バイトでクレーマーを撃退したらなぜか探偵事務所にスカウトされた・終1

 一ヶ月という試用期間の最終週の始まりの日曜日。

 俺はとあることを決意して、紫月探偵事務所に向かった。

 この三週間で何度も通った屋外階段を登っていく。


 扉を開けると、彼女はいつものオフィスチェアに座っていた。


「おはよう。一日ぶりね」


 ここで挨拶を返してしまったら、ずるずるとこの関係を続けることになると確信した。

 だから俺は開口一番に


「セイラさん、俺やめます」


 覚悟してここまで来たというのに、口に出した瞬間、言ってしまったと思った。

 おそるおそる顔を上げる。表情を変えずにセイラさんの目は俺の姿を捉え続けている。


 セイラさんは果たして俺の申し出にどう対応するのか。

 何を言っているの? と冗談めかして言いくるめてくるようにも、すんなりと受け入れてくれるようにも思える。

 俺は静かにその時を待った。

 セイラさんの回答はそのどちらでもなかった。


「分かったわ。ただし今から出す条件をクリアしてからね」


 実にセイラさんらしい答えが返ってきた。

 安易に返事を出すことはしない。


「その中身はなんですか?」


「お題はそうねぇ」


 まるで丁度いい考えが思いついたとでもいうように顔を明るくした。


「こんなのはどうかしら――どうして私がルイをスカウトしたのか」


 可笑しすぎてもはや笑えてくる。


 先週の金曜日。デザイン案紛失事件を解決したあとで、犯人だった横澤さんと昼食を共にしている最中、俺はセイラさんの真意に気づくことができた。

 同時に、彼女と出会って以降、鳴りを潜めていた俺の心の弱い部分が露出した。


 有り体にいえば、俺は浮かれていたのだろう。

 紫月世羅という理想のような人物に必要とされていたこと。

 期待に答えられているというありもしない実感が心地よくて、忘れてしまっていた。


 自分のせいで母親の命を奪ってしまったことを。


 このままだときっといつか彼女の期待を裏切って、最悪の結果を導いてしまう。

 それを避けるためには、なんとしてでも縁を切る必要がある。


 だというのに、縁を切るためには、彼女の出したお題に正解しなければいけない。


「期限は一週間後の土曜日までよ。ちょうど教育実習が終わる頃だし、キリがよくなるわね」


「わかりました」


 これまでがうまく行き過ぎたせいで勘違いをしてしまっていた。

 結局のところ俺は凡人で、彼女のような人物のそばにいるのは相応しくない人間だ。


 ◯


 先週とは異なり、大きな出来事が起こることはなく時間は過ぎていった。


 表面上は俺とセイラさんの関係性に変化はない。

 学校の中で何かを頼まれれば引き受けるし、放課後も事務所を訪れて掃除から買い出しまで文句一つなくこなす。


 セイラさんも賭けをしているからといって殊更仕事を増やすような真似はせず、これまでの延長線が続いていた。いや、彼女は意識すらしていないのだろう。俺がいくらあがいたところで結果は変わらない。確信しているからこそ、彼女はああやって振る舞える。


 木曜日になっても、未だセイラさんのお題について検討はついていなかった。

 しかし、精力的に調べた結果わかってきたこともあった。


 彼女の名前を検索すると、いくつかの記事が出ていた。

 曰く、絶海の孤島で連続殺人事件に遭遇し、生還かつ犯人を言い当てたとか。

 曰く、バスジャック事件に遭遇し、言葉巧みに犯人を鎮静化させたとか。


 今年の四月を境に彼女の記事が途絶えている理由は定かではないが、今日までの出来事を通して彼女のことについて確かなことがある。


 それは――人間観察力がずば抜けているということだ。

 相手の言葉の真偽は当然として、ちょっとした仕草から本人でないと知り得ないような感情まで推測できてしまう。

 彼女からしたら相手の性格から心情まですべて筒抜けなのだろう。


 俺が契約をする直前に、一度似たような質問をしたことがあった。その時はこう答えた。


『簡単よ。私は君の目に興味があるの』


 最大のヒントになり得る気がするのだが、この言葉の真意は全く検討がついていない。


 放課後、教室をあてもなく出た俺の足は、無意識のうちに文芸部の部室に向いていた。扉を開けると、変わらない光景が俺を出迎えてくれた。

 椅子に座って本を読んでいた少女の顔がこちらを向く。


「ようこそ! ってもう騙されないからね。黒崎くん」


「騙しているつもりはないんだがな」


 見慣れたやり取りにむしろ安心感を覚える。


「黒崎くん、早速……そんな気分じゃなさそうだね。何かあった?」


 週に1、2回程度と顔を合わせる回数こそ多くないが、一年間という蓄積がある分、すぐに俺の強がりは見透かされたようだ。


「相談があるんだけどいいか」


 倉持さんは目をきらめかせる。


「任せてよ」


 どうやら頼られたことに喜びを感じているらしい。

 確かに、彼女はことあるごとに、頼み事がないか尋ねてきていた。これまで変化のない生活を送ってきたため、厚意に甘えようにも、相談する内容がなかった。

 一年という歳月超えてやってきた機会に、ある一種の達成感を感じているのだろう。


「で、いつも飄々としている黒崎くんが相談したいだなんて、いったい何があったの?」


 俺は少し考えてから話し始めた。


「先週と同じような形で話してもいいか? 今からとある高校生と、その職場の雇い主との間にあった出来事を伝えていくから、両者のその時々の心情を推測してもらいたい」


「ん~よく分からないけど。ようは国語みたいに物語を聞いて登場人物の心情を読み取るってことでいいの?」


 やっぱり彼女に相談したのは正しかったようだ。

 俺のしょうもないプライドと弱い心が引き起こした問題を、ただの国語の読み取り問題に例えてしまうとは。こんなにも簡単な状況だったかと脳が錯覚する。


「事は5月のある日から始まった」


 俺は自分の身に起きた事情について、なるべくモデルが俺であることを伏せて話進めていった。

 コンビニのバイト中クレーマーが現れたこと。

 クレーマー対処の際に助けてくれた人物がいたこと。

 その人物にスカウトされ、雇われたこと。


 話を進めていくなかでどうしても倉持さんが知る状況が現れてくる。俺は構わず進めていった。倉持さんも眉をひそめるのみで、話の腰を折ることはなかった。


「なるほど。彼は何故自分がスカウトされたのかなやんでいるんだね。でその理由が知りたいと」


 一通り話し終え、倉持さんはそんな感想も漏らした。

 おそらく倉持さんは、その物語のモデルが俺だということに気づいている。だが、それについて追求してくる素振りはない。あくまで相談相手に徹している。


「バイト中に見せた推理能力を買ったと考えるのが自然じゃないかな。例え本人がそう思っていなくても、傍から見たら適任と思われても仕方がないよ」


 それだけでは理由が薄いと言わざるを得ない。


「推理力のある人間ならどこにでもいる。それこそ彼女の通う大学には彼女の望みに堪えうる人材が山のようにいるはずだ。わざわざ凡庸な高校生を雇う理由がない」


「なら個人的に彼女が彼好んでいたとしたら?」


 考えたことがない視点だ。だがしかし、これも可能性としては限りなく薄い部類に入るだろう。


「理由としてはあり得ると思う。だけど彼女に限ってそんなことをお題の答えにするはずがない。もっとそうだな趣を重視するはずだ」


 理屈を抜きにした感想を言ったあとで、俺はそのおかしさに気づいて頭を抱えたくなった。

 これではこの話が実体験に基づく出来事であると言っているようなものだ。


「根拠も何もない回答ですまない。でも確かにそうだと言えるんだ」


「大丈夫だよ。私も当てずっぽうに言っているだけだし。ただ――」


 倉持さんは一呼吸要してから一本指を立てて口を開いた。


「まず彼女に理想を押し付けるのはやめて、もっと俯瞰的に物事を見た方がいいんじゃないかな」


 冷水を打たれたような気分になった。

 俺は期待されるのが嫌だと言っておきながら、いまだ彼女に理想を見ていた。


「それに黒崎くんはまるで彼女が聖人であるかのように語るけど、私にはそう見えないかな。よく分からないけど、その人って、他人から話し相手を強引に奪っていくような人でしょ。よく分からないけど」


 思わず微笑が口から溢れる。

 たしかに彼女からしたら、セイラさんの第一印象は最悪だろう。

 急ぐだけの理由があったのだが、それは倉持さんからしたら関係のないことだ。憤るのも無理はない。


「あともう一つ」


 倉持さんはもう片方の手の指を立てた。


「黒崎くん、自分を下げるのはやめなよ」


 かつてないほど、倉持さんの瞳は真剣だった。


「本気で自分は大したことないと思っているのかもしれないけど、大間違いだよ。君を好意的に思っている人がいることも忘れないでいてあげて」


 倉持さんはいい切ったあとで苦笑してみせる。


「任せてよ、なんて豪語しておいてごめん。私には力不足だったみたい。私にできることはたぶんこれくらいだから、あとは生かすも殺すも黒崎くん次第だよ。大丈夫、黒崎くんのことだからなるようになるよ」


 その後はいつもの読み合いを行うような雰囲気ではなく、自然と解散になった。


 ◯


 金曜日の朝。

 体育祭本番を明日に控えた教室には、抑えきれない興奮が混じり合っていた。


 今日は授業がない代わりに全体での予行練習が設けられており、いよいよ間近に迫りつつある本番を前に学校のボルテージは高まりつつある。


 ひと悶着あった体育祭Tシャツが、予定通り届いたこともそれに寄与しているのだろう。

 特に、ようやく学校に来ることができたデザイン制作者の田村さんは、実物を手にとって喜びの涙を浮かべていた。 


 校内放送に従って、クラスごとにグラウンドへ移動する。

 すべての移動が完了したあとで、体育の教師がメガホンを片手に指揮を取っていった。


 俺が参加する競技は、全員参加の徒競走と、男女別の騎馬戦、それから選択種目の綱引きだ。それに加えて応援合戦も行うことになる。

 応援についてはここ数週間練習を重ねていて、今回の全体を通した予行練習がそのまま最後のリハーサルとなるため、かなり熱が入っていた。


 この予行練習は、競技の部分は短縮して全体の動きを確認するものだったため、午前中のうちに全ての行程が完了してお昼休憩に入った。

 このあとは応援合戦の最終練習が行われる予定だ。


 教室で弁当を食べていると壁面上部のスピーカーからノイズが走った。

 どうやら校内放送で、最終日を迎えた教育実習生による別れの挨拶が行われるようだ。

 全5名の内、最後がセイラさんだった。


 当たり障りのない、前4人の話の流れを踏襲した内容が話される。

 教育実習生の皆さんありがとうございました、と最後に放送委員によるアナウンスが入り、校内放送は終了した。


 そのタイミングでポケットに入れていたスマホが振動する。

 本校では教室でのスマホの使用は禁じる体裁が取られているため、腕の陰で通知を確認する。


 この中途半端な時間の連絡は、案の定というべきかセイラさんからだった。

 食べかけの弁当を口に掻き込んで教室をでる。

 呼び出された先に着くと、セイラさんが座って待っていた。


「そこに座りなさい」


 セイラさんの正面の席に向かい合う形で座る。

 傍から見たら、教師と生徒による面談に映ることだろう。


「また何か頼みごとですか?」


「いや違うわ。ルイから私に聞きたいことがあるんじゃないかと思ったのよ」


 未だに俺の回答が形になっていないことに気づいているのだろう。

 そんなものはないと言いかけたが、これはチャンスだ。

 ここで期限が明日に迫ったお題の答えのヒント、あるいは取っ掛かりと掴むことができれば優位に立ち回ることができる。


「では一つ質問をさせてください」


「一つでいいのかしら?」


「はい」


 本当にそれだけでいいのか、という親切心からでた確認に俺は頷いた。

 カサついた唇を校内に巻き込んで潤してから言った。


「セイラさんは現在依頼を受けている最中ですか?」


 俺の想像が正しければ――


「そうよ。私は今も、とある依頼を請け負っている最中だわ」


 やはり、肯定した。

 一つ、俺の想像が進んだ。

 今はこれで十分だ。


「ありがとうございました」


 俺は席を立つ。


「明日、私の事務所で待っているわ」


 セイラさんの激励を背に受け、俺は外に出た。


 ◯


 時間いっぱいまで応援の練習をした俺たちのクラスは、教室に戻ってきた。

 荷物を取りに戻るという意味の他に理由がある。

 二週間お世話になった教育実習生のセイラさんへお礼を伝えるためだ。


 体育祭が控えているのに加え、普段は消極的な男子も、むしろ率先して準備を進めていた。


 クラスメイトからお金を寄せ集めて買った花束を、代表の横澤さんが受け渡した。

 セイラさんは驚いたような表情を浮かべ、それから嬉しそうに感謝を述べた。

 そこだけ切り取れば、誰からも愛される美人教師だ。


 一段落ついたところで、男子が一人手を挙げた。

 これから行うことを予め知っていたであろうクラスメイトが大きな声で煽り始める中、彼はセイラさんの正面まで進んでいく。

 こちらに体の側面を晒す形で、両者は向かい合った。


「紫月先生。俺と付き合ってください!」


 告白イベントだ。

 彼は片腕の前に伸ばし、腰を90度に折った。

 告白というよりはプロポーズのお手本のような体勢で、セイラさんの回答を待つ。

 誰もが口を閉じて、その瞬間を待った。


「ごめんなさい」


 確かに響いた断りの言葉に、彼は腕を力なく下に落とした。

 セイラさんは笑みを湛えたまま言った。


「未成年と付き合うのは犯罪になりうるもの」


 その一言に、ついに彼は床に崩れ落ち、教室は爆笑に包まれる。

 断られることは分かっていたのだろう。男子はガックリと首を落としたまま席に戻っていく。その様子がさらに笑いを誘い、しばらくの間盛り上がり続けた。


「二週間本当にありがとうざいました。いつかまた合う機会があったら話しかけてください」


 最後は帰りの挨拶をして、その場は解散となり、各々明日の体育祭に備えて早めに帰宅していった。


 学校の事情を知るコンビニの店長の計らいによって、今日はバイトがない。

 セイラさんからも今日は来なくていいと伝えられているため、俺は久しぶりに直接家に戻ることになった。


 降って湧いてきた空いた時間を利用して、俺は本格的な家の掃除を行うことにした。

 こまめに掃除機をかけるようにしているとはいえ、徐々にゴミは溜まってくる。ついでに整理整頓も行いたい。


「確かこれは……」


 衣服の収納棚を整理していると、見覚えのある封筒が出てきた。

 手にとって見てみると、俺はようやくそれの正体が分かった。


「愛にあげた部活の遠征費。まだ提出してなかったのか?」


 奇しくも俺がセイラさんのもとで働くことになった大きな要因の一つだ。

 あの日、妹から相談を持ちかけられなければ、数日後には制服のズボンにしまっていたことさえ忘れていたはずだ。


 少しの間考えた俺は、ひとまず元あった場所に戻しておくことにした。

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