学校に職場の上司がいる日常4
古賀さんにとって辛い事実が発覚しながらも前を向くことができた日から一夜明け、俺はいつもより一時間も早く学校に来ていた。
人気がない学校というものは、普段は遅刻ギリギリで投稿している俺にとって新鮮に映った。
世界から自分以外の人間が消えてしまったのだろうかという柄にもない感慨を覚えてしまう。
校舎の周りを移動して、昨日古賀さんと相談して決めた配置についた。
ここで待っていれば、木陰の裏からこれからやってくる二人の対話を見守ることができるはずだ。
準備が完了したことをスマホで古賀さんに伝え、その場で息をひそめる。
少しして、古賀さんが一人の男子を連れて、校舎裏にやってきたのが見えた。
先導する古賀さんに対して貴島らしき男子高校生が執拗に声をかけている。
「ようやく俺と話してくれる気になってくれたのかい?」
古賀さんは何も答えない。
ずんずんと進んで、ぴったり決めていた位置で足を止めた。
親の仇のような目で見てくる古賀さんを見て、やっと貴島は異変に気づいたのだろう。眉を怪訝に顰めた。
「恥ずかしいからわざわざ人目のつかないところまで俺を連れてきた――という訳ではなさそうだね」
ここにたどり着くまで、必死に感情を抑えていたのだろう。
古賀さんは前置きもなく直接問いただした。
「あなたが命令してわたしにストーカーさせてたって本当?」
ストーカーをしていた山田が我が身可愛さに嘘をついていた可能性もある。
最初にそれを聞くように忠告していたが、どうやらそれは杞憂に終わったようだ。
「チッ、山田のやつバレた上に俺を裏切りやがったのかよ」
貴島はここにはいない人物に向けて悪態をついた。
問い詰めるまでもなく、貴島は己の目論見を口にしていく。
「あーあめんどくせぇ。俺のもとに相談しにきたら颯爽と解決してみせるつもりだったのに。なぁ古賀ちゃん俺と付き合ってくれない?」
貴島の戯言に古賀さんは一切口を開かなかった。
「やっぱそうだよね~」
ヘラヘラと貴島は笑う。
自分が悪いことをしたとは一片も思っていない。そんな態度だ。
さすがに古賀さんも堪忍袋の緒が切れたのだろう。
「別れてよっ! 璃子ちゃんと早く別れて!!」
彼女がここまで大きな声を出したのは初めて聞いた。
日中だったら窓から生徒が覗いてくるであろう音量で、古賀さんは貴島に訴える。
「いいよ」
貴島はズボンに手を突っ込みながら、まるで遊びに誘われたかのような気軽さで答えた。
あまりにも簡単に了承を得られたことで、古賀さんは面食らう。
「嘘じゃ……ないですよね」
「もちろん。ただし、一つ条件がある」
だんだん先が読めてきた。
古賀さんは喉を鳴らして、次の言葉を待つ。
「彼女と分かれるということは俺の心にぽっかりと穴が空くことに等しい。俺は彼女を愛しているからね。ただ君がどうしてもと言うなら、彼女の代わりに俺の彼女にしてやってもいいよ」
「なんですか? ふざけているんですか!?」
「俺は至って大真面目さ。こちらが譲歩するんだから何か見返りがないと不公平じゃないか」
貴島は自分の世界に入り込んでいるようだ。
こういった相手には言葉が通じない。
古賀さんと草むら越しに目が合った。
別に俺はいつでも構わない、とアイコンタクトで伝える。
「……分かりました」
「お、随分と聞き分けがいいね。ようやくいかに自分がめぐまれていると気づいたのかい」
貴島は古賀さんの変化に気づいていないようだ。
「その代わり、ひとつだけお願いがあります」
「なんでも言ってくれたまえ」
「わたし不誠実な人間は嫌いなんです。だから、今ここで璃子ちゃんと別れると宣言してください」
貴島の動きが止まる。
彼女の発言に引っかかりを覚え、言葉の真意を探ろうとしているのだろう。
しかし、いよいよ見極められなかったようだ。
それとも眼の前の報酬に目が眩んだのか、貴島は古賀さんの提案を了承した。
「分かった。何をすればいい」
「璃子ちゃんの連絡先に『興味がなくなったから俺と別れてくれ』と送ってください」
「ん? 分かっているのか、お前あの子の友達だろ? 向こうからしたら友達に大好きな彼氏を乗っ取られら形になるんだぞ」
「構いません」
「ふ、ふふっ。いいねぇ君。友達だろうと容赦しない姿、嫌いじゃないよ」
貴島は不敵に笑いながら、意気揚々とスマホを操作し、古賀さんに見せた。
「これでいいか」
古賀さんはこくりと頷いた。
ひとまず第一の目標を達成できたようだ。
しかし気を抜くことはできない。
「ということで付き合った記念にこれから学校ざぼって遊ばない?」
友達を逃すことはできたが、今度は古賀さん自らが窮地に立たされているのだから。
最低限保っていた節度がなくなり、今にも体に腕が回されようとしている。
ゆえに古賀さんは起死回生の一手を打つ。
「ごめんなさい」
貴島は腕を振り払われたことに一瞬表情を歪めたが、すぐに戻した。
「悪い、今のは俺の配慮が足りなかった。これからゆっくり慣れていけばいいよ」
スキンシップを拒絶されたのは男慣れしていないのが原因だと考えたようだ。
恥ずかしさのあまり顔を伏せている古賀さんを見て、恥辱に塗れた彼女をゆっくり攻略するのも悪くないとでも思っているに違いない。
だから古賀さんが顔を上げた瞬間、貴島は面食らったような表情をした。
期待していた姿がそこにはなかったからだ。
「たった今大事なことを思い出しました。実はわたし
最初から最後まで一つも乱すことなく彼女は言い終えた。
騙されていたと思い至り、貴島の顔が赤くなる。
「ふざけたことを言うな! 俺は知っているんだからな、お前に彼氏どころか男友達一人すらいないってことを!!」
格下と思っていた女子に歯向かわれた事実に、口調が荒くなる。
「いるというなら今すぐここに連れてこい。さもなければお前、分かっているんだろうなっ」
流れは古賀さんが上手くつくった。
満を持して俺は木の裏から体を出した。
「――ここまでの話し、全て聞いてた」
◯
俺は今日の作戦にあたり、セイラさんへ協力を仰いでいた。
古賀さんの彼氏役をして相手に諦めさせる――セイラさんに作戦の概要を伝えると、彼女は大笑いした。
『ルイったらその姿であさひちゃんの彼氏を務められると思っているの?』
薄々自分て思っていたことだから、反論のしようがない。
『それもあるんですが、今後の学校生活に影響がでるのが嫌です』
古賀さんが男子に人気であるのは覆りようのない事実だ。
そんな彼女に彼氏ができたと知られたら、その相手に注目が集まるのは避けられない。
『どちらも解決する方法があるわよ。忘れたの? 私、モデル業もやっているのよ?』
俺の立ち姿を正面から見据えながら、続ける。
『ルイは素質は悪くないのよね。あと不摂生な生活してるでしょ。せっかく若いのにそのせいで体が傷んでいるわ。まあいいわ、今回は私に任せなさい』
早朝に事務所を訪れた俺はセイラさんになすがままにされた。
ワックスやなんやらされて、気がついたら、知らない人が鏡の前に立っていた。
『こんなもんかしら。必要ならあとで教えるから今日はこれで行きなさい』
お金が勿体ないという意識が働いて身だしなみに気を使う余裕がなかったが、こんなに変わるのなら仕事中は考えてみてもいいかもしれない。
――こうして俺は二人の前に姿を表した。
その反応は様々だった。
「ほんとにくろ――ッ。こほんっ、レイくんなの?」
「一応そのつもりだ」
古賀さんは驚き過ぎて、偽名の設定を忘れてかけている。
ルイの頭文字の母音を一つ進めてレイ。俺の名前を簡単にもじったものだ。
「何なんだコイツはっ。いきなり現れて訳の分からないこと言いやがって」
貴島は未だ急展開についていけていないようだ。
常に携えていた余裕は消え失せ、わなわなと声を震わせている。
俺が同学年の人物であると気づく素振りすらない。普段から同級生との関わりを持たなかったのが逆に功を奏した。
「こんな朝早くからわたしのために来てくれてありがとう」
機転を利かせた古賀さんが、俺の腕に抱きついてお互いの関係をアピールさせる。
相手を騙す必要があるとはいえ、密着がすぎるような気がする。
不用意に動かすのが憚れるような感触が腕に伝わっている。
「あなたの言った通り連れてきましたよ。彼がわたしの彼氏です」
「……悪いな」
何も言わないのも変だと思い、申し訳程度に言葉を付け加える。
「おかしい! 絶対におかしい!! お前ら俺を嵌めただろッ! このビッチっが」
あまり都合の良すぎる展開を前に、貴島は声を荒らげる。
古賀さんは貴島に顔を近づけると、
「べ~だっ! ストーカーさせてくるような人に言われたくありません!」
勝利の笑みで貴島を突き放した。
◯
その場を離れた俺はまず運動部のシャワー室を借りて髪のワックスを洗い落とした。
タオルで拭いて軽く乾燥させると、いつもの安心感が戻る。
髪を上げたままというのはどうにも落ち着かない。
「え~戻しちゃうんですか?」
「何のために変装したと思っている。クラスメイトだとバレないためだ」
「わたしは別にいいですけど」
「俺が嫌なんだ。噂が立つだけでややこしいことになる。ただでさえ古賀さんは人気があるんだからなおさらだ」
この前男子の会話でそのような話題に上がっているのを耳にしたし、現にクラスメイトの一人が非道徳的な方法で自分のものにしようと画策していた。
そんな彼女と親しい関係であると噂が立てば、厄介なことになるのは避けられない。
俺が顔を拭いたタオルをしまう横で、古賀さんはスマホを手に取った。
「璃子ちゃんから連絡がきました」
「対処法は考えてあるのか?」
古賀さんの友達からしたら、今朝唐突に彼氏から別れを告げられたことになる。
メンタルが相当参ってしまっているのは想像に難くない。
「うん。今回で璃子ちゃんはだめな男に引っかかりやすいっていうのがよく分かりました。入念に慰めた上で、わたしがいい男子を見繕ってあげます!」
彼女は自信満々に言うが、貴島に男友達すらいないと暴露されていたくせに、一体いつから自分に男を見る目が備わっていると思い込んでいるのだろう。
かと思ったら矛先が急にこちらを向いた。
「あ、でも黒崎さんには絶対紹介してあげません。璃子ちゃんはとってもいい子だから」
その発言は俺がダメ人間であると言っていることに等しい。
努めてモテようと思っているわけではないが、心にくるものがある。
古賀さんは俺に様子に気が付かないまま、続けて語っていった。
「それで……完全に忘れてしまえるくらいお互いに幸せになってやるんです」
からっとした太陽のような笑みを浮かべた。
一瞬、ほんの一瞬だけその笑顔に目が奪われる。
「黒崎さん」
古賀さんはこちらに向き直った。
必然と目が合う形になる。
「この数日間、本当にありがとうございました。感謝してもしきれません」
「お礼ならセイラさんに言った方がいい。俺は彼女の指示にしたがったまでだ」
「いえ、直接的にわたしを救ってくれたのは黒崎さんなので。最初にお礼をするなら黒崎さんって決めていました」
何を言っても引き下がりそうにない。俺は諦めて素直にお礼を受け取った。
「じゃあ俺は、先に教室に戻っているよ。古賀さんは友達に寄り添ってあげてくれ」
これで完全に依頼者と探偵(ただのアルバイト)の関係性は解消された。
二人で会うことはなくなるだろうし、学校ではクラスメイトとして関わることになるはずだ。
たまたまバイト先が一緒になった同級生――これまでと同じだ。
背を向けて歩き出した俺を呼び止める声があった。
「待ってください」
振り向いて待ったが何も言われない。
自分でもどうして声をかけたのか分かっていない様子だ。
ときおり何かを言いかけては、すぐに口の中に引っ込めている。
「どうしたんだ?」
「黒崎さんが離れていった瞬間、積み重ねてきたものが失くなってしまうような気がして……」
彼女はとりとめのない言葉を口ごもる。
幸いなことに、俺は彼女の疑問に対する答えを持ち合わせていた。
「失くなるんじゃない、元に戻るだけだ」
古賀さんは引きつった声を漏らし、
「嫌ですそんなの!」
ありったけの声で叫んだ。
俺にはどうして感情的になっているのか分からない。
中学生のときも似たようなことがあったのを思い出した。
年間を通したグループワークがあり、紆余曲折の末どうにか完成させることができた。発表会の翌週に、同じ班だった女子から全く同じようなことを言われた。
そのときも俺は理由がわからず、相手を怒らせる結果になった。
俺はあの日から一切成長できていないらしい。
「ごめん。俺はたぶん古賀さんを怒らせるようなことをしたみたいだ。でもずっとこうやって生きてきたから何が悪いのか分からないんだ」
古賀さんがどのような顔をしているのか、俯いたままでは分からない。
でもなぜか俺は顔を上げることができなかった。
「……分かりました。黒崎さんはそのままでいてくれて構いません。ですが一つだけ約束をしてください」
彼女の気配が間近まで迫り、華奢な手が俺の頬に触れた。
無理やり視線を合わせられる。
「古賀さんなんて他人行儀な呼び方はやめてください。あさひ――そう言ってください」
「それだけでいいのか?」
「うん。類がどれだけ距離を取ろうとわたしが距離を詰めるから。何度も何度も話しかけるから――」
彼女は微笑みかけた。
「そのときは、わたしを
セイラさんと同じようなことを言うと思ったが、あさひには一度その話を聞かせたことがある。
理由はさっぱりだが、それを模倣したのかもしれない。
その後、あさひは慌てふためいて俺から手を離し、顔を隠した。
少しして「今日も絶対話しかけるので覚悟しておいてください」と言い残してその場を去ってしまった。
◯
俺は依頼が達成された日の放課後に、セイラさんの事務所に行った。
今日は早く帰れたらしく、疲れからかオフィスチェアでぐったりと伸びている。
教育実習は大変だと聞くが、この様子だと想像以上なのかもしれない。
セイラさんは薄目で俺の姿を捉えると、ぱっちりと見開かせた。
「ルイ聞いたわよ。見事解決させたみたいね」
おそらくあさひが伝えたのだろう。
「はいこれ、受け取りなさい」
そう言って彼女はディスクの上の茶封筒を俺に渡してきた。
おそるおそる中を開くと、お札が入っていた。
「どうしてこれを?」
「契約通りじゃない。依頼達成に関与したら特別報酬を与えるって」
「そうですが、今回はお金が絡んでいないものですよね。いいんですか?」
こういうのは依頼金の数%が俺に入るものだと思っていたが違うのだろうか。
「舐めてもらったら困るわ。今は実質休業中だけど、夏休み中なんかは全国各地から引っ張りだこなんだから」
財力には余裕があるという回答が帰ってきた。
「今日はこれで帰りなさい。そのお金は好きなことに使うといいわ」
俺は追い出されるようにして紫月探偵事務所を後にした。
しかたなく家に戻った俺は、部活終わりでソファーに寝転がっている妹を呼び出した。
「愛。ちょっと来てくれ」
「なによ」
不機嫌そうに返事をしたが、俺の顔を見るとしぶしぶといった様子で体を起こした。
「前に部活の遠征費が必要だといっていただろう? これを使ってくれ」
今日セイラさんからもらった特別報酬とタンス貯金の一部を使い、妹の遠征費を捻出できた。
遠慮している愛に、無理やり押し付ける。
「やばいお金とかじゃないから安心してくれ」
「分かってるよそんなの」
お金を受け取った愛の顔に陰がかかっていたのが気になったが、単に後ろめたさがあったのだろうと処理した。
家族だから遠慮する必要はないというのに。
俺は制服から着替え、今日中にやらなければいけない家事を始めた。
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