでに沸かした湯で絞った布で生傷だらけの顔や手を拭っていく。屋敷にあった一番強い酒を割って作った消毒液を綿に染み込ませポンポンと傷口に当てていると、染みたのかアリアンデルはくぐもったうめき声をあげた。

 膠やゴムの技術はあまり発達していない様子で湿布や絆創膏は無いので深い傷口には傷に効くと聞いた薬草を潰してペースト状にして貼り、薄い布を巻いて小さなピンで固定した。


「あの娘は医者見習いか何かか?血も恐れぬ様子、肝が据わっておる」

「ただの侍女だ。弟が病弱だったから少し知識に富んでいるだけと聞いている」

「その割には随分手慣れているではないか」

「教育は高等なものを受けていたらしい。事故でここに来てしまったらしく、可能なら返してやりたいと考えている」

「ほう……」


 幸はとにかく早く終わらせようと必死に手を動かしていた。

「なに、……して、いる」

「応急処置です。ニンバスさん、傷だらけですよ」

幸の膝に頭を乗せたまま、アリアンデルはくぐもった声を上げた。

「おやじ、どのに折檻を受けた、だけ、だ」

「そ、そうですか。はい、おしまい」

幸はアリアンデルを膝から降ろし、箱に残った道具を詰め直す。

アリアンデルは珍しいものを見るように処置された手を見つめ、身体を起こした。

「女、名は、何と言ったか」

「……幸……ですけど……」

「さち」

 アリアンデルの目が真っ直ぐ幸を見つめている。気持ち頬も上気している気がした。

 幸は少し後ずさる。

「そう、ですが……」

「良い名だ」

「はぁ……どうも……」

 散々ブスブス言っていた面影は完全に吹き飛んでいた。アリアンデルは距離を詰め、幸の手を両手で取る。

「さち、オレサ……オレの妻になれ」

空気が凍った。

「は?」

「おい」

「なぁにをほざいとるか」

「オレは決めたぞ!ハーストはもうじきいなくなってしまうだろう?オレがお前を娶っ「最っ低っ!!」

 幸は最後まで聞くに耐えず、アリアンデルの頬を力いっぱいビンタした。頬に綺麗に赤い手形が残る。

「信じられない!!やっぱり私あなたの事、すっごく嫌いです!!」

 そして唖然とする三人を置き去りに、幸は救急箱を抱えると走って屋敷に戻ってしまった。

「アリアンデル……。彼女の身柄はオウギ殿の管轄だ。それにそういう事は勝手に決めていいものでも……」

「がはは!!なに、可憐かと思えば存外愉快なお嬢さんではないか!やはり女は多少豪気な位が丁度いい。良い!儂は気に入ったぞ!」

「ハルフレイル殿まで……」

「ただの侍女ならば、公の嫁や妾という訳でも無いのだろう?」

「それは……そうだが……」

「なれば良し!腐った性根を叩き直しに山狩りにでも連れていくつもりであったが、良いぞ!アリアンデル!!女一人口説けず何がニンバスの男児か!!口にしたからにはあの女を嫁に取ってみせるが良い!!」





=========欄外=========

元祖アリアちゃんになる予定だった男

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