バイトでクレーマーを撃退したらなぜか探偵事務所にスカウトされた

「MサイズとSサイズのコーヒーの量を頭に入れておけば一目瞭然です」


 俺はカウンターに置かれた同サイズの2つのカップのコーヒーの量を比較させながら説明をした。


「これはネットで調べればすぐに分かることですが、Mサイズのコーヒーの量はSサイズの1.5倍程度と相場が決まっています。対してお客さまが持ち込んだコーヒーカップには多く見積もっても通常の半分程度の量しか入っていません。ボタンの押し間違えがあったとても、必ず半分以上の量が入っているはずです」


 仮に男が購入したのがLサイズだったら、半分しか入っていないという状況もあり得た。LサイズはSサイズのちょうど二倍ぐらいだ。


「そ、それは最初に……くっ」


 そうだ。

 また男は最初に一度も口につけていないと明言している。これによって飲んだ後に違和感に気づいた、というもう一つの逃げ道も失っているのだ。


「これは十分こちらにミスがなかった証拠と言えるのではないでしょうか」


「ちっ」


 反論は特に思い付かないようだ。

 俺は満を持して決定的な証拠を突きつけることにした。


「これはただの想像ですが――もしかしたらコーヒーを外で零してしまったのではないでしょうか」


 不手際でコーヒーを半分以上零してしまい、その行き場のない憤りをコンビニの店員にぶつけてしまった。とある理由から俺は最初からそう考えていた。


「見ていないくせに、なぜそうと言えるんだ!?」


「あなたの格好ですよ。最初にあなたがコンビニに入店してきたとき、スーツのボタンは外されていました。ところが今はボタンがきっちりと止められています。何か理由があったのではないですか?」


 現在の時刻は午後六時あたりだ。仕事終わりと見られるサラリーマンが、スーツを整え直す理由が見当たらない。気温がぐんぐん上昇している季節に、彼のようなメタボリックな体型の男性が、訳なくボタンを締め直すことがあるだろうか。


「もしよろしければ、スーツのボタンを外されてはいかがですか? お見受けしたところずいぶんと暑苦しそうですので」


 効果は覿面てきめんだった。

 男は苦悶の表情でレジのコーヒーカップをつかみ取り、残りのコーヒーを一気に飲み干すと握り潰し、そのまま店の外に出ていってしまった。


 推理が間違っていなかったことに安堵するとともに、俺の脳内にはとある想像が浮かんでいた。

 彼は悪気があってあのような行動を取ったのではない、という希望的観測だ。


 さっき男のスーツが最初は閉じられていたと言ったが、実際に見ていたわけではなかった。だが彼がであったがゆえに違和感を覚え、この推測に至ることができたのだ。


 普段はレジを去る際に頭を下げ返してくれる礼儀正しい人だった。


 仕事やプライベートでストレスが積もり、ちょっとしたことがきっかけでトリガーが引かれてしまったのではないだろうか。

 だからといって無関係の人間に振り回すのは褒められた好意ではないが。



 その後は何事もなかったかのように業務が再開した。

 店長が帰ってきた際に事の顛末を伝えると、今度からは困ったことがあったら自分に連絡するようにと言い聞かせられた。今回は偶然うまくいったが次回はどうなるかわからない。ごもっともな話だ。


 そういえば途中で手助けしてくれた女性だが、目を離した隙にコーヒーと共に姿を消していた。お礼を言いそびれてしまったが、俺がここで働いていればそのうち会う機会もあるだろう。


 こうして本日のバイトの時間が終わった。


 制服に着替えて、出入り口をくぐり抜ける。夕暮れの空に迎えられるこの瞬間が嫌いではない。適度な疲労感がむしろ清々しさを与えてくれる。

 いつものように自転車で帰ろうとすると、俺の自転車の前に人影があるのを発見した。


 その機会とやらは思ったよりずっと早く現れたみたいだ。


「さっきぶりね、黒崎くん」


 事態が事態だったために意識する暇がなかったが、改めて対面してみると芸能人レベルで容姿が整っているのがわかる。背の高さは女性の中では高い分類に入るだろう。ラフな格好をしているが体はメリハリがあり、腰に当てた手のひらは目の錯覚を疑うほど内側に置かれていた。


 名乗った覚えはないが、バイト中は名札を首から下げているし、あの時はバイトの子から名字を呼ばれた。彼女が覚えていてもおかしくない。


「先ほどは助けていただいてありがとうございました」


「頭を下げる必要なんてないわ。たいしたことしてないし」


 その言葉は謙遜ではなく、本当に何とも思っていない声色をしていた。


「それで俺に何か用があるんですか?」


 頭を上げた俺は本題に入った。わざわざバイトが終わるまで俺の自転車の前で待っていたのだ。何かしら俺に話したいことがあるとみて間違いないだろう。


「話が早くて助かるわ」


 彼女はライン上を歩くかのごとく一直線に近づくと、懐から手のひらサイズの紙を取り出して俺に渡した。


「あなた私の事務所で働かない?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る