第2話 ニンバス
「っ!!放してください!誰ですか!あなた」
「何だハースト坊、生い先短いのに召使を雇ったのか?」
片手で林檎に似た果実を齧りながら屋敷に入ってきたのはフリルの多い服を着てヒールの高い靴を履いた背の高い男だった。腰ほどもある長いメッシュの入った髪を一束の太い三つ編みに編んだ頭には長い2本の角が生えている。お屋敷の扉はどれも大きいが日本のサイズだったらそこかしこに角をぶつけていそうだ。
「何をしに来た。ニンバス」
ハーストは不機嫌そうに部屋から出てきて二階の廊下から襟後ろをつかまれぶらんと吊られた幸と角男を見下ろす。
「なに、殴り収めにサンドバッグに会いに来たのさ」
幸はニンバスを見上げる。鮮やかな碧の瞳はハーストを睨めつけている。
今サンドバッグと言ったろうか?英語は通じないのにカタカナ語がなぜ存在するのだろう。いや、疑問はそれだけではない。ほぼ不自由なく会話が出来ているのがおかしいのだ。言葉の語源もニュアンスも、国ごとに変わるものなのに。
「くだらない。俺は謹慎を命じられている。即刻帰れ」
「何故俺様が木っ端種族の命令に従わねばならない?どうせ死ぬのだ。俺様の役に立って死ね」
ハーストがため息をつき手をかざすと青い小鳥が飛んで行った。きっとポチくんが来るのだろう。
「騎士団を呼んだ。そいつを置いてさっさと帰れ」
「断る。さっさと降りてこい、玉無しの臆病者め」
「貴様がどんなに煽ろうが俺はもう誰とも闘う気はない。良いからかえ……れ……」
ハーストの語気が弱まる。
幸がニンバスの胸倉を掴み、高い音を響かせて頬を平手で打った。
ゆっくりと首を戻しながらニンバスが幸を見る。
「
「いい加減放してください、服が伸びます」
ニンバスは幸を投げるように放った。
「俺様は女だろうがガキだろうが無礼者を許してやるほどお優しくは無い」
「そうですね。あなたは高慢で粗雑で相手の気持ちも考えられない貧しい感性の方ですから端から優しい方とは思っておりません」
「ハースト……、なんだこのブスは?口が悪いぞ??」
「貴様にだけは言われたくないだろう」
ハーストは手すりを乗り越えふわりと1階に飛び降りた。黒い翼が大きく広がり体重を感じさせない軽い動作で音もなく着地する。
「その娘は団長から預かっている。危害を加える気なら俺も義務を果たす必要がある」
「そうかそうか、ならば顔でも刻めば言い訳には十分か?」
ニンバスの手にはいつの間にかナイフが握られていた。
幸は小さく息をのむ。
「させないと言っている。アフラク、アリアンデル・ニンバスは招かれざる客だ。お引き取り頂け」
「おい、馬鹿おまっ」
ハーストがニンバスを指さした瞬間空気が張り詰め、一階の奥の部屋から気配が膨れ上がる。
勝手に屋敷中の扉や窓が開き幸の目の前をバスタブを満たせそうな無数の水が槍のように飛んでいき、ニンバスに被さった。
「ごばっ!やめ!う!」
ニンバスを包んだ水は彼の全身を覆い、持ち上げる。
ハーストは何か数言呟きながら苦しむニンバスを見つめていた。
「は、ハーストさん。彼、死んでしまいませんか?窒息!」
「あの程度で死にはしない」
ついと腕を動かすのに合わせて男を抱き込んだ水の塊はドアから外に飛び出していった。
「……そう、なんですか……」
なにかに水塊がぶつかる水音と同時に背後で重い音が響いた。
幸が振り返るとハーストが床に倒れ伏していた。
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