第17話 気持ちが晴れないわけがない。
「はぁ……っ、はぁっ……くそッ……」
息を切らしながら住宅街を駆け抜ける。運動部に所属していた高校時代以降ろくに運動をしていなかった為か、息切れが早く何度も転びそうになる。だが、それでも俺は一心不乱に走り続けた。すると、前方に人影が見えたのでペースを上げて一気に近付く。
「おい、冬華っ!」
「えっ……。お兄……?」
そこにいたのは冬華だった。彼女は振り返り俺の姿を見て一瞬驚いた顔をみせたが、すぐにぷいっと顔を逸らして何事も無かったかのように走り出した。
「ちょ、待てって!なんで逃げんだよ」
「なんでおに……あんたがここにいるの。ストーカーなら通報するけど」
「ストーカーって……ずっと着けてたわけじゃねぇよ。おい、いいから止まれって……!」
「うるさい!ついてこないでっ!」
どうにか追いつこうと体に鞭を打って走るが、冬華は俺を振り切ろうとギアをどんどん上げてゆく。毎日5キロも走っている水泳部のエース相手に純粋な走力では到底叶いそうになかったが、それでも俺は諦めずになんとか食らいついた。
「はぁ……、はぁ……っ!おい、待てって……」
「……なんでそこまでして追いかけてくんの。いい加減にしてよ」
「はあっ……。なんでって、お前がスマホなんか忘れるからだろ……」
「え……。あっ」
冬華はようやく思い出したように立ち止まると、スポーツウェアのポケットを叩いて携帯電話を探し始めた。俺は肩で息をしたまま、彼女にビニールで保護されたスマホを手渡した。
「はぁ……。ほら、忘れ物だぞ」
「ん……。こんなことのために、わざわざ追いかけてきたの?」
「この為だけじゃねーよ。今から大雨が降るらしいから、お前を呼び戻すために来たんだ。一緒に帰ろうぜ」
俺は冬華の手を引いて、家に戻ろうとする。だが、差し出された手を振り払って彼女はその場から動こうとしなかった。
「勝手に触ろうとすんなっ。きもいっての……」
「悪かったな。ほら、雨が強くなる前に帰るぞ」
「嫌だし。別に雨くらい慣れてるから、余計なお世話なんですけど」
「お前なあ……。玲華も心配してたぞ?いいから帰ろうぜって」
「うっさい!もう関わらないでよ、あんたから突き放した癖に……!」
冬華はそう叫ぶと、再び走り出そうとした。その姿を見て、俺は反射的に彼女の腕を掴んでそのまま抱き寄せてしまった。
「っ……!?は、離れろばかっ!このクズ!」
「痛っ……落ち着けよ冬華!俺はお前のためを思ってここまで来たってのに……」
「それがお節介だって言ってんの!ばか!このっ、サイテー野郎っ……!」
冬華は俺から離れようと足を踏みつけて必死に抵抗するが、俺は痛みに顔を歪めながらも彼女を離さなかった。雨に濡れた冬華の体は冷たくて、小刻みに震えている。その震えは怒りなのか悲しみによるものか、俺には推し量ることが出来ない。だが、やがて彼女は次第に落ち着きを取り戻し、小さく口を開いた。
「……あたしのこと振った癖に、なんであたしに構うの。諦めろって言ったのはあんたじゃん」
「なんでって……。そりゃ、大事な妹だからに決まってるだろ」
「……っ!妹、妹って……、妹扱いすんなっての!こっちはあんたのこと、最初から兄としてなんか見てないのにっ……!」
冬華はそう言うと、俺の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた。俺は何も言わずに彼女の頭を撫でながら、落ち着くまで抱きしめてやった。周囲に響く大粒の雨音でさえも、彼女の泣き声をかき消すことは出来ない。しばらくして泣き止んだ後、冬華は俯いたまま声を震わせて話し始めた。
「……最初はあんたの事なんか嫌いだった。お母さんが居なくなってすぐ、ウチに来たあんたの事なんか好きになれるわけなかったし」
「ああ、覚えてるよ。まだお前が小さかった頃だよな」
思えば、冬華は出会った頃から俺に冷たい態度をとっていた。実母がいなくなってすぐ、心が不安定だった頃に突然年の離れた義兄がやってきたのだから当然だろう。長女であった玲華とはすぐに打ち解けられたが、冬華は心を開いてくれるまで随分と時間を要したのを今でも覚えている。
「……でも、あんたは違った。すぐにお姉とも仲良くなったし、無愛想なあたしにも時間をかけて優しく接してくれた。だから……兄妹って感覚よりも、男の子として意識しちゃってたんだと思う」
「そっか……」
冬華がこれまで秘めていた想いを聞き、胸が押し潰されるような痛みを覚えた。俺の事を幼い頃からずっと好いていてくれていた彼女の気持ちを、俺は足蹴にしてしまうどころか諦めろと一方的に拒絶してしまったのだ。兄という概念に気付く前から俺の事を好いてくれていた彼女にとって、それは俺と過ごした思い出や時間さえも否定する言葉に感じたのだろう。
「けど、あんたは結局あたしを妹としてしか見てなかった。だからあたしは距離を置いたし、何度も諦めようって努力した」
「冬華……」
「それなのに……。なんで今さら追いかけてきて、また優しくするの?ほんと、意味わかんないし……」
冬華は再び涙をぽろぽろと零し始めた。俺はそんな彼女の頬に手を添えて、指で雫を拭う。
「ごめんな……。俺がもっとはやく、冬華の気持ちに気付いて真剣に受け止めるべきだったよな」
「っ……、ほんとだよ……。ばか……」
「本当にごめん。でも、もう好きになるななんて言わないからさ。今度こそは玲華と冬華、二人の気持ちを正面から受け止めたいって思ってる。だから……とりあえずは元通りの関係でいて欲しい」
俺は冬華の目を真っ直ぐ見つめながら、彼女の小さな手を取った。そしてそのまま、冷え切った手を眼前まで持ち上げてぎゅっと握る。すると彼女は驚いたような表情を浮かべた後、優しい表情で微笑んでくれた。
「ふふ、あははっ」
「なんで笑うんだよ。何か変なこと言ったか?」
「だって、気持ちを受け止めるって……告白をOKするって意味じゃないんでしょ?そーやって無責任なことは言わないの、チキンなお兄っぽいなって思ってさ」
「う……。まあ、そうだな」
確かに冬華の言う通りだ。俺はまだ二人の気持ちに応えられる立場ではないし、そもそも二人のうちどちらかと付き合うなんて決断はあまりに難しい。だが、それでも俺が彼女たちと真剣に向き合いたいという意思だけは伝えたかったのだ。
「……やっぱり優しいね、お兄。意気地無しですけべの癖に、生意気なんだけど」
「褒められてるのか貶されてるのか分かんねぇよ……」
「どっちもだし。……ほんと、なんでこんなヤツ好きになっちゃたんだろ」
冬華はそう呟くと、再び俺の胸に顔を埋めてぎゅっと抱きついてきた。そして、彼女は俺の耳元に口を寄せて囁くように言った。
「でも、もう付き合えなんか言わないから」
「えっ……?」
「当然じゃん。なんであたしがもっかい告らなきゃいけないの?今度はお兄が告るまで待ってるから。そうじゃなきゃ、振られた女のプライドが傷つくもん」
「そっか……。おう、考えとくよ」
「うん。だからそれまでに、あたしとお姉のどっちを選ぶか考えといてよね。言っとくけど、それ以外の女を選んだらわかってるよね?」
「ひっ……。分かったよ、約束する」
俺がそう答えると、冬華は満足げな表情で俺から離れた。そして、そのまま俺の手を引いて歩き出す。
「ほら、帰ろ。お兄」
「ああ、そうだな」
こうして俺は新たに芽生えた不安と希望を混同させたまま、大切な妹……もとい、女の子と手を繋いで帰路につこうとしたのだった。
───しかしそれは、一瞬の出来事だった。
五感が最後に捉えた情報は、全身が瞬時に痙攣する感覚、開いたままの瞳孔と瞼、驚嘆する冬華の声、背後にいた恰幅の良い2人組の男。そして、勢いよく地面に打ち付けられるような頭部への鈍痛。俺は朦朧とする視界と意識の中で、痙攣した脳神経に全力で命令を送り言葉を発した。
「とう、か……。にげ、ろ……」
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