続・学校に職場の上司がいる日常5

「君が、あさひと貴島が付き合っていると勘違いしてしまったのは」


 返ってきた反応は、驚きでも、拒絶でもなかった。

 一切の震えがなくなり、ただ静かに、見開かれた瞳から一筋の涙が流れる。


 俺は彼女の様子から心情を推し量ることができなかった。


「よかった……よかった……」


 胸元を握りしめながら、それだけをひたすら呟き続ける。

 学校のチャイムが鳴り響く。

 もう一限の授業が始まっている頃だろうか。

 未だ姿を現さない彼女に、クラスメイトは不安を募らせているに違いない。


 俺は鐘の音に身を委ねながら、今朝のことを回想した。


 ◯


 妹の愛が部活の朝練をしに家を出てからまもなく、俺も学校に向かった。


『今朝早く、学校に来てみることね』


 セイラさんが残したただ一つのアドバイスを当てにして、早朝特有の澄んだ空気を切るようにして自転車を漕ぐ。

 学校につく頃には肌が汗ばんでいたが、この涼しい空気によってすぐに相殺された。


 生徒玄関の鍵は開いていた。

 すでに来ている生徒がいるか、セイラさんが開けてくれたのかもしれない。

 どちらにせよ、入ることができれば問題がない。

 最小限の明かりしか点っていない校内に足を踏み入れる。


 扉の小窓から自分の教室を覗いたが、人の姿はなかった。

 電気をつけて、忍び込む。


「来る場所はここであっているよな」


 セイラさんは学校としか言っていなかったが、何かあるとしたらこの場所しかない。

 デザイン案が何者かによって盗まれた現場だ。

 各机には昨日の放課後に横澤さんが配ったプリントが置かれている。


 しかし、朝という条件が付け足されている理由が不明だ。 

 教室自体は俺の教室だから、入ることはいつだってできる。


「やっぱりそれしかないか」


 昼間と違う点、それは人の視線の有無だ。

 つまり、常識的にみてはばかられることをやれと言っているのだろう。


 他人がいるとできないこと。


 俺は一番手前にある机から順に、引き出しの中身を確認していく。

 ようは机の中の私物漁りだ。

 これは人がいるところではできない。


 机の中身はまさに人それぞれだ。

 全て持ち帰るか、ロッカーに片付けている者。

 最低限のものだけ残している者。

 プリントや教科書、果てはお菓子の袋まで雑然としている者。


 めぼしいものは中々見当たらない。

 残り4分の1程度に差し掛かった頃、他に何もないところに一枚だけ不自然に紙が残っている席を見つけた。

 引っ張り出して表を見ると――まさに探していた体育祭のTシャツのデザイン案だった。


「……」


 見つけることはできた。

 しかし、これで問題解決とはならない。

 そうでなければセイラさんがわざわざ俺を使った理由がない。

 他のことに目を向けるべきだ。


「この席は確か……」


 俺の席の右後ろ――古賀あさひの席だ。


 盗んだ犯人イコール席の持ち主と結びつけるのはさすがに安直すぎるだろう。

 仮に彼女が盗んだにしても、己の机の中に入れたままにしておくとは考えづらい。

 この席に盗んだものを入れることでメリットを得られる人物がいるはずだ。


「古賀あさひ」


 まずは彼女の人間関係について整理してみるとするか。


 ◯


 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。

 ようやく落ち着いてきた横澤さんは俺に話しかけてきた。


「どうして私がやったと分かったの?」


 その言葉は好奇心という意味合いが含まれているように思えた。


 想像で補った部分が大きかったため、彼女が犯人だと確信したのは、彼女がこの部屋にいたのをさっき確認ときだった。

 外れていたときのための保険も打っておいたのだが、博打と言われてもおかしくない作戦だった。


 俺は推理とは言えない憶測を話していく。


「俺はそうだな……後に話す出来事から、横澤さんが貴島と付き合っていたこと、貴島があさひを狙っていたことを知っていた。そこから考えていったんだ」


 まずは最初の憶測だ。


「たぶん横澤さんは、貴島があさひのことを狙っていたのを知っていたんだよな?」


「その通りだよ。ずっと一緒にいれば、アイツの視線が隣に向いているのに嫌でも気づくよ」


 横澤さんは惜しげもなく答えた。


「水曜日の朝、貴島からスマホで別れを告げられた横澤さんは、貴島に新しく彼女ができた可能性を疑った。そこでやはり脳裏に浮かぶのは、貴島が度々狙っている言動を見せていた相手、そう古賀あさひだ」


 表情を伺いながら語っていくが、ここまでは大きな間違いはないようだ。


「すぐに心配の連絡をしてきてくれて、慰めてくれたあさひに、次第に警戒を解いていったが、ここで耳にとある情報が舞い込んできた」


 これは不可抗力とはいえ、俺にも責任の一端がある。


「あさひが火曜日の放課後、同じ学校の男子と一緒に歩いていたという情報だ」


 ストーカーの正体を突き止めるため、俺がセイラさんの作戦に協力していた際の様子が、人づてに伝わっていったのだろう。


「誤解を招かないよう明言するが、あの日あさひと一緒にいたのは俺だ。それはおいといて、中途半端な形で伝わってしまった情報によって、パニック状態になってしまった。友人のことを信じたいのに信じきれない。そうして迎えた7限の体育の時間、確認のため教室に一人で戻ったとき、ふと思いついてしまったのだろう。再び貴島の彼女に舞い戻れる可能性のある計画が」


 あとは俺が早朝の教室で、デザイン案を発見した通りだ。


「あさひの机でデザイン案が見つかれば、当然彼女は疑われる。その場では疑われなくても、あとで原因を考えたときに古賀あさひの名が挙がる。そして横澤さんにはクラスメイトを掌握する力がある。あさひの評判を下げることは、やろうと思えば容易かったはずだ」


 全ていい終えて、横澤さんの顔を見ると、微笑みを浮かべていた。


「ほとんど正解だよ。でも一つだけ訂正させて。黒崎くんは優しいから気を遣ってくれたのかもしれないけど、この計画は貴島に別れを告げられたときからぼんやりと考えていたんだよ。偶然その機会がやってきただけで、古賀っちの胸の中で黒い感情を燻らせていたんだよ。目の前の本当にいい娘をどうやったら陥れられるかって……」


 最後の方は嗚咽混じりでうまく聞き取れなかった。

 それでも自身の行いを後悔しているという感情は十分に伝わってきた。


「だから……」


「待て。まだ話しておかなければならないことがある」


 このような結果に持ち込んだ以上、俺にはある説明責任が発生している。


「俺が二人と貴島の三角関係を知ったきっかけとなる出来事だ。あさひは君に秘密にしておくと言っていたが、この際全て言ってしまったほうがわだかまりが解消しやすいだろう」


「何があったの……?」


「ここ数週間、あさひはストーカーに悩まされていた」


「え」


 心当たりはなかったようだ。

 余程うまく隠していたのだろう。


「ストーカーの正体は貴島とつながりのある人物だった。問い詰めると、貴島に命令されて弱みを握るためにやったと答えた」


「そんなの……」


「真実を知ったあさひは怒り心頭に発して、直接貴島と言い合うことにした。そこであさひは貴島に君と別れるように、どうにか言い付けたんだ。友達が悪い男にいいように扱われているのは良くないと」


 これで最後だ。


「後でその録音を使っていくら俺を糾弾しても構わない。だけどこれだけは信じてくれ。たとえそれがお節介だったとしても、あさひは君のことを一番に思っていたんだよ」


 横澤さんが貴島をどのような人物だと思っていたかは分からない。

 いずれにせよ、陰でこんなことをしていたとは思っても見なかっただろう。


「ずるいよ……一番たいへんだったのは古賀っちの方じゃん。本当は私のことを助けてくれようとしてて……それなのに私は取り返しの付かない酷いことをして……。ここで逃げても私が得するだけで、古賀っちは悲しむことになるじゃん」


 おそらく彼女は心のそこでは自らの行いを後悔しつつあったのだろう。

 別れを告げられたのは事実だ。だけど、あさひが新しい相手とはまだ確定していない、自分の早とちりだったんじゃないか。

 本当にこれでいいのか。

 やっぱりやめてしまおうかとも思ったはずだ。


 だからこそ、わざわざ他の人よりも早く教室に来て、あさひの机の中を見た。


『よかった』あさひと貴島は付き合っていないと伝えたとき、しきりに繰り返したこの言葉も。

 計画が失敗したことに対する、本心からの喜びだったのだろう。


「私はたぶん弱い人間なんだ」


 横澤さんはぽつりと語りだした。


「だから復讐という分かりやすい手段に飛びついて、答え合わせをすることを恐れた」


 それから顔を上げて、俺の方を見た。


「黒崎くんにもしちゃいけないことをした。感謝しなくちゃいけない相手なのに。本当は誰かに止めてほしいと思っていたはずなのに」


「罪滅ぼしをしたいというなら、はやくみんなに顔を見せることだな。きっと心配しているはずだ」


 一限も後半に差し掛かっている頃だろう、これ以上は騒ぎが大きくなる可能性がある。

 そんなことを考えながら言うと、横澤さんは呆けたような顔をして、目尻を指で拭いながら小さく笑った。


「なんていうか黒崎くんってやっぱりちょっと厳しいね。泣いている女の子に言う言葉じゃなくない?」


「そうか?」


「いや。やっぱりいい。いまの私に求められていることがあるのなら、なんだってやる。やらなくちゃいけない」


 横澤さんは俺の横を通り過ぎて、出入り口の前で振り向いた。


「ありがとう黒崎くん。君がいてくれたおかげて私は取り返しの付かないことをせずにすんだ。代わりと言ったら変だけど、黒崎くんのお願いならなんでも聞くから何かあったときは言ってね」


 過ぎ去っていったと思ったが、すぐに顔だけ覗かせてきた。


「そういえば、いまデザイン案はどこにあるの?」


「教育実習生の先生に渡してある。今頃には発注が完了しているだろうな」


「そっかありがと」


 今度こそ彼女は去った。

 俺は扉を閉めると、椅子に座り机に体を預けた。


 すでに一限の遅刻または欠席は確定している。

 授業に出たところでやることは変わらないだろう。


 俺は睡魔に逆らわず、そのまま入眠した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る