第18話

 俺とシャノンを取り囲むように黒服の男たちは距離をつめてきた。


 その服装に俺は心あたりがある。まさかこいつら、教義省の異端審問官の連中じゃないだろうな。


 教会の三大武力の一角がまさかの教皇候補の排除に使われていることに呆れるよりも先に俺は奇妙な感動を覚えた。


 ロメンドレス卿ほどの権力を手に入れれば教会の武力を完全なる職権乱用で私用しても誰も文句を言われないのだろう。なんと素晴らしいことなのだろうか。


 俺は心底ロメンドレス卿に嫉妬した。


 あのクソジジイは俺が欲するものを全て手に入れている。あんなに豪勢な屋敷も、立派なご馳走も、なにもかもをだ。


 ロメンドレス卿への羨望に心を乱されながらも、俺はひとりの男が剣を大きく振りかぶっているのを見逃さなかった。


 全身に走る嫌な予感とともに俺は脇に身をそらす。


 とたん、今まで俺がたっていた石畳がすっぱりときれいに切断された。


「ハハハ、お前のものを金に変えるとかいう卑しい奇跡とは違って俺の奇跡はもっとずっと優れている! 俺は剣撃を飛ばすことができるのだ!」


「そうか。」


「ぐはぅ!?」


 なんだか自慢するように剣を掲げていたのでその隙を見逃さず近寄った俺は腹部に重い一撃を見舞った。一瞬で気を失った男が倒れる。


 こいつは馬鹿なのか? なんでいきなり自分の手札を明かしたりしたんだ?


 俺が困惑していると、背後から忍び寄ってきた数人の黒服の男が切りかかってきた。飛びずさって距離をとる。


「あ、アドライト……!」


 ふと視線をあげると、ほかの男たちがシャノンを連れ去ろうとしていた。


 なるほど、先程の馬鹿は俺を囮としておびき寄せるための罠か! してやられたとばかりに俺は舌打ちをした。


 そう考えると石の上で馬鹿面をさらして白目をむいているあの男が段々と策士にみえてくる。


「……うぐう、俺は無敵の剣士なんだぞぅ。」


 ……いや、あのたわごとからするにそれは無理があるな。たぶんあいつは真正の馬鹿で、それを仲間にいいように使われているのだろう。


 ともかく、今はシャノンだ。


 俺は懐からひもを取り出し、それをシャノンにむけて放り投げた。先に重りがくくりつけられているその紐がシャノンの胴にまきつく。


 瞬間、俺は全力で奇跡を解放した。


 すさまじい速さでひもが金に変わっていく。その先でつながっているシャノンのドレスが純金に変わるまで一瞬だった。


「ぐっ、重い!?」


 今までシャノンを抱えていた男たちがその重さに思わず手を放してしまう。ずしんと音をたててシャノンは地面に横になった。


「へ……!? アドライト……これ………なに………!?」


 珍しくシャノンが大声をあげているが、無視だ。


 もとよりシャノンが足手まといになるのは目に見えていたので、俺は対策を用意していたのだ。


 シャノンは教皇候補なので、神の加護がある。シャノンを傷つけようとする刃やら毒やらから完全にその身を守ってくるそれは一介の聖職者にはどうしようもない。


 だからこそ、俺はシャノンの身を守る必要はない。シャノンが連れ去られることがなければいいのだ。簡単な話、純金に変えたシャノンのドレスは碇である。


 恐らくは俺がャノンを守っているところをめったうちにするつもりだったのだろう黒服の男たちがうろたえた様子をみせる。


 そんな考えは誰でも思いつくに決まっているだろう、愚かな連中だ。


 俺は近くにいた黒服の男の頭部に拳を放った。黄金に変えられた頭が宙を舞い、石の壁に鈍い音をたてて衝突する。


 不利を悟った黒服の男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


 さすがに引き際はわきまえているか。仲間の死体も気絶したあの馬鹿剣士もすべて回収していった男たちの手際のよさに俺は舌を巻いた。


「……それで、あたし……どうすれば……いいの………?」


「俺をいったい誰だと思っている? お前にやらせている試練の彫像に比べればたたいしたことなどないぞ?」


 黄金にくるまって地面に転がっているシャノンをひろい、俺は夜の聖都へと駆けていく。すぐにロメンドレス卿の屋敷はみえなくなった。




 広間に残り、ワインを味わっていたタウレス卿のもとに、ひとりの黒い祭服を来た聖職者が近づく。耳打ちをうけたタウレス卿が口を開いた。


「用意していた教義省の刺客ですが撤退を判断したようです。奇跡を授かった精鋭もいたのですが、やはりあの修道院の修道士なだけはありますね。」


「……それは実に困ったなぁ。アドライトの一族は西の商人と結びついて教区内で多大な影響をもっておる。さしものわしとてそうやすやすとは手を出せんからの。」


 暗にアドライトの親族を襲撃することまで念頭においていることを示しながら、ロメンドレス卿は困ったようにまなじりを下げた。


「シャノンに直接の説得はできん以上、あのアドライトのみがとっかかりだったのじゃが。いろいろとしくじってしもうたのぅ。」


 シャノンの父をふくめた親類はみなアドライトの父を頼って西に逃げてしまった。教皇候補は神の加護がある限り傷つけることなどできるはずがない。


「そもそもシャノンなどという泡沫の人間、見捨てればよいのではないかと思うのじゃが、どうしてそこまであのアドライトという人間に執着するのじゃ、タウレス。」


 それに、そもそもロメンドレス卿はアドライトやシャノンのことを気にもかけていなかった。


 枢機卿の大半をこちら側で固めている以上、サンティロンが次代の教皇となることは確定である。それなのにタウレス卿は常にアドライトに気をはらっていた。


「……わたしは怖いのですよ。」


「ふむ? これはおかしなことをいうものだな。教義省の頂点にたち、聖職者の罪の暴露を一身にになう君が恐れるものなどないだろう?」


 タウレス卿の言葉にロメンドレス卿が眉を持ちあげる。今まで政敵を全て異端として排除してきたタウレス卿は、すでに教会内でも一二を争う権力をもつからだ。


「確かに、わたしには枢機卿の方々もふくめて断罪する任をうけております。ですが、だからこそその力が及ばないものが怖くてしかたがないのですよ。」


 ロメンドレス卿はタウレス卿の言わんとすることをすぐに理解した。


 教会の権力の頂点は教皇であり、そのもとの教義省によって発せられる破門は全教徒の生死を握っている。たったひとりの例外を除いて。


 聖イグラネウス修道院の奥深くに潜む怪物、グロリヤ。


 その人間の領域を超えた狂気と力で数百年前から修道院を治める伝説的なかつての勇者の仲間。


 今まで優れた武力をもつ修道院を手中におさめようと何人もの教皇がグロリヤを排除しようとした。暗殺を試み、軍勢をさしむけ、懸賞金をかけられる。


 だが、そのすべてが徒労に終わった。


 翌日のうちに大聖堂へと戻ってきた暗殺者の体は原形をとどめていなかった。軍勢は数日のうちに死体の山へと変えられた。そしてなによりグロリヤは死ななかった。


「そんなグロリヤが初めて弟子に興味を抱いた、抱いたのです。そのことがわたしにはあまりにも恐ろしい。」


 タウレス卿の指がかすかに震える。


「あのグロリヤがそれほどまでに入れこんだ人間が正常であるはずはありません。その異常がなんであれ決して油断してはいけないと、そうわたしは思うのです。」


「まぁ、落ち着くがいい。相手は枢機卿ではないのだから我らが教会内で絶対的決定権を握っていることに違いはないではないか。そう怯える必要はなかろう。」


 タウレス卿を励ますようにロメンドレス卿が肩を叩く。


 その目にはうっすらとあきれたような色が浮かんでいた。ロメンドレス卿はタウレス卿がなぜそれほどまでに怯えているか理解できないのだ。


 狭い聖都の中で生きてきたロメンドレス卿は結局のところ物事をすべて権力闘争でしか捉えられない。


 そして、そこでは暴力など意味をもたなかった。大切なのは根回しと陰謀だ。


 だからこそ、ロメンドレス卿は気がつくことができなかったのかもしれない。タウレス卿の瞳にはっきりと失望の色が浮かんでいることを。


「さてと、わしはもう寝るよ。明日はまたグロロバレス大司教のもとへご機嫌伺いにいかねばならぬからな。」


「……それはそれは、こんな夜分遅くまで失礼いたしました。ごゆっくりとお休みください。」


 タウレスはまるで爬虫類のような目つきでロメンドレス卿が大広間を去るのを見届けた。


「所詮は言葉遊びに一生をささげていた人間か。」


「は?」


 隣りで控えていた黒い祭服の男がそのあまりにも不敬な言葉に思わず声をもらす。それが最期の言葉となった。


 男の体内から真っ黒な突起物が飛び出してくる。喉奥からせりあがってきた鋭い棘が男の頭を一瞬で刺し貫いた。


 ぽたぽたと血が流れる大広間をタウレス卿もまた後にする。残ったのは串刺しにされた男の奇妙な死体だけだった。

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