学校に来た教育実習生が職場の上司だった件について1

 わたしには最近気になっている男子がいる。


 その人は高校の同じクラスで、左前の席に座っている。といっても先日のとある出来事があるまで、ほとんど意識していなかったんだけれど。


 今も一限の授業だというのに机に突っ伏して寝ている彼の名は黒崎くろさきるい


 彼はこう見えて成績優秀者だ。

 最初は寝ている彼に先生も注意していたのだけれど、この前の定期テストでトップクラスの成績を叩き出してからは彼に口を出す先生は少なくなった。仮に当てられたとしても、問題を見て一瞬で答えてしまう。そうして何事もなかったようにまた寝始めるのだ。


 気になり始めた理由は自分でも驚くぐらいに単純だ。バイト先でクレーマー相手に為すすべがなかったとき助けてくれた男の人が彼だった。お礼を言ったときに見覚えがあると感じてよくよく考えてみたら名字が一致していて、ようやく同一人物であると気づくことができた。


 バイト中は年上だと思っていたので、同学年と判明したときは驚愕ものだったけれど、今では幸運だったと感じている。


 あっ、目を覚ました! 目を擦ってる。寝起きの姿、初めて見れた!


古賀こがさん。集中してください」


 全身に電流が流れたみたいに勢いよく背筋が伸びる。

 周囲からいくらかの視線をもらってしまったけど、先生はそれ以上は何も言わず問題の解説を再開したため、どうにか事なきを得た。安堵の息が漏れる。


 忘れてた。数学Ⅱの先生はとても厳しいんだった!


 その後はできるだけ黒板の方を見るようにして、やっとの思いで一限終了のチャイムを迎えた。



「はぁーあ。今日も話かけられなかった」


 バイト中は業務上のやり取りを交わすことはあったけど、プライベートの会話や学校で話せたことはこれまで一度もない。


 声を出せば届く距離にいるのに、なかなか勇気が湧かない。それでも意を決して口を開こうとすると、巡り合わせが悪いのか友達や先生に妨げられてしまう。そもそも彼はわたしのことを覚えているのだろうか。


 だめだ。こうなるとネガティブなことしか浮かんでこなくなる。


「古賀っち!」


「わぁっ!」


「ちょっと驚き過ぎよ」


 背後から近づいて腕をわたしの体に巻き付けてきたのは、学校でいつもいっしょにいるグループの女の子だ。いたずら好きなところがあるけれど、とっても可愛くてクラスのムードメーカー的存在だ。彼女と仲良くなれたのはわたしの高校史上最大の功績と言っていい。


「ん? なんかまた大きくなってない?」


「そんなことないよっ」


 手のひらをわさわささせながら璃子ちゃんが不穏なことを言うので、つい声を大きくしてしまう。


「嘘言ってもあたしの手は誤魔化せないぞ~」


 切りがないので体の向きを反転させて、どうにか腕を振り払う。追撃されないように、自分の腕で抑え込んだ。

 璃子ちゃんは苦笑交じりに言う。


「ごめんね、古賀っちの大きくて触り心地がいいからつい」


 璃子ちゃんはよくあがってしまうわたしにも隔たりなく話してくれる。今度ジュースを奢ってもらうことを約束して許してあげた。

 ちなみに、学年が変わってからまたワンサイズ上がったのは内緒だ。


「そうだった古賀っち、これからカラオケ行くんだけど来れる?」


 頭の片隅からスケジュール表を引っ張りだす。記憶によれば、今日はコンビニのバイトがあったはずだ。


「ごめんなさい、今日もバイトがあって……」


「謝る必要はないよ。バイトも大事な経験だし。ただ、男子たちからきってのご所望で……」


 学級委員も担っている璃子ちゃんは、男子の中でも一番イケてると言われている他クラスの男の子と付き合っている。そのためグループ同士の繋がりがあり、合同で遊ぶことがたまにあるのだ。


 なんていうか、これはとても言いづらいんだけれど、わたしはその……結構モテているらしい……


 これまであまりそういうことは考えたことがなかったので、バイトを口実に断る事が多く、その度に期待というか熱望の圧が高まっているのをひしひしと感じている。


 どこかでそのスタンスを表示しようと考えているけど、なかなか言い出す機会がやってこないのが現状だ。


 璃子ちゃんと別れ、私は一人で校門を出た。

 コンビニまではまずバスに乗って移動する必要がある。なるべく家の近くのコンビニをバイト先に選んだのだ。


 ちょうどよくやってきたバスに乗り、いつものバス停で降りる。


 コンビニまでの短い道のりで、背後に気配を感じたわたしははたと振り返った。


「……誰もいない」


 このところ似たようなことが何度も続いている。

 身震いをしたわたしは踵を返し、早足でコンビニに向かった。


 ◯


 探偵事務所の事務員という新しい仕事に就いてはや二週間。

 新たな仕事は想像していたものと全く異なっていた。


 最初の仕事といえば近くのコンビニへ使い走りさせられ、その後も仕事といえないような様々な要求をこなした。

 土日にはセイラさんが副業でやっているモデルの雑誌撮影に付き人として同行し、ちょっとしたトラブルの解決を任せられることもあり。

 最近では自宅部分にあるキッチンを借りて軽食を作ることも増えてきた。


 これまでにやったそれらしい仕事といえば、ホームページをリニューアルしたことである。

 傍から見たら俺はセイラさんの世話役にみえるだろう。実際その通りなのだが。


 とはいえ、給料の面で圧倒的に効率がいい。

 多少のことには目をつむれる。


 コンビニのバイトは相変わらず続けているため、そのシフトの合間を縫うように事務所に行っているが、この調子だと来月からはコンビニのシフトを減してこちらに回すのもありかもしれない。


「ルイ~家の戸棚からこっちまでお菓子取ってきてくれる?」

「今日はポテチの気分ではないわ。チョコレートが食べたい。棚になかったら買ってきて」

「あ、そうだ。も忘れずにね」


 相変わらずセイラさんの要求は多い。

 薄々思っていたのだが、セイラさんはかなりダメ寄りの人間ではないのだろうか。

 気がつけば当初彼女に思い描いていた完璧人間という幻想は崩れ去っていた。思い返せば、契約時にスナック菓子をナチュラルに持ち込んできたあたり、最初から鱗片は見え隠れしていたのかもしれない。


 買い物から帰って来た俺はセイラさんから次なるお題を課される前に口を開いた。


 やならきゃいけないことがあるんでそろそろ帰ります」


「りょーかい。……また明日もよろしくね」


 何か良からぬことを考えている顔をしていたが、いつものことなんで無視して巻き込まれる前に退散することにした。


 翌朝の金曜日。

 月初めの全校集会で事件は起こった。


「はじめまして。教育実習生としてこの学校に来ることになった――」


 体育館中にどよめきが走る。

 壇上に立つ彼女の美しさに目が奪われたのだろう。


 俺は彼ら彼女らとは別の意味で開いた口が塞がらなかった。


「なんでここにいるんだよ……」


 抜群のプロポーションと最強の顔面。

 そんな完璧な容姿に対して、その中身は残念であると俺は知っている。


 彼女の名前は……


「――紫月世羅です」


 怜悧な瞳が俺の姿を射抜いて、細められたような気がした。


 仕事場の上司が教育実習生として通っている高校にやってきた――それだけならまだよかった。

 全校集会を終えて教室に戻り、ややあって始まったホームルームでセイラさんが姿を現したとき、俺は運命の悪戯を感じずにいられなかった。


 せめて今だけでも俺の存在がバレないように気配を消す。


 そんな努力は虚しく、自己紹介の最後にセイラさんはほんの一瞬だけ視線を彷徨わせ、俺の姿を認めるとにっこり笑った。

 頭を下げた彼女を歓迎の拍手が包む中、俺は一人呆然としていた。

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