学校に職場の上司がいる日常1

 一日を終え、コンビニのバイトも最後までやり遂げた俺は、即行紫月探偵事務所まで自転車を走らせた。

 電気はついている。教育実習生は忙しいと言えども、下校時間には帰れるらしい。彼女がどんな目に遭おうと関係ないが、このときばかりは都合がいい。


 扉を開けると、オフィスチェアに体を預けたセイラさんがだらしない恰好で出迎えた。


「おっ今日はいつもより早いね。どうしたの?」


 息切れするくらいの力で来たからあたりまえだ。


「セイラさんは知っていたんですか? 今日のこと」


 普段は平然と人の心を読んでくるくせに、わざとらしく考える素振りをみせて言った。


「私がルイの通う高校に教育実習生として現れたことかしら」


「それ以外に何があるんですか?」


「驚く必要ははないでしょう。だって私はその高校の卒業生なんだから」


 初耳だ。さぞかし先生方は苦労されただろうと予測できる。

 ……いや、プライベート空間では怠惰な彼女だが、対外的には自分をよく見せようとするきらいがある。案外完璧超人を演出していたのかもしれない。彼女にそれを可能とする力があることは、初対面の印象から分かる。


「そもそも学校で遭遇したからといって、どうしてそこまでムキになる必要があるのよ」


 セイラさんは口を尖らせてなんてこないように言うが、俺にとっては大問題だ。


「学校で俺に話しかけるのはやめてください」


「どうしてよ」


「せっかく静かに過ごしてきたのに、セイラさんのせいで台無しなりそうなので」


 元々俺は話すのが得意な方ではない。

 目立つのもいやなので、なるべく人と関わらず印象に残らないように努めてきた。


 だというのに、休み時間や移動教室のさえに俺を呼び止めてくるのだ。

 無視するのはおかしいし、変に親しげな姿をみせると関係性を怪しまれる。ただえさえ彼女は美人であり、ネットで検索でもしたのかモデルをやっているという情報も出回ってきている。すでにこの一日で疑念をはらんだ視線を何度か向けられていた。


「ふーん。私といっしょにいるの見られるのが恥ずかしいの? それとも不都合な理由でもあるわけ?」


「どっちでもないです。とにかく色々とめんどくさいのでやめてください」


「つれないなー」


 流石にこんな単純な罠には引っかからない。

 ちぇっ、と不満げに顔をそむけたセイラさんは、次の瞬間には不敵な笑みを浮かべて両手を合わせた。


「そうだ。学校にいる間も勤務時間として扱うのはどうかしら」


 一瞬意味が分からなかったが、素直に噛み砕いてみればとんでもない話だと分かった。

 もし彼女の言う通りになったら、期間限定ではあるが普通に生活しているだけでフリーター並みの収入が手に入ることになる。

 今すぐ飛びつきそうになるのを抑え、詳細が語られるを待つ。


「特別な条件はないわ。普段と同じように過ごしてくれればそれでいい。ただ最初に契約した規則は守ってもらうわ」


 二週間ほど前、俺は彼女と雇用契約を結んだが、当然いくつかの規約があった。

 特に影響度が大きいのは「勤務中は紫月世羅の言ったことは絶対厳守すること」というものであろう。もしこの条件を呑めば、学校にいる間も手足のように扱われることが容易に想像できる。ただ、漠然と過ごしていた学校の時間がお金を生み出す時間に代わるというのは何にも代えがたいほど魅力的だ。


 こういったうまい話にはたいてい裏がある。

 具体的に言葉にできないが本能が警鐘をならしている。だが背に腹は代えられない。結局、俺はお金に釣られる形で彼女の話を受け入れることにした。


 何かが頭に引っかかっている状態で迎えた翌朝のホームルーム前で、俺はようやくその正体について思い知らされた。


、ちょっとこの用紙ぜんぶ配っておいてくれる?」


 雑務を横流しされることは想像できていたからまだいい。

 もうひとつ、学校という場において特異的な条件を忘れていた。


「わかりました。


 周囲に聞かれないように最小限の声量で言う。

 セイラさんはひどく満足げに笑った。

 角度的に俺にしか見えていない。


 学校にいる間も勤務中扱いということは、彼女の命令の適応範囲である。

 つまり俺は名前呼びされても文句を言えない立場であるといえる。


 彼女のやること成すことは突拍子がないようにみえて、すべて計算尽くである。

 俺は顔面をひくつかせながら、束になった紙を配りやすいようにずらす作業を行った。


 〇


 教育実習の担当教室になると、担任に代わり教育実習生ホームルームをやったり、日々の授業の参観に来たりする。また研究授業が行われることもある。


 小学校と違い、高校では食事を共にするといった生徒との直接的な関わりはあまりなく、隙間時間に個別で話して親しくなるというパターンが多い。

 つまり俺は、これといった理由が見当たらないのになぜか教育実習生に都合よく扱われている異様な存在に見られていることになる。


 手遅れな気がしないでもないが、できるだけ露見しないように注意を払いつつ過ごし、昼休みを迎えた。

 セイラさんは教育実習生用にあてられた部屋にいるため、いまは安息時間と言っていい。


 いつものように鞄から弁当を取り出し、机の上に広げる。

 中身は最近クオリティーが上がっている冷凍食品と今朝解凍した白米。冷凍ご飯は余熱を取り除いて暖かいうちに冷凍庫につっこむのがコツだ。


「ちょっといいかな」


 箸を手にもったところで、耳元から声を掛けられた。

 持ち主は机の側面でしゃがみ込み、ひょこんと顔だけを天板の上から覗かせていた。


「わたし古賀あさひと言います!」


 突然の自己紹介に面食らってしまう。

 しかし、古賀とは最近どこかでよく見る苗字な気がするが……


「あのっ、バイト先がいっしょの古賀です」


 それを聞いて納得する。

 バイトでいっしょになった子が偶然同じクラスメイトだとは珍しいものだ。つい昨日似たような話があったのはノーカウントだ。


「ああ。もちろん知っているよ。俺に何か話があるのか?」


 バイトのシフトを変わってほしいとかだろうか。

 いや、それならスマホでやりとりすれば済む問題だ。


「気づいてませんでしたね……まあいいですけど」


 古賀さんは手のひらを机に押し付け、勢いよくその場で立ち上がった。


「そうです! 聞きたいことがあるんです」


 この調子だとバイト関連ではなさそうだ。かといって他に何も要件は思いつかないが。

 古賀さんは急に声をひそめて、俺の耳のそばで囁いた。


「正直にいってください。教育実習生の紫月世羅さんとはどういった関係なんですか?」


 何かしらの関係があると悟られることはあっても、直接聞かれるのはまだ先だと思っていた。

 他のクラスメイトの耳もある。穏便に済ませるために思考が回り始める。


「面識があるんだ。それをいいことに色々と雑用を任されているだけだよ」


「面識ですか!? いったいどこで? いつ??」


 尋問されいる気分だ。

 後ろめたいことはないとはいえ、馬鹿正直に話すわけにはいかない。


「コンビニで客として何度か会話したことがあるんだ。つい最近のことだ」


 バレない嘘をつくには嘘に真実を織り交ぜるのがいいと聞いたことがある。噓ではないが、正しくないことを即興でひねり出す。


「わたしは見たことありませんよ? こんな綺麗な人」


「俺の勤務時間全てが古賀さんと被っているわけじゃない。偶然見たことがなかったんだろう」


 うーん、と古賀さんは首を捻っている。

 そんな余裕はなかっただろうが、確実に一度は同じ空間にいたことがある。クレーマーが現れた日だ。あの時、隣でレジをしていたのが古賀さんだ。

 もしかしたらそれに思い当たる可能性もゼロではない。むしろこちらか質問をするべきか?


「古賀さんはどうして俺と教育実習生が知り合いって分かったんだ? まさか四六時中俺を見ていたわけではないだろう?」


 あからさまに彼女は表情を強張らせた。

 身体を再起動させた古賀さんは、急激に距離を詰めてきた。


「黒崎さんとわたし席が近いよねっ。それでいつも授業中寝ているのに今日は起きていたから気になってつい観察してたら、教育実習生があなたの席を通り過ぎるたびにやり取りを交わしていたのに気づいただけです!」


 ものすごい早口と剣幕でまくし立てた。

 声のトーンが高すぎて、クラスメイトも何事かと見てきている。


「わかったから落ち着いてくれ。彼女とはただの知り合いで、それ以上でもそれ以下でもなんでもない。ただ偶然面識があったってだけだ」


 もう一度まとめて伝えると、古賀さんは目を丸くした。


「そう……なんですか? ならいいです」


 どうやら気が済んだようだ。

 理由はよく分からないが。


 古賀さんは満足げな表情で踵を返したが、唐突に振り返って猫のような身のこなしで近寄ると、顔を寄せて囁いた。


「教育実習生と知り合いってことは、ネットにある彼女が探偵という噂は本当なんですか?」


 調べればセイラさんがモデルをやっているというのはすぐに分かることだ。しかし探偵という情報は、ネット上でも話半分の扱いである。審議を問うてみたくなったのだろう。


「そうみたいだ。検索したらホームページもある」


 曲がりなりにも俺はセイラさんの雇われの身である。それとなく宣伝してみる。

 ちなみにこのホームページは俺が最近リニューアルした。20年以上前の個人サイトのようなレイアウトを未だにしていたので、許可をもらい調べながらそれっぽくしてみた。


「ひとつお願いがあるんだけどいいかな」


 再び古賀さんは声を潜めて聞いてきた。しかし、先ほどとは打って変わって、表情には深刻さが浮き出ている。


 まさしくそれは、相談者の顔つきだった。

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