バイトでクレーマーを撃退したらなぜか探偵事務所にスカウトされた・3
「へぇ~驚きはそこまで大きくないみたいね。可能性の一つとして考えてはいたようね」
セイラさんは随分と俺を買いかぶっているようだ。
あさひはともかく、無関係なはずの愛が現れたのは、予想外の出来事だったといっても過言ではない。
「問い詰めたい気持ちは分かるけれど、まずは私の話を聞いてちょうだい」
セイラさんに促され、対面の椅子に座る。
「そうね、話は二ヶ月前の四月の頃まで遡るわ。探偵業を休止して気ままに過ごしていた私の元に、一人の少女が駆け込んできたのよ。その少女はこう言ったわ。『兄のことを助けてください』とね」
愛の方に視線を向けると、怯えたように目を逸した。
「当時依頼を受けることにうんざりとしていた私は、必死さに負けて話だけ聞くことにしたわ。今思えば、この判断が全ての始まりだったわね。愛ちゃんが懇願してくる様子をみて、当然断ることはできず、依頼を受けることにしたの」
あとは分かるでしょう、と言いたげにセイラさんは俺を見た。
「依頼の内容は知らないが、達成するには俺を尾行する必要があった、そうですよね?」
コンビニでの出会いが偶然だったと、この期に及んで信じてはいない。
これは俺も予め考えていたことだ。
「ええ、そうよ。それでルイ、この写真に心当たりはある?」
俺が職場の制服を着て働いている様子だ。
写真を一目見ようと、あさひがデスクに覆いかぶせるように頭を伸ばす。
「わたしにも見せてください……黒崎さん。働いている。でもコンビニじゃない……」
「ルイがアルバイトを掛け持ちしていた。これは別に問題ないわ。現に今も私に雇われながら、コンビニバイトは続けているしね」
写真を見ながらあさひは口を開く。
「では、どうしてこの写真をいま……」
「こうすれば分かるかしら」
セイラさんは指先で写真の向きを反対にした。あさひからしたら正面に映る向きだ。
「日付がついています……五月二十日の……深夜二時……!?」
顔を持ち上げたあさひと目が合う。
「これは私が取った写真を加工せずにそのまま現像したものよ。そしてこれらも全て」
茶封筒から無数の写真がデクスに広がる。
あさひは、それらひとつひとつを手に取って確かめていく。
「四月二十九日……五月一日……四月十八日……ほとんど毎日……!!」
律儀に日付順に並べていったあさひは、その作業を終えるとこちらを仰ぎ見た。
「どういうことですか!? 黒崎さん!!」
「不思議なことは何一つない。俺がその日その場所にいたという証拠。それだけだ」
「どうしてこんな無茶をしていたのか聞いているんです!」
身を乗り出すあさひを制止するようにセイラさんは腕を横に伸ばした。
「いえ、これは写真に収めていないだけで最近まで続いているわ」
絶句してあさひは声にならない声を漏らした。
そして何かに気づいたらしく、顔を下に向けた。
「なるほど、やっと理由がわかりました」
垂れ下がった前髪と照明の関係で影がかかっているため、その表情をうかがい知ることができない。
ただ、彼女の華奢な双肩は小刻みに震えている。
「黒崎さんがいつも学校で寝ているのは、不真面目だからでも怠惰だからでもなく、常軌を逸した時間のバイトによって慢性的な睡眠不足に陥っていたからだったんですね」
あさひは隣のセイラさんに詰め寄る。
「紫月先生。これは黒崎さんの意志でやっているものですか? それとも……」
「安心しなさい。すでに話はつけてきたわ。ルイがこの店で働いていた事実はなくなった。今後訪れても知らん顔されて追い出されるでしょうね」
頭を撫でられ、あさひは落ち着きを取り戻す。
「ごめんなさい」
「いいのよ」
セイラさんはあさひの体から手を離し、俺の方へ向き直った。
「これで話しておかなければいけないことは全てよ。さあ、どうして私がルイを事務所に誘ったのか、ルイの結論を教えてちょうだい」
今もたらされた情報は、既存の推理を大幅に変更することを強いてきた。
取捨選択を繰り返して、俺は結論まで組み上げていく。
どこから話すべきか。
「昨日、部屋の掃除をしている最中、妹の部活の遠征費がそのまま仕舞ってあるのを見つけました。単なる提出し忘れだろうと考え、ほとんど気にとめていませんでしたが、ようやく合点がいきました」
思い返せば、あの一連の流れはあまりによくできすぎている。
「遠征費と表して、依頼料を徴収するように妹に口添えしたんですよね」
愛の反応を見る。
やはり合っていたようで、開いた口が塞がらないのを両手で隠している。
「おそらく愛は言われるがままに実行したが、セイラさんにはまた別の目的があった。あくどい目的があった訳じゃない。むしろ逆だ」
あとは一ヶ月まえの俺の動向を追えば自然とわかる。
「急にお金が必要な状態にさせることで、俺のとある行動を誘発した。いや、俺がセイラさんのスカウトを引き受けざるを得ない状況に持ち込ませたんだ」
あの日、妹からのお金の打診がなければ、コンビニでの出来事は遠い記憶の彼方へ消えていったはずだ。
なぜそのような遠回りの行動をしたのかは、言わずもがなだ。
セイラさんが俺の想像通りの人物だと仮定すれば、自ずと答えは出てくる。
「セイラさんが俺をスカウトした理由――それは自分の手で相手の収入源が絶たれることを憂い、自ら雇うことでその穴埋めを画策しようとしたからだ」
――いや違う
口に出した瞬間、名状しがたい違和感を覚えた。
どこかが引っ掛かる。
俺は何か、見落としてないだろうか。
「それがルイの答えね」
静かにセイラさんの瞼が伏せられる。
「いいえ不正解よ。お金は関係ないわ。だって大学を卒業するのに十分なお金を持っているはずでしょう?」
間髪入れずに放たれた反論に、想像以上にこちらの事情を知っているのだと悟った。
遠い夏の日。災害に巻き込まれて、俺たち兄妹は唯一の肉親である母親を亡くした。
当時小学生と未就学児だった俺たちは突如として路頭に立たされた。
しかし、母は俺たちにとても大きなものを残してくれていた。死亡に伴って支払われた、莫大な死亡保険金だ。よく意味の分からないままその場にいた葬儀の後、見知らぬ顔の大人からそのことを知らされた。
管理こそ家庭裁判所で決められた大人に任されているが、使い道は俺たちに委ねられている。
毎日送られてくる生活費を、俺はひたすら貯金していた。
理由は自分でもよくわからない。漠然と、使うべきではないと思っていた。
「母親の死亡保険金のことですか? あれはいざというときのために、手を付けないでおこうと――」
「今がその時でしょ!!」
俺は驚かざるを得なかった。
小さい頃から大人しかった愛が感情を爆発させていた。
「どれだけ私が悩んできたと思ってるの!? お兄ちゃんいつも全部ひとりでやって、私には何もさせてくれない。私を甘やかしてばっか。私には見ていることしかできない。お兄ちゃんがボロボロになっていくのをただ見ていることしかできないのよ」
「愛ちゃん……」
肩で息をする愛を、あさひは横から見ている。
「俺の心配は必要ないよ。睡眠は学校で取っているし、勉強だって問題ない。このままいけば大学だって余裕で行ける。ほら、悪いことなんて一つもないだろう?」
「だからだよ……お兄ちゃんは何でもできるから、ダメなんだよ。私を頼ってよ……私だって頼られたいんだよ!」
「……」
「ママの保険金だってそう。お兄ちゃんが使わないって言ったら従うしかない。お兄ちゃんに助けられた私には口が出せない。だって――私が助かったせいでママは死んだんだから!」
土石流が間近に迫る中、俺には2つの選択肢しかなかった。
妹を助けるか。
母を助けるか。
俺が判断を誤ったせいで、そのときにはこの2つしか残されていなかった。
動き出した瞬間も答えは決まっていなかった。
『ルイ、お願い!』
最後に聞こえた母の声は、果たしてどちらの意味だったのか。
結果として、命からがら兄妹は生き残り、母は死んだ。
「ええ、だから部外者のわたしが客観的な意見を言ってあげるわ」
状況を静観していたセイラさんが、ここで初めて口を開いた。
「ルイも愛ちゃんも、どちらにも非はないわ。母親が亡くなってしまったのは、運悪く、災害に巻き込まれてしまったから。そこに個人の良し悪しなんてあるはずがない」
「でも、俺には助けることができた。あの時油断していなかったら、もっと早く判断をできていたら。最悪の結果は免れた」
ひんやりと、冷たい感触が頬を包む。
触れられる瞬間まで、俺はセイラさんの接近に気づけないでいた。
「いいえ、こう考えるのよ。あなたがいち早く危険に気付けたことで、尊い命がひとつ守られたと。
自分でどう思うかは勝手だけど、他人からみたらルイは聡明な人間なのよ。多くのことが見えてしまうせいで、必要以上の悩みまで抱え込んでしまう。手を伸ばせば届く範囲が大きいせいで、取りこぼすものも大きくなってしまう。そしてそれらを全て独りで背負って、耐えることができてしまう」
「俺は……」
「ほら、手をかしなさい。これがあなたの手で守った命よ」
力なく垂れ下がった俺の腕がひとりでに持ち上がり、小さくて、けど確かに温かい手のひらに触れた。
妹とこうして触れ合ったのはいつぶりだろうか。
ぷつんと。
俺の中で何かの糸が切れた。
全身の力が抜けて。
俺の意識は暗闇に沈んでいった。
◯
毒気が抜け落ちたかのような開放感と共に俺は目を覚ました。
見覚えのある空間。
どうやら俺はソファーの上で寝ていたようだ。
のそのそと体を動かして起き上がると、作業をしていたセイラさんが目を向けてきた。
「気分はどう?」
組み合わせた両手を天に向かってめいいっぱい伸ばす。
溜め込んだ空気を吐き出しながら、腕を下ろす。
「過去最高レベルで気分がいいですね」
口を動かしながら、俺はまだやり終えていなかったことを思い出した。
「セイラさん、そういえば勝負はまだ終わっていませんよね」
「ええ。チャンスが一度切りとは、誰も言ってないわね」
「いま、ここで答えてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
目覚めた瞬間、俺の中でこれではないかという確信に近い予想が浮かんでいた。
さっきまでの俺だったら絶対に分からなかっただろう。
「セイラさんは今年の四月を境に探偵活動を休止していた。詳しいわけはともかく、好調の流れを打ち切ってまで休止を決定するだけの理由があった。
愛の依頼を受けたのは、自身が言っていたように懇願され断れなかったからだとして、その後に俺をスカウトしたのは、明確にその意志に逆らう行為だ。そこで、こう考えられる。愛の依頼を受けてから、俺をスカウトするまでの間に、セイラさんの考えを変える何かがあった」
セイラさんは最初から答えを言っていた。
あとは、現代文のテストが如く、その言葉を言い換えるだけ。
「『簡単よ。私は君の目に興味があるの』これは理由を尋ねたときに、セイラさんが最初に言った言葉です。これを言ったのがずば抜けた観察力を持つセイラさんだということを加味して考えると、あることが見えてくる」
俺は人から期待されることを恐れ、逃げ続けてきた心が弱い人間だ。けど、みんなから散々褒められてようやく認めたことがある。
「俺は自分の手が届く範囲に困っている人がいると、どうしても助けたくなり、一度頼まれたことは何がなんでも守ろうとしてしまう人間だ。
自惚れと言わればその通りだ。だけど、たぶん俺のそんな性質が、探偵業を続ける中で疑い続け、裏切られることもあり、信じられるものが自分以外になくなってしまったセイラさんの心に刺さった。
つまり。
「つまり、セイラさんは俺を気に入って、俺とならまだ探偵業を続けられると予感したんだ」
セイラさんは少々性格が悪い部分があるが、根は善性の塊だ。
不真面目なようで、常に周りを気遣っていて、その反動かひと目の付かないところではかなりズボラだけど、それでも裏では人のためになることを考えている。
気を病んで活動を休止してしまったように、俺が抱いていた理想のような完璧超人ではなかったが、むしろ親しみやすさを感じるようになった。
俺が答えを言って、しばらくの時間が経った。
まさか違ったのか、と焦り始めた頃、セイラさんはようやく口を開いた。
「ええ、その通りよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます