第19話 いつもの光景



「ん……。あれ、どこだここ……」

「兄さんっ!?目が覚めたんですね!よかったぁ……」

「お、玲華……。ってか、俺なんでこんなとこにいんだ……?」


目が覚めて辺りを見渡すと、そこは病室だった。ベッドの脇には制服姿の玲華がおり、俺の手をぎゅっと握りながら涙を流している。それにしても、自分がなぜこの場所に居るのかが分からない。いくら記憶を辿ろうとしても、脳内にモヤが掛かって思い出せないのだ。


「えーっと……。玲華、俺ってなんでここにいるんだ……?」

「ん……やっぱり覚えてないんですね。兄さん、路地裏で傷だらけの状態で倒れてたんです。それで冬華が救急車を呼んで……」


玲華の言葉でぼんやりと記憶が戻り始めた。確かあの時、俺は冬華を暴漢から守ろうと必死で……。詳細は覚えていないが、最後に冬華の叫ぶ声が聞こえた気がする。


「っ……!そうだ、冬華は無事なのか……!?」

「ちょ、まだ動いちゃだめですっ!それに、冬華はすぐそばで寝てるじゃないですか」


彼女の視線が指す方向を見ると、俺の腕に頭を乗せてうたた寝をしている冬華の姿が見えた。すやすやと寝息を立てて、時折「おにぃ……」と寝言を呟いている。


「よかった……。無事だったんだな……」


安堵感から深い溜息をつくと、俺は再びベッドに横になった。まだ頭がぼーっとするし、輸血用らしき管が通された腕もズキズキと痛む。すると、玲華が心配そうに俺の腕を撫でてくれた。


「あのっ、なにか欲しいものがあったら遠慮なく言ってくださいね?私に出来ることがあればなんでも手伝いますから!」

「お、おう。そっか……。じゃあ、とりあえず腹が減ったかも」

「ふふっ、3日も眠ってたらお腹も空きますよね。看護師さんに伝えてくるので、少し待っててください!」


玲華は嬉しそうに微笑むと、パタパタと病室から出ていった。というか、3日も寝てたのか俺……。どおりで身体に力が入らない訳だ。試しに手のひらを動かしていると、俺の腕を枕にして眠っていた冬華が目を覚ました。


「お、起きたか。おはよう」

「ん……。えっ……おにぃ……?目が覚めたの!?」

「ああ、ついさっきな」


冬華は俺が目覚めたことに驚いたのか、目を見開いてこちらを凝視している。俺はそんな妹の頭を撫でてやろうとしたが、どうにも腕が上がらないので代わりに手を握ってやると、彼女は嬉しそうに目を細めた。


「はぁ……。目が覚めてよかったぁ……」

「それはこっちの台詞だ。冬華が無事でよかったよ。怪我はないか?」

「うん……。まだ背中は痛むけど、おにぃが守ってくれたから平気」

「そっか。まあ冬華が大丈夫そうなら安心したよ」


お互いの無事を確認して安堵したのか、同時に溜め息が漏れ出る。そして、それと同じくして彼女の握力が段々と強くなっていくのを感じた。


「って、冬華……痛いって。安心したのは分かるけど、だからってそんなに強く握ることないだろ」

「……違うし。安心したらムカついてきたんだもん。あんな無茶なことして助けられても、こっちは生きた心地しないっての……っ」


冬華が力を込めた手に、大粒の涙が落ちた。彼女はぷるぷると肩を震わせている。その姿を見ていると、なんだか申し訳ない気持ちになってきた。


「心配かけてごめんな。でも、冬華を助けなきゃって思ったら頭より先に身体が動いちまってさ」

「ぐすっ、すんっ……。ばか……。他人のために自分を犠牲にすんなって、何回も言ってるのに……」

「それは、まあ……。すまん……」

「そのうち、ほんとに死んじゃうってば……」


冬華は涙を袖で拭うと、俺の手を持ち上げて額に付けて静かに泣き始めた。玲華とは違って私服姿察するに、学校にも行かずに俺の事を心配してくれていたのだろう。罪悪感を覚えながらも、俺は彼女の手を握ってやることしか出来なかった。


「本当にごめんな。もう無茶なことしたり冬華に心配かけるような事はしないから。約束する」

「約束って……。今まで守られた試しが無いんだけど」

「はは、確かにそうだな……。じゃあ他に何か……」

「……もういい。約束したって、お兄のバカさ加減はきっと死ぬまで治んないから。だから、その時まであたしが面倒みてあげる」

「え?それってどういう……」


その言い方だと、まるで死ぬまで一緒に居ると宣言しているように聞こえるのだが……。俺が困惑していると、冬華も自分が何を言ったのかようやく気付いたようで、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「ち、ちがっ!?今のはそういうんじゃないから!!こっちからプロポーズとか、絶対やだし!」

「いや、そこまでは言ってないだろ……」

「と、とにかくっ!お兄はあたしがいないとダメなんだから、ちゃんと頼ってよね。リハビリもできる限り付き合ったげるから」

「ああ……。ありがとな。頼らせてもらうよ」


返事を聞いた冬華は再度俺の手を握って、少し腫れた涙袋のまま満足げに微笑んでくれた。それから冬華と他愛も無い話をしていると、病室のドアが開いて食事の入ったプレートを持った玲華が戻ってきた。


「お待たせしましたっ!って、あれ?冬華も起きてたんですね。ちょうど良かった」

「うん……。まあね」

「ふふ、冬華も調子が戻ったみたいで良かったです。ここ数日、ずっと元気がなかったので心配してたんですよ?」

「なっ……それは言わない約束じゃん!お姉だって、ずっと泣いてたくせに……」

「ず、ずっとは泣いてないもん!誇張して言わないでください」


微笑ましい姉妹喧嘩を繰り広げつつも、玲華は食事が置かれたプレートを俺の前に設置してくれた。それにしても、二人の言い合いを見ているとまたいつもの日常に戻ってきたんだなと心の底から安心できる。


「おにぃ、なにニヤけてんの?」

「いや、二人の喧嘩見てたらなんかいつもの日常に帰ってきたって感じがしてさ」

「なにそれ、気持ちわる……」

「酷い言い様だな……」


冬華のジト目を受け流して、配膳された食事に目を向ける。病院食というのだろうか、見た目は質素だが美味しそうだ。


「兄さん、お箸とスプーンならどっちが食べやすいですか?」

「お箸でいいよ。わざわざ準備してくれてありがとな。いただきます」


手を合わせ、箸を手に取って食べ始める。すると、それを見た冬華がなぜか不満げに頬を膨らませた。


「……ねぇ、食べさせてあげようか?」

「いや……いいよ。自分で食えるし」


冬華にしては珍しい提案だが、妹にあーんしてもらうなんて恥ずかしいし、なによりそんな状況を看護師さんに見られでもしたら軽蔑されかねない。


「あ、兄さん。ご飯粒が頬についてます。えいっ」

「ちょ、おまっ……」


俺の頬についた米粒を、玲華が指で摘んでそのまま自分の口に運んだ。その動作に俺は思わずたじろいでいると、微笑む玲華とは裏腹になぜか冬華が睨んでくる……。


「むぅ……。お姉ってば、そーやって気を引こうとするのやめてよね。お兄もこの程度でいちいち喜ぶな、ばか」

「別に喜んでねーよ……」

「えへへ、隙だらけの兄さんが悪いです」


人差し指を頬に添えてにこりと微笑む玲華の姿に、俺は思わずドキッとしてしまう。だがここでまた頬を緩めると冬華からケチをつけられてしまうので、顔を逸らして難を逃れたのだった。


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