バイトでクレーマーを撃退したらなぜが探偵事務所にスカウトされた・2
晴天のもと、体育祭は始まった。
まずは開会式だ。
先生やお客様方のありがたいお話に、校歌斉唱、ラジオ体操と定番なイベントをこなし、生徒たちは応援席に戻っていく。
これからすぐにあるのは連合ごとに行われる応援合戦だ。
約二週間、一部の生徒や応援リーダーはその倍以上の期間を費やしてきた集大成となる。
俺たちの連合の順番は一番最初だった。
後ろの連合の評価を定める基準にもなる難しい位置だ。しかしここで印象を残せれば、後ろに大きなプレッシャーを与えることができる。応援団長を筆頭に、気合が入っているのが見えて取れた。
結果的に、応援はタイムオーバーすることもなく、隊列が乱れることもなく無難に終わった。
練習通りにできたといえば、聞こえがいいだろう。
早くも午後の応援合戦に向けて、修正点をリーダーたちが話し合っている。
全六連合の応援が終わり、これから競技の時間が始まって行く。
前半の部で俺が出場するのは徒競走のみだ。
男女ともに100M走で、事前に決めた走順通りに並ぶ。
上の方では、クラス間で情報戦が行われていたようだが、俺には関係ないことだ。
運良く運動部と当たらなければ上位に入れるかもしれない。
選抜リレー等のメインイベントと比べれば変動するポイントは微々たるものだが、手を抜いて優勝を逃したりするのは後味が悪い。
日頃の自転車通学の力を遺憾なく発揮した結果、二位を取ることができた。
野球部と思われる丸刈りの男子に一位を取られたが、俺の期待値からしたら上出来だろう。
次々と行われている競技を観戦していると、あっという間に前半の部が終わった。
熱中症対策で生徒は一旦学校に戻り、昼食休憩をしてからまたグラウンドに出る。
弁当を全て食べ、午後に向けて英気を養っていた俺は、人影が近づいてきたことに気づいた。
「黒崎さん、少し手伝ってほしいことがあるんですけどいいですか?」
あさひは運営委員に入っていたはずだ。
競技の最中も、応援席の抜け出して東奔西走していたのをたびたび目にしていた。
「何かあったのか?」
「はい。力仕事が必要かもしれないので、お願いできますか?」
俺は頷いて教室を出た。
先導するあさひについていきながら内容について尋ねる。
「俺は何をすればいいんだ?」
「午後の競技で使用する道具の一部に欠陥を見られたので、これから体育館倉庫で予備の分を探そうと思っています。黒崎さんにはその補助をお願いします」
順調にここまで進んできたように映るが、その裏では多くの人々の尽力があったのかもしれない。
体育館につく。電気はついていたが人はいなかった。
「こちらです」
体育の授業で何度が入ったことはある。
体積としては小さくないが、それ以上に物が詰め込まれているため、中に入ると息苦しい印象を受けた。サイドに高く積み込まれた運動マットがそれを助長している。手の届くところにあればいいが、奥の方にあるとなると梃子摺りそうだ。
「必要なのはこれです」
あさひがスマホの画面を俺に見せてきた。
平べったくて地面に置いて使うコーン。いわゆるマーカーコーンが新たに必要になったようだ。
腰に手を当てながら、倉庫内を見渡す。
見渡す限り雑然としていて、ひと目では見つからなかった。
「手分けして探すか」
「そうですね……」
苦笑いしながらあさひは答える。
まさかここまでとは思っていなかったようだ。
手当たり次第に探し始めて数分、俺の反対側を担当していたあさひが声を上げた。
「たぶんありました!」
俺はいま行っていた作業をやめて、彼女の応援に向かう。
あさひは身を乗り出して、片腕を懸命に伸ばしていた。
「取れそうか?」
「触れることはできたんですけど、わたしの不手際で奥の方にいってしまいました」
気落ちした様子であさひは言った。
「代わろうか?」
「待ってくださいもうちょっとで……」
顔の側面を支えとしている体育マットにぎゅうぎゅうに押し付け、あさひは更に力を込めていった。
果たして彼女は回り込んで取ったほうが早いことに何時気づくのだろうか。
ここまでの彼女の努力を無駄にするのは悪いと思い、見守ることにした。
やっぱり教えてあげようかと思い直しかけた時、俺は異変に気づいた。
あさひが力を加え続けていた体育マットがずれていき、今にも崩れ落ちようとしている。
そしてあさひはそれに気づいていない。
――ルイ、お願い!!
嫌な記憶が想起する。
あれは俺が小学生の夏休みの頃だった。
俺は瞬間の判断を躊躇ったせいで、母を失った。
早朝に民宿で寝ていた俺たちを襲った青天の霹靂の地震。
それに伴って発生した土石流によって、山の麓の建物はほぼ全て圧潰した。
俺たちが宿泊していた民宿も、それに巻き込まれた。
その瞬間、俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。
突然の地震で飛び起きた二人を見ながら、俺は冷静でいるのを自覚していた。
津波の心配はない。あとは余震に備えるだけだ。直前に震災の映像を学校で見ていた俺は、地震で注意すべきことを覚えていた。
だから窓の奥から迫りくる巨大な影を見た時、俺はまだ夢の中にいるのだと判断した。
この巨大な影が俺を覆い尽くした時、俺は目を覚ますのだろう。
俺はそう無条件に信じ切っていた。
体の芯に響くような轟音と、飛び散る土砂がやけにリアルに感じた瞬間。
ようやく現実だと理解して、俺は咄嗟に動いた。
このままだとだめだ。とにかに逃げなきゃいけない。どこか場所はあるか。いやない。押し入れの上段はどうだ。高さが足りない。でもここしかない。
既に迫りくる影は壁を破壊しようとしていた。
俺は背後の押し入れの位置を片手で把握しつつ、二人の様子を見る。
『みんな!!』
俺は大声で叫んでから手を伸ばす。
二人は呆然とこちらを振り向いて。
俺はどちらか選択しなくてはならなかった。
往復する時間はない。
俺には同時に引っ張る力もない。
それでも必死に手を伸ばして――母の叫びに俺は突き動かされた。
「黒崎さん……?」
あさひの顔が目と鼻の先にあった。
困惑と恐怖が入り混じった表情。
俺はそこまで認識して、慌てて両手を離した。
押し倒されるようにして寝転がっていた体育マットから、あさひはゆっくりと体を起こした。
「悪い」
「ううん。わたしを助けてようとしてくれたんですよね?」
あさひは俺の後ろに目を向けて言う。
振り向ければ、崩れ落ちたマットが乱雑に重なっていた。
「あっ、ありました!! これです必要だったのは」
目標に向けて床を這っていったあさひは、崩れたマットの中から蛍光色の丸いコーンを拾い上げた。
顔の前に掲げてめいいっぱい喜んだあとで目の前の惨状を思い出し、苦笑いを浮かべる。
「発見できたのはいいんですが……まずは直しましょうか」
「……そうだな」
協力してなんとか元の状態に近いところまで復元する。
「ふぅ。これでほぼ元通りですね。いえ、休憩している暇はありませんでした! 早く持って帰らないと……」
入り口まで足を運んで、電気のスイッチに手をかけたあさひはこちらを見て言葉を切った。
「どうしました黒崎さん? もしかして怪我をしているんですか?」
「なんでもない。行くか」
俺は手を伸ばして、あさひの頭の上から押しかけのスイッチに力を込めた。
そのまま体育館の出口に向けて歩いていく。
「ま、まってくださーい」
後ろからあさひが急ぎ足で追いかけてきた。
◯
午後の部はまた応援から始まった。
今度は四回目と時間に余裕がある。他連合の応援の最中の態度も結果に関わることがあるとかないとか噂されているため、表立って会話する人はほとんどいない。
「黒崎さん」
いないと思われたのだが、俺の隣の席の人物は声を潜めて話しかけてきた。
「どうしたんだ?」
楽しげな表情をあさひは浮かべている。
「先程はありがとうございました。おかげて間に合いました!」
「それならよかった……話はそれだけか?」
「はい。それだけです。でもなにか楽しくないですか? こうして話すのは」
体育祭という名の通り、お祭り気分でテンションがあがっているのだろう。彼女が見せる笑顔は心なしか普段よりも輝いて見える。
「そういえば、午前の百メートル走すごかったですね」
「俺か? でも二着だったぞ」
「相手は野球部のエースでしたよ。僅差での二着。周りも驚いていましたよ」
なぜか嬉しそうにあさひは語る。
「午前は不甲斐ない結果を見せてしまいましたが、午後は挽回するのでちゃんと私のこと見ててくださいね」
他愛もない会話をしているうちに、本連合の番がやってきた。
成功と言っていい出来になったようだ。
かくして応援はすべて終わり、競技が次々と始まっていった。
◯
気がつけば、結果発表の時間になっていた。
我が連合は、競技部門の一位は逃したものの、応援の部とデザインの部で優勝できた。
総合優勝は叶わなかったものの、クラスの雰囲気はいい。
教室では、この後にあるお疲れ様会の出席を改めて取っていた。
予約した人数と異なる場合は連絡の必要があるためだ。
「黒崎くん、君はどうするの?」
こちらに気づいた横澤さんがメモ帳を持ちながら近づいてきた。
委員長の立場として幹事の役割をこなしているのだろう。
「前にも言った通りパスだ」
「余裕をもって予約したから飛び入り参加もオッケイだよ」
「気持ちは嬉しいけど、予定が入っているんだ。だから悪い」
横澤さんは一瞬考えて、合点がいった表情をみせると、ニヤニヤしながら言った。
「なるほど、そういうことね」
こちらとしては全く心当たりがない。
「どうぞ楽しんできてください」
なぜか笑顔で見送られて、俺は学校を後にした。
◯
ドアをノックして事務所の中に入る。
たったそれだけのことなのに、徒競走を全力で走り切った後のような疲労感があった。
セイラさん――紫月世羅はいつものオフィスチェアに座ってこちらを見ている。
その姿は一週間前に訪れたときと何一つ変わりない。
彼女の口元がわずかに動いた。
「嬉しいわ。どうして嬉しいかって? あたりまえじゃない、逃げずに来てくれるんだもの」
相手の心情を読み取る能力は変わらず顕在のようだ。
細長い脚がデスクの奥で組み替えられる。
「今すぐここで、回答をしてもらってもいいのだけれど、やっぱり勝負するなら条件はフェアでなくちゃいけないと思うのよ」
「何が言いたいんですか?」
「すぐに分かるわ」
言うやいなやセイラさんは後方を向いて、俺ではない誰かに呼びかけた。
「二人とも、出てきなさい」
ワークスペースの奥にある、自宅部分に繋がる扉。
そこから見覚えのある2つの顔が現れる。
一つはさっきまで同じ空間にいた、古賀あさひ。
そして、もう一つは、必ず毎日を突き合わせている妹の愛。
二人は決して逃すまいといった目で俺を見ていた。
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