バイトでクレーマーを撃退したらなぜか探偵事務所にスカウトされた3

 受け取った名刺に目を通した俺は迷うことなく口を開いた。


「怪しい誘いは断るようにしているんです」


「いい心がけだわ」


 彼女は一切表情を変えることなくそう言ってのけた。


「で、どう? 入ってみる気はない?」


 この女性は客観性というものが欠けているのではないだろうか。

 彼女の容姿に釣られて入ったが最後、あれこれ言いくるめられて高額な商品を購入させられても不思議ではない。新手のハニートラップと言われても納得できる。金のない学生を相手にする必要性は見えてこないが。


 もう一度確認したがやはり見間違えはなかった。


 ――紫月探偵事務所 紫月しづき世羅せいら


 きちんと住所から電話番号、メールアドレスまで記載されている。しかし、これを怪しいと言わないで何を怪しいと言えるのだろう。


 しかもよくありがちな芸能事務所とかではなく、探偵事務所とかなんとか書かれてある。

 これといった特徴のないどこにでもいるような男子高校生に声をかけている時点で怪しさ満点だが、探偵事務所と意識した上で改めて状況を整理してみても、何らかの犯罪に加担されられそうな気がして余計怪しさが増してくる。


 やはりそれとなく断り、穏便に済ませるのが最善の択だろう。


「この場では決められないので一度考えさせてください」


「そう? 分かったわ。いつでも連絡待っているから」


「では失礼します」


 意外にもすんなりと帰してくれた。こちらとしてはありがたいが、わざわざ俺のバイトが終わるまで待っていたにしては、身を引くのが早すぎる。


 それにあの表情は何だ?


 まるで未来を見通しているかのような余裕を感じさせる。物事が全て自分の思い通りに進むと信じて疑わない、そんな表情。あえて泳がされている被食者のような感慨を覚えたのは気の所為だろうか。


 俺はそんな違和感を頭に抱えながら自転車に乗った。

 路側帯に出てしばらく進み、背中に視線を感じなくなったところで足を止め、振り返った。とうにコンビニは視界から消え去っている。

 俺は再びペダルに足をかけ、帰路についた。



 信号の待ち時間、さっきの出来事が脳裏から離れず彼女の名前を検索してみると、いくつかそれっぽい記事がヒットした。


『現役大学生探偵! 偶然居合わせた現場で犯人逮捕に協力!!』

『今話題の美人モデルの裏の顔!!』


 トップに上がっている写真の顔。

 それはついさっき面と向かって話したあの女性の顔と、まるで同じそれだ。


 どうやら彼女の話は全くの嘘ではないらしい。一定の社会的信用がある人物のようだ。だからといって、あのスカウトを承諾しなかったことを後悔しているわけではないが。


 信号が青になる。

 横断歩道を渡ってもう数分すると住まいとしているアパートが見えてきた。


 外観は決して綺麗だとは言えない。一目で年季が入った建物だとわかる。

 雨よけの下に自転車を停め、踏みしめると不穏な音がする階段を登り、一番手前のドアノブに鍵を差し込む。


「ん?」


 手応えがない。どうやら既に鍵は開いていたようだ。

 そのままドアノブをひねり、中に入る。無意識に動きが慎重になる。


 鍵が開いていたのにも関わらず、部屋の中は暗かった。誰もいないのかと思ったがそうではないらしい。リビングのソファーの背後からぼんやりとした光が漏れ出ている。


 軋む床を遠慮なく踏みしめて突入すると、壁を手でまさぐってスイッチを入れる。数秒して部屋の白熱電球がはっきりと灯った。


「帰っていたなら電気を付けろ」


 部活帰りと見られる妹がジャージ姿のままソファーでスマホをいじっていた。


「電気代がもったいないじゃん」


「鍵が空いているのに電気がついてなかったら空き巣を疑うだろ?」


「次からは気をつけまーす」


 明日にはまた同じことで注意してそうな返事だ。

 制服をハンガーに掛ける作業をしていると、背後から妹の視線を感じた。だが妹の方を見るとわざとらしく視線を反らしてくる。


「言いたいことがあるなら言っていいぞ」


 ずっと同じ空間で生活しているのだ。言葉がなくてもしたいことはある程度わかる。


「え~と、8月に部活の合宿があるみたいなの。だからその……」


「お金が必要ってことか?」


 数多の中でそろばんを弾く。決してお金を抽出できないわけではない。

 わずかな沈黙を妹がどう勘違いしたのかしらないが、慌てて付け足してきた。


「分かってる。理由つけて断っておくから」


 兄として決してそのような事態は避けなければならない。

 どう言いくるめるか考えていると、ハンガーにかけた制服のポケットから一枚の紙がひらりと落ちてきた。


「待て。あてがある」



 翌日の放課後。

 俺はバイトのシフトを変わってもらい、代わりに初めての建物を訪れていた。


 眼前の女性の柔らかそうな唇が、にやりと歪む。


「で、見るからに怪しい事務所にのこのことやってきたってわけ?」


「……はい」


 俺は紫月世羅に俯いて返事をすることしかできなかった。

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