カーブミラー

山岸マロニィ

カーブミラー

 愛知県は、交通死亡事故が全国トップという、不名誉な記録を何年も保っています。

 自動車産業が盛んで自動車保有数が多い上、「名古屋走り」「三河ナンバー」という名称にマイナスイメージが付いてしまっているほど。


 私の住む人口数万の小さな町にすら、『交通死亡事故現場』の看板が、そこかしこに立っています。


 これは数年前、市内を車で走っていた時の話。


 専業主婦の私は、買い物で市内を走る程度しか、車の運転をしません。

 そのため、交通量が多くせっかちな幹線道路を避けて、細い生活道路を選んで走る事が多くなります。


 その日も、いつも行くスーパーへ、大きな道を避けて走っていました。

 両側に民家の迫る、センターラインのない道。すれ違う時には片方が路肩に寄せて停車する程度の道です。


 そんな道にも、死亡事故現場はあります。


 三叉路の交差点。

 何年か前、一時停止を怠った車が優先道路へ出る際、歩行者をはねてしまい……。


 今では三叉路の突き当たりに、これでもかと幾つもカーブミラーが設置されています。


 私もそこへ来る度に気を引き締めて、一時停止と左右確認を意識して行うようにしています。

 その日も一時停止をして、正面のカーブミラーに目をやりました。


 すると、右手を向いたミラーに、こちらに来る人影が映っていました。

 そのため、私は歩行者が通り過ぎるのを待っていたのですが……。


 後ろからクラクションを鳴らされて、私は眉を寄せました。

 歩行者を待ってるだけなのに、なぜ急かされなければならないのか。これだから愛知は……。


 ところが。

 顔を上げると、カーブミラーには誰も映っていないのです。

 先程は確かに人影があったのに。


 仕方なく、私はそろそろと車を発進させ、目視で左右確認をしました。

 ――やはり、誰もいません。


 この十秒程度で、視界からいなくなるほど移動できる訳がありません。

 左右は民家の壁、正面はブロック塀です。入口も近くになく、民家に入ったとも考えられません。


「見間違いかしら……」


 不思議に思いながらも、私はその三叉路を通過して、スーパーに向かいました。



 ……その数日後。

 先日の出来事をすっかり忘れ、いつものようにスーパーに向かっていると……。


 三叉路のカーブミラーに人影が映っていて、私はブレーキを踏みました。

 それを見て、先日の奇妙な出来事を思い出したのですが……。


 今度は少し慎重に、その人影を観察してみました。

 その人は白い日傘をさし、赤いスカートをはいていました。日傘で顔は見えませんが、女の人のようです。

 そして、こちらを向いているのですが、歩いているようではありませんでした。

 立っているのです。


 こんな何もない狭い道で何をしてるんだろう?

 そう思い、意識が逸れた瞬間。


 その女の人は、ミラーの中にいませんでした。


「……え?」


 私は車を少し前に出し、身を乗り出して左右を見回しましたが、やはり誰もいません。


 ……もしかしたら、民家の壁際に植えてある、チョウセンアサガオを見間違えたのかもしれない。

 私はそう自分に言い聞かせ、スーパーに向かいました。



 そのまた数日後。

 またその三叉路を通った時。

 やはり、白い日傘の女の人はいました。

 けれど、この日はそれを不審に思いました。


 なぜなら、この日は雨。

 日傘を使うのに向いていないのです。


 晴雨兼用にしては小さいその日傘で顔を隠し、女の人はじっと立っていました。

 雨粒で視界が悪いとはいえ、見間違えではありません。

 私は気持ち悪く思いながらも、その人から目が離せませんでした。


 そして、気付いてしまいました。

 以前立っていた位置より、三叉路近い位置に立っていると。


 思い返せば、最初に見た時はもっと小さく見えていました。

 それが今は、日傘に施されたレースの模様が分かるほど。

 つまり、通りかかる度に、その女の人は三叉路に近付いてきているのです――。


 肌が粟立つような感覚は、雨で冷えているだけではないでしょう。

 私は慌てて車を出そうとしました。

 とはいえ、左右の確認はしなければなりません。


 するとやはり誰の姿もなく、ミラーからも女の人は消えていました。



 立て続けの不可解な出来事に、私はその道を通るのを避けるようになりました。

 信号が多く少し遠回りの市街地を通ると、社用車やトラックが多く、どちらかというと運転が苦手な私は緊張してしまいます。


 そんな風に何週間か過ごしていたのですが、ある日、つい考え事をしていて、いつもの癖で、あの三叉路に向かってしまったのです。

 途中でそれに気付き、引き返そうかとも考えましたが、狭い生活道路、転回する場所はありません。

 仕方なく、あの三叉路に向かったのです。


 間もなく、突き当たりのブロック塀、そして複数据え付けられたカーブミラーが見えてきました。

 私はかなり手前からスピードを落としつつ、交差点へと近付いたのですが……。


 停止線よりも手前で停まろうと、ブレーキを踏んだ時。


 ドンッ。


 衝撃と同時に、白い日傘がボンネットに飛び込んできたのです。


 ――まさか……!


 歩行者をはねてしまったのか――。

 私は慌ててパーキングブレーキを踏み、身が凍る思いで車を飛び出しました。

「大丈夫ですか!」

 そう声を掛けながら、車の前方を覗き込みましたが……。


「…………え?」


 そこには人の姿はもちろん、先程はっきりと見たはずの白い日傘も落ちてはいませんでした。

 車の前方だけでなく、車の周囲、交差点付近をくまなく見て回りましたが、やはり誰もいません。


 それに、おかしいのです。

 車はまだ、停止線より二メートルほど手前。三叉路を直進してきた歩行者にぶつかるはずがないのです。


 不審に思いながら、私は運転席に戻りました。


 そして、カーブミラーに顔を向けました。




 そこには、ボンネットの上に身を伸ばし、フロントガラスを覗き込む女の後ろ姿が映っていました。




 見えるはずがないのです。

 フロントガラスの上に人がいたら、前方のカーブミラーなんか。


 それなのに、カーブミラーの人物は、私の目の前にいる……。


「イヤあああああ!!!」


 逃げるように車を発進させ、スーパーの駐車場でしばらく放心していたようでした。

 ようやく落ち着いて、私はドライブレコーダーの存在を思い出し、確認しました。

 このドライブレコーダーは、衝撃を感知した前後十秒間のみ録画するように設定してあります。段差などで車が揺れても「ピー」と音がして、録画している事を知らせます。

 小さな段差程度の衝撃を感知するのですから、先程の人がぶつかったような衝撃を感知していないはずがありません。


 ところが、ドライブレコーダーには、何も録画されていませんでした。



 それから、その三叉路は絶対に通らないようにしています。

 通勤ラッシュを回避する抜け道にも使われるあの道。

 なぜ私だけがこんな体験をしたのか。今でも分かりません。

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