続・学校に職場の上司がいる日常3


「ちょっと彼を借りていくわね」


 セイラさんは倉持さんに有無を言わせぬ確認を取った。


「あ、え、ちょ、ちょっとまっ」


 いきなりの出来事に倉持さんは混乱が解けていない。言葉にならない声をただ繰り返している。

 そうこうしているうちに、俺は腕を引っ張られ、為すすべもなく廊下に連れ出された。


「待っ――」


 扉もパシッとしまり、完全にシャットアウトされてしまった。

 強引すぎる手段を取った当の本人は、平然と俺の目の前に立っている。


「さあ行きましょう」


 俺はただ頷くことしかできなかった。



 廊下の端まで移動したセイラさんは、くるりと向き直った。

 それに合わせて俺も足を止める。


「……」


 セイラさんは何も言わない。

 ただまっすぐ俺のことを見ている。


「急ぎの用があるなら言っ」


「どうして私のもとにすぐ来なかったの?」


 俺の発言に被せるようにして、セイラさんは問いを押し付けた。


「木曜日は部活の活動日でそれに参加していました」


「さっきの子がその部員?」


「そうです」


 こんなに余裕のないセイラさんは初めて見た。

 というか、これ……怒ってないか?


「はぁ。まあいいわ。私が連絡すればよかった話よ」


 と思ったら肩の力を抜いて、ため息を吐いた。


「教室にあるダンボールを持ってきてちょうだい。少し重いから階段に気をつけるのよ」


 俺は頷いて、すぐさま行動を開始した。


 ◯


 急いで自分の教室に向かう。

 入り口の扉に手をかけた俺は、動きを止めた。


 中に誰かがいる。


 居残りで勉強をしているのだろうか。それとも忘れ物を取りに戻っているのだろうか。

 わずかな間にあれこれ考えていると、教室の中から声がかかった。


「何をしているの? 用事があるなら早く入ってきなよ」


 女性の声だ。この声は聞き覚えがある。

 扉を横に引くと、あの古賀あさひの友人、横澤璃子が出迎えた。


 横澤さんは俺の顔をぼんやりと見て、


「君はたしか黒崎類くんだよね」


 嘘をつく理由はない。普通に肯定すると、彼女は会話を続けてきた。


「こんな時間にどうしたの? 忘れ物でもした?」


 俺に気を遣ったのか、それとも俺を怪しんでいるのか。

 偽りなく質問に答える。


「教室のダンボールを運ぶように言われたんだ。……たぶんあれかな」


 ふーん、と彼女は俺の指差す方向をみた。

 俺の言葉が全くの嘘ではないと認識したようだ。


「そっち何やってたんだ? 見たところ何かを配っているようだが」


「あ~これはね。先生に頼まれてプリントを配っているのよ」


 横澤さんは披露の色が混じった顔で苦笑する。

 学級委員は大変な立場のようだ。絶対にならないようにしようと心の中で誓う。


「ところで例の紛失事件の方はどうなんだ。ひとまず横澤さんが引き受けることになっていただろ?」


「問題ないよ。私に任せて」


 即答して、笑顔を見せた。

 そこに無理をしている様子は見受けられない。

 裏にある激情を見えなくしてしまうほど、彼女の笑顔が完璧だった。


「そうだ! 君は頼まれている最中なんだよね。邪魔してごめんね」


 いきなり声のボリュームを上げた彼女は、俺に軽く謝罪すると自らダンボールの方へ進み、手をかけた。


「結構重いらしいから俺がやるよ」


「いいって、いいって。私に任せてよ」


 彼女なりの誠意のつもりらしい。

 ふんっ、と女子らしからぬ掛け声を上げて持ち上げる。

 俺の近くの机の上に運び終えた頃には、彼女の顔は真っ赤になっていた。


「悪いな」


 俺はダンボールをそこからすくい上げるようにして持ち上げた。コンビニのバックヤードでの作業と要領が似ている。階段を登り降りしても問題ないだろう。


「力持ちだね! さすが男子!! さあ急ごう」


 俺は彼女に背中を押される形で教室を出た。

 振り向けば、扉の小窓から横澤さんが手を小さく振っていた。


 ――璃子ちゃんはとってもいい子だから


 俺はあさひのそんな一言を思い出しながら、セイラさんの待つ四階まで向かった。


 ◯


「持ってきました」


「ありがとね、ルイ」


 いつものセイラさんだった。

 彼女が指示した通り、ダンボールを足元に置く。


「ところでこれの中には何が入っているんですか」


「教材とか資料とかその他もろもろよ」


 仮に死体が入っていようと、俺には関係ないことだ。

 本題は別にある。


「セイラさんは今回のこと、どう考えているんですか?」


 学校の中で起きた事件らしい事件。

 探偵という能力が存分に生かされる場。

 有り体に言えば、俺は彼女が鮮やかに解決してみせるのを期待していた。


 だから彼女の返答に、俺は落胆を隠せなかった。


「今回は私の出る幕ではないわ」


「どういうことですか?」


 休業中と言っていた通り、俺は彼女に雇われてからの二週間と少し、直接的に彼女が事件を解決するのを見たことがなかった。


「今の私は教育者見習いの立場からしか生徒に関わることができないのよ」


 セイラさんの語る言葉には自嘲が混じっているようにみえた。


「例えば学校で殺人事件が起きたとします。私は事件現場から生徒を遠ざけて、教員と会議をして、傷ついた生徒の心のケアをして……それしかできないの。あとは警察のお仕事」


 事件現場を検証して犯人を特定するのは警察である。

 セイラさんはそう言っている。


「今回もそう。悪いことをした生徒がいたとして、事体が判明したあとに話を聞いたり、説教したりすることはできても、身勝手な思いで行動することはできない、求められていないの」


 誰に依頼されたわけでもないからね。セイラさんは小さく付け足して、それから、今までの言葉をなかったことにするように鼻で笑った。


「それが私よ」


「でも、この前のやつは……」


 あさひが同級生の男子にストーキングされていた事件。

 セイラさんは精力的に解決しようとしていたはずだ。

 それについてもセイラさんは淀みなく答える。


「私がしたのは生徒の話を聞いてあげたことだけ。その先も被害が続くようだったら、警察に相談するように助言していたでしょうね」


 ――あくまで私は教育実習生として生徒の悩みを聞こうとしているだけだもの


 セイラさんの過去の言動を思い返す。

 彼女がいま語った内容に即しているようで――矛盾していた。


 あの日確実にあさひが抱えていた問題を解決せんとアドバイスを……


「ッ!!」


 それに気づいた瞬間、彼女が暗に言わんとしていることが解った。


「俺がどうにかしろってことですか?」


 何も言わずに微笑む。

 肯定しているようなものだった。


 今思えば、セイラさんが参加できなくなったトラブルも予期していた……いや、はなから行くつもりがなかったのだろう。

 最初から言ってくれればいいのに……とは言えない。

 語ったことは紛れもない真実で、そこには葛藤もあったはずだから。


「それはそうとして、最初に怒っていたのは何でですか? いまの話には関係ありませんよね」


 未だに納得いっていないのが、いまセイラさんに尋ねたことだ。

 いくら考えても怒る理由が見当たらない。


「ぅっ……そうだったかしら?」


 俺は思わず瞠目してしまった。

 あのセイラさんが、僅かな間うろたえていた。

 その事実が俺の目を丸くさせる。


 いつものように腕を組んで立つ彼女は、顔だけを横に向けて言う。


「今後、その質問は禁句にするわ。これは命令よ」


 紫月世羅の言うことには必ず従うこと。

 現在の雇用関係が生きている限り、命令は拒否できない。


「……分かりました」


 俺は色んな意味で頷くことしかできなかった。


 ◯


 セイラさんと別れた俺は、荷物を取りに部室まで戻った。

 部屋の中は電気がついていた。


「あー色々と悪いな」


 倉持さんはまだ帰っていなかったようだ。

 鍵が開いていた時点で予想はついていたが、申し訳ないことをしてしまった。


「全然大丈夫だよ。学校にいようと家にいようとやることは同じだし」


 本を閉じて彼女は言うが、個人の時間を奪ってしまったのには変わりがない。

 倉持さんのことだ、俺の荷物をほっぽり出しておくのに罪悪感を覚えたのだろうか。


「あの人は確か教育実習生の人だよね? 何かあったの?」


 眉をひそめながら言う彼女の表情は、むしろこれが本題であると語っていた。

 無理もない。彼女目線では、セイラさんの強引さは常軌を逸していだろうから。


「急ぎの用事があったみたいだ。俺が後回しにしたのが原因だからあんまり悪く思わないでくれ」


 フォローを混ぜながら事情を説明すると、しだいに、満面の笑みへと移り変わっていった。


「へぇ~。つまり黒崎くんは私のことを優先してくれたってこと?」


「そうなるな」


 放課後。教室を出たあとに、部活動を優先したのは間違いなく自分の意志だ。

 それを伝えると、倉持さんは余計に表情を崩した。


「へっへ、へぇ~」


 時計を見る。

 もともと木曜日は遅めの時間帯にシフトを取るようにしているが、今日は色々な出来事が重なってせいであまり時間的余裕がなかった。


「バイトの時間がヤバいから帰りたいんだけど、鍵を頼んでもいいか?」


「任せてよ。黒崎くんのお願いなら何でも聞くから」


 頼りない握りこぶして自身の胸を叩く。

 少々危ない発言をする倉持さんに別れを告げて、俺はいつものコンビニに向かった。


 スタッフオンリーと書かれた扉を開くと、ちょうどバイト終わりと見られるあさひと鉢合わせた。


「あ! 黒崎さん」


「お疲れ……あさひ」


 慣れない名前呼びをすると、あさひは破顔した。


「はいっ」


 俺の対応は合っていたようだ。

 労りの言葉に肯定で返すのはどうかと思うが。


「あのっ、わたしにできることがあったら何でも言ってください」


 具体的な内容を省かれたあさひの言葉に、一瞬はてなが浮かんだが、すぐに思い当たった。


「ああ、何かあったら頼らせてもらうよ」


「はい、黒崎さんならできると信じています」


 これ以上の長話は業務に支障をきたす。

 店長に注意される前に、俺たちは解散した。


 ロッカーからコンビニの制服を取り出して、着替えながら考える。


 あさひは俺に期待している。

 それは俺がセイラさんに抱いていたものと形が似ていて。

 少し胸が苦しくなった。

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