学校に職場の上司がいる日常2
「この教室みたいだ」
放課後。俺は古賀さんを伴って、セイラさんから指定された空き教室に入った。
中は無人で、使われていない机と椅子が乱雑に配置されている。
「あのっ、わざわざ紫月先生まで話をつけていただきありがとうございます。その上最後まで付き添ってもらって本当に……」
「礼には及ばない。本当のことを言うと、全て指示されてやったんだ」
「それってどういう……」
人目につかないこの場所を利用して古賀さんに事情を説明しようとしたところ、ちょうどよく扉が開いた。
普段よりちょっとやつれて見えるセイラさんだ。
「実習記録を書いてたら遅くなってしまったわ」
やはり外での彼女の立ち振る舞いには華がある。
隣で古賀さんがごくりと息を飲んだ音が聞こえた。
「それで……あなたが依頼者なのかしら」
「はい。古賀あさひです! よろしくお願いします」
「畏まる必要はないわ。あくまで私は教育実習生として生徒の悩みを聞こうとしているだけだもの」
セイラさんは俺の方を見て言った。
「ルイ、机と椅子を用意してちょうだい」
「はい、ただいま」
「えっ?」「ん!?」と困惑する古賀さんをわき目に、俺は一対の席を向かい合うように設置し、それを横から見る位置に椅子をひとつ置いた。
席の片方に古賀さんを誘導すると、セイラさんは自ら向いの席に座った。
それを見届けてから俺は単体の椅子に腰を下ろす。
見るからに緊張している古賀さんへ、セイラさんは優しく微笑んだ。
「古賀あさひさん」
「ひゃい!」
「どんなことでも言ってくれて構わないわ。大抵のことなら解決してあげるから、遠慮なく言ってちょうだい」
古賀さんは握ったこぶしを太ももに押しつける。
縋るような目で見てきた彼女に、俺は頷きを返した。
素性の知れた相手がいるほうが多少は話しやすいだろう。
心の準備が整ったのか、古賀さんはポツリポツリと話し始めた。
「最初にそれに気づいたのは二週間くらい前だったと思います。いつも通り帰宅していると、誰かにつけられているような気がしたんです。曲がり角でそれとなく背後を確認したんですが、それらしき人影が見当たらなくて……。気のせいだと当初は思っていました。でも、それからというもの何回か同じことがあって……もう、怖くなってきて……」
聞く話だけで判断するとストーカーという線が大きいように思える。
果たしてセイラさんはこの話をどのように判断するのだろう。
「私はあなたの話を信じるわよ」
「ッ!?」
その一言は的確に依頼者の心に寄り添うものだった。
俺は見落としていた。彼女が最も恐れていたのは、相談しても誰にも相手にされないというとこだったのだ。
例えそれが更なる情報を引き出すための手法だったとしても、対処を怠るよりはよっぽどいい。
「信じてくれるんですか?」
「私は相手の目を見れば、本当か嘘かなんて一発でわかるの。その人物の人となり、抱えている事情の大きさまでもね」
まただ。
彼女は相手を説得するときにたびたび『目』というワードを引き合いに出す。
俺が自分をスカウトした理由を聞いた時も「目が気に入った」と返ってきたのを覚えている。
彼女には目に関する特別な能力が備わっているとでもいうのだろうか。
「もう少し詳しく聞いてもいいかしら。誰かにつけられていると感じるのは下校の時だけかしら、それとも他にもあるのかしら」
いままで意識していなかったのだろう。
ややあって回答が返ってきた。
「学校から帰っているときだけ……です」
「ありがとう」
セイラさんは腕を組んで思案モードに入った。
緊張の時間が走る。
だがそれは長くは続かなかった。
すぐに目を開いた彼女が単純明快な答えを口にしたからだ。
「尾行調査をしましょう」
告げられた計画を各自落とし込んだあと、念のため今日はセイラさんが車で古賀さんの家の近くまで送ることになった。
会話を交わしながら駐車場に向かっていく二人を見送り、俺は一人帰路につく。
『お前ら、同学年一番可愛い女子は誰だと思う?』
校門から出ようとしたタイミングで気になる会話が耳に入ってきた。
こっそり集団の背後に張り付く。
「やっぱり一番は古賀さんだろ」
「わかる男の理想を体現した容姿をしているよな」
「異論なし!」
タイムリーなワードが飛び出てくる。
彼らのことは学年集会等で見覚えがあった。となると古賀さんとは古賀あさひのことで間違いないだろう。
俺は学校における彼女の情報をほとんど知らない。
もっと情報収集を続けたかったが、これ以上は怪しまれる可能性がある。明日の計画のためにもこれ以上の追跡を断念した。
次の日の火曜日の放課後、俺は普段は全く乗らないバスに揺られていた。
隣の席には古賀さんが座っている。お互いに会話はなく無関心を装っているため、はたから見れば他人同士に見えるだろう。
窓の外の景色を眺めながら、昨日セイラさんから伝えられた計画を思い返す。
『尾行ですか?』
セイラさんの宣言を古賀さんは聞き返した。
『でも、つけられているのはわたしの方ですよ?』
とりあえず聞きなさいと言って、セイラさんは説明を始めた。
『まず気配を感じるのが下校時に限るということから、犯人は学校関係者もしくは熱心なストーカーに限られるわね。まあ大方知り合いの生徒でしょうけど』
ここまでは話を聞いていれば自然と推測できることだ。
『ここからが肝心な部分よ。あさひちゃんとルイには明日――二人でいっしょに帰ってもらいます』
俺はそれとなく古賀さんの様子を確認した。
視線は手に持ったスマホに注がれ、忙しなく指先を動かしている。
どうやら今のところは言いつけを守れているらしい。
というのも、その計画の際にセイラさんはある条件を俺たちに課したのだ。
『親しい雰囲気を出さないで、あくまで他人のふりをしなさい。その上で行動を共にするの。そうね……例えるなら、関係を隠している恋人みたいに』
これで絶対犯人は食いつくからと、自信満々に語った。
ストーカーの真似事をするような相手が、ターゲットがだれかと一緒に帰っているとなれば、気にならないはずがない。同行者とどういう関係であるのか調べようとするはずだ。
いわば俺たちは二重尾行の囮役にされたのだ。
セイラさんが今もどこかで監視しているはずだ。
どうやっているのかは俺も知らない。
知らない方が不審な動きをせずに済む。
大勢の客が下りるタイミングで俺たちも降りた。
このバスのなかに犯人がいたとしても、他の客の具合によっては身バレを恐れて切り上げてしまう可能性がある。犯人にはぜひとも尾行を続けてもらうために、あえて人の多い場所を選択した。
あとは商業施設が集まっているエリアを移動し続けて、その間にセイラさんが犯人を特定するという手筈のはずだ。
なお、これ以降は自由に会話して構わないらしい。
往来を歩き続けていると、不意にズボンから振動が伝わる。
スマホの画面をみると、セイラさんのアイコンがポップアップしていた。
『ごめん!! (手を合わせる絵文字) 指導教員に捕まったからあとは二人でどうにかして』
思わず足を止めてしまった。
それに気づいた古賀さんが近寄ってくる。
「どうしたんですか?」
俺は無言でスマホの画面をみせた。
「そういうことらしい」
「わたしたちだけで何をすれば……」
ネガティブになってしまうのも無理はない。
この作戦はセイラさんの力の依存する部分が大きいものだったからだ。
そもそもセイラさんはどうやって犯人を特定するつもりだったのだろうか。
候補は同校の生徒に限られているとはいえ、その中から一つに絞るのは容易ではない。変装をしている可能性もある。
「古賀さん、今は見られている感覚はあるか?」
「……分からないです」
古賀さんは目線を下げて、申し訳なさそうに言う。
「いやいいんだ。俺が感じてないだけかと思ったんだ」
先へ進んでいくと、賑わっているカフェが目についた。前面のガラス張りからは学生の姿も大き見受けられた。これは利用できるかもしれない。
「あそこに入らないか?」
指差す先を見て、古賀さんは目を見張った。
どうしたのだろうか。
「作戦の一環で行こうと思ったんだけど、だめだったか?」
「ううん全然問題ないよ。ただちょっと……緊張しているだけ」
見慣れない男女のペアが学生に人気な店に入る。
十分に謂れのない噂が立つ可能性がある行為だ。古賀さんにとっては屈辱的なことかもしれない。
「頭がそこまで回っていなかった。やっぱり辞めとこうか」
「ほんとに問題ないから! さあ行こっ」
場所を変えることを提案したのだが、何故か古賀さんは却下し、むしろ大股で歩く彼女に引っ張られる形で入店した。
扉を潜り抜けると、コーヒーの香りと何やら甘い香りが同時に襲いかかってきた。
初めて訪れる場所だ。場違い感があるような気がしてならない。
「ここ初めて来たんだけど、何すればいいんだ?」
「任せてください。きっと気に入りますよ」
急に頼もしく見えてきた古賀さんは店内をさらっと見渡して言った。
「混んでいるので、先に席を確保しちゃいましょう。どこか希望はありますか?」
どこでもいいと、口走りそうになったが、できることなら入り口を監視できる場所がいい。
開いている場所でよさそうなところを見繕う。
「あそこでいいか?」
「わかりました」
荷物を二人用のテーブルと椅子に置く。
これで商品を購入したのに座る場所がないという事態を回避するようだ。
満を持して店員のいるカウンターに向かう。
しばし待って自分たちの番がやってくる。
メニュー表には一目で把握できない量の種類が載っていた。メニューの量もそうだが、なによりその値段に驚く。コンビニコーヒーとは比べ物にならない。
「――でお願いします」
隣では古賀さんが呪文のような言葉を唱え終えていた。
「黒崎さんはどれにします?」
「じゃあ……同じのをもう一つ」
ぱっと見した中で一番安いドリップコーヒーを選ぼうと思ったが、こんな機会は二度とないかもしれないと直前で思い直した。
任せてください、と豪語する彼女に便乗する形になったがそれが吉と出るか凶とできるか実際に作られるまで分からない。幸い、セイラさんと新たな契約を結んだためお金には多少余裕ができる予定だ。
受け取りカウンターで完成したものを受け取る。
一般的なコーヒーやカフェラテとは程遠い様相を呈している。飲みものというよりは、パフェに近しい物体だ。
「早く席に座りましょう」
「あ、ああ」
俺はテーブルの前で手招きする古賀さんの元へと足を歩ませた。
席に着くやいなや、古賀さんはクリーム状の白い液体を付属のストローで吸い上げた。
頬に手を当てて、声にならない声を口の中で響かせる。ほっぺたが落ちそうとはまさにこのことかと、食べるのではなく見ることで実感した。
「いただかないんですか?」
一向に口につける気配がない俺をちらりと見て、彼女は首をかしげた。
「もちろん飲むよ。せっかく高いお金を払ったし」
古賀さんがやったことを模倣して、中身をかき混ぜてから、ストローで吸い上げて口に含む。
とんでもない甘さが口中に広がった。
「どうですか?」
「美味しいけど、半年に一回でいいな」
俺が率直な感想を言うと、何がおもしろいのか小さな笑い声を上げた。
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