第18話 冷雨の慟哭
「えっ……。うそ、お兄っ……!?」
大粒の雨が降りしきる中、先程まで手を繋いでいた兄の姿はそこになく、ただ地面に伏してしまっている。その後ろには大柄な男が二人立っており、手前にいた鼻のない男の右手には兄を襲ったであろうスタンガンが携えられていた。
「お前バカかよ。雨ン中でんなもん使ってんじゃねーよ。感電したらどうすんだ」
「へへっ、悪ぃ。にしても凄い電流だったな。死んでたらどうする?」
「いまさら気にしねーよ。いつもみたいに固めて沈めりゃいいだろ」
「ガハハッ、それもそうか!お前に恨みはねぇけど逝っちまってたらごめんな!」
そう言うと鼻の無い男は兄の頭を踏みつけて、思いっきり腹部を一蹴した。兄は身体を大きく跳ねさせ、苦悶の表情で水溜まりに血の混じった吐瀉を吐き出す。
「くぶッ……、おァ……っ」
「きったねぇな。マジで息の根止めてやろうか?」
私はその光景を見て反射的に身体が動いた。そして、兄を襲った鼻の無い男の腹部に思いっきり蹴りを入れる。
「がッ……!?」
男は蹴りをまともに食らい、バランスを崩してよろめくように倒れ込む。私はすかさず兄の身体を起こして声をかけようとしたが、彼は既に意識を失っているようで反応がない。
「てめェ」
すると、もう一人の大柄な男が怒りの形相でこちらを睨みつけてきた。体格はさっきの男よりも大柄だが、その大半が脂肪のようだ。脳からアドレナリンが湧き出て止まらない今の私にとって、コイツもさっきの男のように一蹴にして沈めてしまえると思った。
「死ねッ!」
私は渾身の力を込めて男の腹部に蹴りを叩き込んだ。しかし、男は眉一つ動かさずに私の足首を掴み上げると、そのまま力任せに放り投げた。
「ぐッ……!?」
私は近くの電柱に叩きつけられてしまい、その衝撃で一瞬意識が飛んだ。そして、気付いた時には目の前に男が迫っており、私に殴りかかろうと拳を振りかぶっていた。
「やばっ……」
「っあー……。やべ、やりすぎちまったか?」
私は咄嵯の判断でガードをせずに転がるようにして追撃を交わした。その判断は正しかったのだろう。男の拳を受けヒビが入った電柱の跡を見て、本能的な恐怖感が一気に湧き上がってくる。
「はぁ、はぁっ……はあッ……」
「クソ。それにしても初対面の男に死ねたぁ、随分と口が悪ィな。顔はこんなにべっぴんさんなのによォ」
男はそう呟くと、再び私に歩み寄ってくる。私は痛めた腹部を抑えながら、逃げて助けを呼ぶために体の機能が回復するまでしばらく時間を稼ぐことにした。
「……こんなことして、ただで済むと思うな。絶対に後悔させてやるから……」
「あー、みんな最初はそれ言うんだよな。でも俺らと楽しんで気が狂うまでトんだら、一生笑いっぱなしの幸せな人生が送れるぜー?」
「っ……!そのうち絶対捕まるってのに、罪を重ねてもいいの?今ならまだ地獄行きで済むかもよ?」
「ハッ、捕まるわけねェだろ。雨で下足痕も大声も掻き消されンだよ。おまけに監視カメラも曇って使い物にならねぇ。こんな絶好のレイプ日和にわざわざ出歩いてるテメェを恨むんだな」
男はそう言って私の髪を掴んで無理やり立たせると、そのまま路地裏へと連れ込もうとした。私は必死に抵抗するが、男の力は強く全く歯が立たない。
(このままじゃ……)
私は自分が絶体絶命の状況であることを悟り、思わず涙ぐんでしまった。その刹那、男の動きが鈍って髪を掴む手が緩くなった。生じた隙をついて男から一目散に離れると、そこには男の腰にしがみつく兄の姿があった。
「お、お兄っ……!」
私は思わず立ちすくんでしまった。兄はいつの間にか意識が戻っており、男から私を庇おうとしているようだった。だが、奮闘虚しく男は兄の頭を掴んで引き離そうとする。
「何だコイツ、まだ息あったのかよ。うざってェな」
「お兄、いいから逃げて……っ!」
私は必死に兄に呼びかけた。しかし、兄は私の呼びかけに応えようとせず、ただ男の腰にしがみついているだけだった。兄は大声こそ出せなかったものの、私を一直線に見つめて肺から出るような声で口を動かす。
「……に、げろ……」
「っ……!」
その言葉を聞いた瞬間、私は全速力で路地裏へと駆け込むように逃げた。打ち付けられた背中の筋肉が悲鳴をあげておりうまく走れなかったが、それでも兄の想いを無駄にしないためにも全力で走った。
「あーあ、逃げられちまった」
「おおい、逃がしたのかよ!せっかくの上玉だったのによォ……」
「高井、お前ェが蹴られて呑気に伸びてたせいだろうが。まあいい、俺が追うからお前はそのガキ処理しろ」
「おい!1人で楽しむんじゃねぇだろうな!?俺だってあの畜生女、三日三晩犯して犯して……犯し尽くしてやんねぇと気が済まねェよ!!」
「うるせぇよ。どうせこの先は行き止まりだから心配すんな。ガキの処理が終わったら下の連中に車手配させろ。あとは好きにしていいからよ」
「おう!しくじったら許さねぇからな」
「分かってるっつーの。首尾よく頼んだぞ」
「はぁ、はあっ……はぁっ……!」
あれから数分ほど経った。私は薄暗い雨の中の路地を必死で駆け抜けながらも、警察への通報を試みた。GPS信号を頼りにすぐに駆け付けると話してくれたが、安心したのも束の間、行き止まりの壁に行き当たってしまう。
「はあ、はあーっ……。姉ちゃん、走るのはえーよ。陸上の強化指定選手かなんかかー?」
「ひっ……」
路地裏に響き渡る声。それは、先程私を犯そうとしていた男のものだった。私は恐怖で膝から崩れ落ちそうになりながらも、男の方を振り向いた。
「あーあ、そんな怯えた顔しちゃって。そんな可愛い顔されたら、年甲斐もなく興奮しちまうだろうが」
男は息を荒くして舌なめずりをしてみせた。まるで獲物を前にした野獣のような姿に、私は思わず尻もちを着いて後退りしてしまう。
「逃げんなよォ。別に痛いことはしねェからよ」
男はそう言って一歩ずつ私に近づいてくる。そして、私の目の前で立ち止まったかと思えば、カチャカチャと金属音を鳴らしながらベルトを外してズボンを下ろした。
「ひいっ……」
「お、ウブな反応じゃねーの。コイツを見んのは初めてか?ますます気に入ったぜ」
「や、やめてっ……!」
私は咄嗟に男の股間を蹴り上げて怯ませようとしたが、男は私の足を掴むとそのまま壁に叩きつける。そして、再び私に覆い被さろうとする。
「あうっ……」
「へへっ……。いいねぇその声、そそられるぜ」
「や、やめ……て……ください……」
私は恐怖のあまり涙を流しながら懇願するが、男は聞く耳を持たずに私の服に手をかけようとする。振り返れば他人に迷惑をかけてばかりの人生だった。姉にも散々心配をかけたし、兄に対しても最後まで素直になれなかった。それに、まだまだやり残したことだってたくさんあるはずだ。それなのに……。
(もう、どうでもいいや……)
私は抵抗を諦めると、ゆっくりと目を閉じた。そして、男の荒々しい手が私の服の中に侵入してこようとする。覚悟を決めて、舌を噛み切ろうととも思い至ったその時だった。
「……えっ?」
突然、男の動きが止まった。何事かと思い目を開けると、巨体は地面に倒れ込んでおり、そこに覆い被さるようにして血泥だらけの男が巨漢にスタンガンを向けている。
「えっ……。おにぃ……?」
そこに立っていたのは、先程意識を失ったはずの兄の姿だった。しかし、兄は私の声に反応することなく淡々とスタンガンを巨漢の顔面に目掛けて押し当てようとする。
「てめェッ……!なんで高井のモノ持ってやがんだ……!?」
兄は巨漢の怒号に全く反応することなく、馬乗りになった状態でスタンガンを顔面に押し付けようとする。だがやはり体格差があるようで、男も必死の抵抗でなんとか堪えている様子だった。
「はっ……!そんなびしょ濡れの状態でンなもん使ったら、お前も感電してあの世行きだぜ……ッ?」
「そうかもな。試してみるか?」
「ッ……!こいつ、頭イってんのか……!?」
兄の腕を掴んで抵抗を見せた男だったが、次第にその力は奪われていき、眼前にまで青白い電流が迫った。すると、男は苦しそうな呻き声を上げて痙攣し始める。
「あがっ……!や、やめてくれ……ッ」
「うるせぇよ」
そして、ついに電流が男の鼻に直撃した。その瞬間、辺りには火花が飛び散るような音と共に光に包まれ、男は白目を剥いて気絶してしまった。
「お、お兄っ!?」
倒れる寸前の兄に駆け寄ってその体を支えた。先程までの恐怖心や絶望感はいつの間にか消え失せており、今はただ兄が無事だったことへの安堵感だけが私を支配していた。
「冬華……。なにもされてないか……?」
「うん……。でも、無茶しすぎだってば……」
兄の頭を膝に乗せて、涙を流しながらも冷たい手を抱きしめた。兄はもう片方の手で私の頭を撫でながら、優しく微笑みかける。
「お前が無事でよかった……」
そう言い残して、彼の冷たい手は力無く地面に落ちた。少女の叫声と救急車のサイレンは、無情にも冷たい雨音によって掻き消されていく。
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