2 菱食

第1話 姿のない同居人

 問題は多々多々あるものの、もう来てしまったのだ。やるしかない。

幸は荷物を部屋に置き、仕事着に着替えて屋敷を見て回る。メイド服なんて着たのは初めてだがちょっとだけワクワクもした。

 この世界で幸に信頼できる後ろ盾はない。仕事を貰えたのだからやれるだけはやらねば。置いてもらう対価は払わなければいけない。完全な善意というものを幸は信じないことにしていた。

 とはいえプライベートを踏み荒らされるのは不快なのも分かる。とりあえず玄関ホールでできる掃除はないかと幸は道具を探すことにした。

「…………」


 今、幸の眼の前では箒が一人?で動いている。

「……これも魔法……?」

箒の邪魔をしないよう距離を取り観察する。

 昔小学校のレクか何かでこういうアニメを見せられた気がする。

『何してるの?』『何』『何してる』

「ひゃん」

 うなじを舐められるような不快感と声に幸は小さく飛び上がった。

『ひゃんだって』『変なの』『変な鳴き声』

 くすくすと響く小さな笑い声に幸は少しムッとするも文句を飲み込んだ。

「こちらで働く事になりました。何か仕事をさせてください」

『仕事?』『役目?』『妖精じゃないのに?』

「あなた達は妖精なの?」

返事が途切れた。

「……掃除をしたいので道具を貸してもらえませんか?」

 しばらくホールは静まり返ったが、やがてガタガタと音を立てて木製のバケツにはたきと箒が入ったものがよたよたと

 どうやって運ばれてきたのか気になった幸はバケツに近寄るとひょいと持ち上げ裏を見る。

『ひゃー』『ぎゃー』『うわー』

 何か小さな光が羽虫が逃げるように飛び去った。

『なんだこいつ』『とんでもないやつだ』『殺す気か馬鹿ー!』

「こ、殺?」

 妖精たちはどうやら姿を見られることを良しとしないらしい。

「ごめんなさい。私、あなたたちの事をよく知らなくて」

 幸は頭を下げた。

『使用人はいらないよ』『もうお屋敷にはハースト様しかいないもの』『帰りなよ』

「帰り方が分からないの……他に行くところも無いし……」

『あなたも小瓶の精なの』『迷子?』『迷子はよくないね』

「もう、これからはなるべく迷惑をかけないように気を付けるから……教えてくれませんか?」

小さな光が距離を置いて微かに瞬く。本物を見たことはないが蛍のように美しいと幸は思った。

『代わりに瞳をくれる?』

「目……?」

バケツを抱きしめて幸は一歩後ずさる。

『駄目だよ。怒られちゃうよ』『ほんとだ。珍しい瞳だ』『瞳欲しい』

ホールの静謐な雰囲気は霧散していた。気配がいつの間にか増えている。

ある種の熱をこごらせ、無数の気配が、大量の視線が幸に注がれている。

『瞳だ』『瞳をちょうだい』『瞳』

「ご、ごめんね。目は……あげられないの」

『……………』

 しん、と再びホールは静まり返る。

いつの間にか掃除をしていた箒も倒れ、物音ひとつしなくなっていた。

「ごめん……でも、目は……」

 恐怖に後ずさる幸の背が玄関扉に触れる。

次の瞬間扉が外向きに勝手に開いた。

「え」

 妖精達の視線が消え、気配が霧散する。

ほっと息をつく間もなく幸の視界は半回転した。

服の背中を鷲掴みにされ、吊られている。

「わ、え、だ、誰」

「お前こそなんだ?」


 幸を見下ろす男の頭には二本の立派な角が生えていた。

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