続・学校に職場の上司がいる日常4
「お兄ちゃん、疲れてない?」
早朝。妹の朝練に合わせて一緒にご飯を食べていると、正面から妹の愛がおもむろに聞いてきた。
「愛みたいに運動部には入っていないけど、バイトをしているからな。平均的な高校生ぐらいの運動量はあるんじゃないか」
口の中のご飯を飲み込んでからそう答えると、なぜか愛は悲しそうな顔をした。
「……そういうことじゃない」
やはり俺は妹を悲しませるダメな兄のようだ。
それから妹が口を開くことはなかった。
◯
8時20分頃。最も生徒の登校してくる人数が多い時間帯に、学校の正門にたどり着くと、教育実習生の人が並んで挨拶をしているのが見えた。
セイラさん曰く、ほぼ強制のようなものらしい。
通り過ぎる生徒に挨拶をひたすら続けている。
その中に、前に人だかりができている教育実習生の人がいた。何を隠そう、俺の雇い主である紫月世羅さんである。
特に男子からの人気が凄まじく、付き合ってくださいと嘯く生徒もいた。
「……」
その集団の横を通り過ぎる寸前に、セイラさんの目線がこちらを向いた。
――昨日の記憶がフラッシュバックする。
昨日の放課後、部室に荷物を回収しにいく前に、俺はセイラさんにアドバイスを求めていた。
『デザイン案を盗んだ人物がいたのは確定でいいんですよね』
そうでなければ、俺を使う必要性がない。単に行方不明になっただけなら、見つけ出してしまえばそれで終わりだ。
『ええ』
『犯人が誰か分かっているんですか』
聞いてもセイラさんは口を開こうとしなかった。
実は俺には、犯人について一人だけ候補がいた。
あさひをストーカーして弱みを握るように仲間に指示をしていた貴島。
彼なら腹いせに、あさひのクラスのものを盗んでもおかしくないだろうと。
『彼なら軽犯罪を起こして停学中よ』
俺の頭の中を覗いたかのごとく、一瞬で否定された。
すっきりとしたラインを描く顎に手を当てて考える素振りみせ、一言俺に告げた。
『明日朝早く教室に来てみることね』
これ以上話すことはない、とでも言うように踵を返して遠ざかっていく。
『だって、そっちの方が面白いでしょう』
別れ際に放った一言は、間違いなく彼女の本音で、セイラさんの性格をこれ以上ないほど適切に表現していた。
教室には、そわそわとした空気が漂っていた。
今日中になんとかしなければいけない。だと言うのに、デザイン案の原作者は未だ欠席で、肝心の横澤さんもまだ登校していない。
焦りが、不安が、教室中に蔓延している。
時計の針が進む音が、いやに響く。
チャイムが鳴る寸前、扉が音をたてて開き、クラス中の視線が入り口を向いた。
「おはようございます」
セイラさんが担任代わりとして教室にやってくるのと同時に、チャイムが鳴る。
ついに、横澤さんは教室に来なかった。
これまで遅刻すらしたことがない彼女が、連絡すらなく学校に来ないというのは明らかな異常事態だった。
「少しいいですか」
俺は手を上げて、セイラさんに呼びかけた。
「お腹が痛いのでトイレに行ってきます」
教室を抜け出すことに成功した俺は、トイレのある方向へ進み、そのまま通り過ぎた。
四階にある、今はほとんど使われていない部屋に向かう。
入学してから一年以上、何度も通った進路をなぞって歩く。
目的の場所に到着した俺は、目の前の扉をがらりと開けた。
「今度は何をしているんだ?」
文芸部の部室。
俺が普段座っている席の周辺で屈み、顔だけをこちらに向けていたのは――クラスメイトが待ち望んていた横澤璃子だった。
彼女は俺のことを訝しげに眺め、ぱっと表情を明るくした。
「君はたしか昨日も話した黒崎くんだよね。もしかして、私を探しに来てくれたの?」
この状況にあっても彼女は普段通りであった。
いつもの笑顔、いつもの話し方。
むしろ不自然なまでに変わりがない。
「似たような感じだ」
「そうなんだ。でも大丈夫、もうちょっとしたら戻るから。みんなに安心するように言っておいて」
ともすれば言いなりになってしまうほどの発言力が彼女にはあった。
無条件で従ってしまうような、ある一種のカリスマ性。
誰よりもリーダーに相応しい人物だ。
だからこそ、言葉にしなければならない。
「それはできない」
「……どういうこと?」
断られたのが心外だったのだろう。
不信感を滲ませた瞳を鈍く光らせて、疑問を外に漏らした。
「横澤さんは教育実習生の紫月世羅に呼び出されたと思っているのかもしれないけど、彼女はここには来ないよ」
「君が私をここに呼び寄せたってコト? じゃあこれも君が?」
彼女が体の前で揺らす紙には『デザイン案は四階の地学準備室にある BY紫月』という文字列が印刷されていた。
これを用意したのは彼女の言う通り俺だ。
「正直に言ってくれないかな。君はどういう意図でこれを教室に置いておいたの?」
「最初に言ってたように、横澤さんと二人になるためだ」
俺は朝学校に来て、デザイン案を盗んだ犯人が横澤さんであると予想した。
彼女がここにいる、それによって今、俺の予想は確信に至った。
「一度俺の話しを聞いてくれないか? このままだと君が後悔することになると思うんだ」
「何を言っているのかよくわからないんだけど。人違いじゃないかな? 私はただこの紙に書いてあることを信じてこの教室に来ただけだよ」
もたらされた情報を信じてその場所にやって来たら、親しくもない同級生に変なことを言われて困っている。対外的に見たら、その言い訳は通ってしまう。
「まさか私を閉じ込めていかがわしいことをしようと思ってるの? やめときなよ。今日のことは黙っておいてあげるから」
だから、まず気づかせる必要がある。
「俺がその紙を置いたのは古賀あさひの席だったはずだ。なんで横澤さんが持っているんだ?」
これで彼女も確信に至ったはずだ。
デザイン案を盗んだ犯人が自分であると、相手は知っていると。
お互いが何も言わない沈黙の時間が流れる。
最初に打ち破ったのは、横澤さんだった。
あの笑顔を浮かべて、口を開く。
「ただ友達の席だったから見てみただけだって――きゃああああああ!! ヤメてっ! 黒崎くん、なんでそんなことするの。お願いだから触らないでよ!!」
横澤さんは、いきなり独りでに悲鳴を上げ、身を捩り、床に横たわった。その迫真の演技は、見ているこっちを動揺させるほどだ。
かと思えば急に立ち上がり、深呼吸をした。
スカートのポケットから引き抜いたものを俺に見せつける。
「全部録音しておいたよ。これが外にバレたらどうなると思う?」
彼女は脅しているつもりなのだろう。事実、これがこのまま世間にばらまかれたら、俺は社会的信用を失ってしまうに違いない。
しかし、言いたいことを言い切ってしまえば、その心配もなくなる。
「分かった。それでもいい。最後に一つ俺の質問に答えてくれ」
横澤さんは俺の態度に疑問を抱いたが、自分の優位は揺るがないと考えたようだ。
「何でも言っていいよ」
俺は確認を取った。
「横澤さん、あなたは水曜日に教室でデザイン案を盗んだ。間違いないか」
彼女は口を開きかけ、
「まずはその前に、君のスマホを出してちょうだい」
どうやら俺も録音している可能性を疑ったようだ。
やましいことはないので、素直に取り出す。
スリープモードを解除して、録音状態になっていないことを確認して。何もなかったことを確認した彼女は疑念の表情を深めた。
ややあって再び演技めいた態度に戻ると、呆れた口調で言った。
「何を言っているのか分からないよ。第一私が壁から取り外したのだとしたら、それを見ている人が必ずいるはずでしょ? いったい何時私が盗めたというの? しかも、なくなったのは私たちが体育の授業で教室にいない時だと分かっているの。どうやっても同じクラスの人が盗めたとは考えられないよ」
俺と倉持さんも考えたように、他クラスの生徒によるものだと暗に言って、しらばっくれた。
たしかに、一見彼女の言っていることは正しいように思える。
しかし――
「いや、君ならできたはずだ」
「あんまり適当なことを言うのはやめたほうがいいよ。最悪、この録音を流出させることだってできるんだからね」
俺にはセイラさんのように相手の嘘を見抜くことはできない。
だからひたすら証拠を突きつけていく。
「電気」
「え?」
「学級委員は教室の電気を消すことも仕事の一つだったよな」
水曜日の化学の実験の前、移動教室で取り残されていた俺をあさひが起こしてくれたとき、教室が急に暗くなった瞬間があった。ちょうど、横澤さんが、あさひへ早く教室を出るように催促したタイミングだったはずだ。
「なにを言ってるの……」
「学級委員なら自然に無人の教室に入ることができたはずだ。教室からクラスメイトが全員出たあとに活動場所までの道すがらで『教室の電気を消し忘れたかもしれないから戻るね』とでも言えば、クラスメイトは誰一人怪しむことはなかっただろう」
取り外した後に自分の荷物に忍び込ませてしまえば、紛失事件の完成だ。
「理由は? どうして同じクラスの私がわざわざクラスの評価を下げるような真似をしなくちゃならないの!?」
横澤さんは声のトーンを上げて訴えてきた。
単純明快な答えを提示してやる。
「古賀あさひ。彼女がいるからだろう」
「どうしてそこまで知っているの……!?」
横澤さんは怯えた表情で一歩後ずさった。
それが限界だったのだろう。腰を抜かして、その場に座り込んでしまう。
「別に責めるつもりはないんだ」
これは運の悪い事故のようなものだ。
不運が積み重なって、たまたまこうなってしまったに過ぎない。
「君が、あさひと貴島が付き合っていると勘違いしてしまったのは」
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