第17話

「本日はお招きにあずかり、誠に光栄でございます。」


「そんなにかしこまらずともよいではないか。わしと君とは同じ羊飼い、同胞なのだから立場に違いはないだろう。ささ、早く席について。」


 ロメンドレス卿の柔らかな口調とは裏腹にどろどろとした瞳が俺たちを映す。長机に腰をおろすと、見計らったように給仕が皿を運んできた。


 色とりどりのご馳走が並べられていく。


 俺はロメンドレス卿の隣にひとりの青年が瞳を閉じて座っていることに気がついた。金の縁どりがなされた祭服がその者もまた枢機卿であることを示している。


 枢機卿二人がかりとはずいぶんと買われているものだな。俺はひきつった笑みをこらえることができなかった。


「ああ、こちらはタウレス枢機卿だ。教義省にて任にあたっている。君と同じく、奇跡を授かった優れた信仰者だよ。」


「よろしくお願いいたします。」


 タウレスと紹介された青年がすっと手をさし出してくる。にこやかなその表情の裏を俺はよく知っていた。


 教会のもつ三つの武力のうちのひとつであり、怪物退治の聖イグラネウス修道院や異教徒征服の聖領騎士団に並んで教会内の異端者の弾圧を担う拷問専門集団。


 それが教義省であり、唯一その剣先が教会の内側をむいている強大な機関である。


 ロメンドレス卿は教義省すら手のひらに納めていることを暗に示しているのだ。なかなかパンチの聞いた挨拶だな。


「これはどうも丁寧に。聖イグラネウス修道院の福者、アドライトと申します。」


 柔らかい手のひらの感触が伝わってくる。だが、騙されてはいけない。


 目の前の華奢な青年は確実に何百人もの政争に敗れた聖職者に異端の烙印を下し拷問で生き地獄を味あわせてきた人間だ。そうでなければ教義省の上には立てない。


「あ……シャノンと……もうします………。」


 ぼそりと呟いたシャノンを無視するようにロメンドレス卿が俺に口を開く。


「それでは、肉切り係はアドライトくんに任せようかな。」


 肉切り係、そうきたか。俺は瞬時にロメンドレス卿の企みを理解した。


 肉切り係とは宴の際に肉料理をとりわける役目の人間のことであり、普段は最も格の高い役柄だ。だが、その所作はすべて細かく定められている。


「どうかね、引き受けてはくれんかね。」


 ロメンドレス卿が笑みを深めた。


 決まり事をすこしでも外せば、恐らくはその品格に難ありとして吹聴されるのだろう。俺は覚悟を決めてナイフを手にとった。


「……承りました。」


 目の前におかれたクジャクの姿焼きにナイフを差し入れる。


 父から教わったカビの生えた記憶を頭の奥底からひきずり出しながら、俺は決められた手順通りにクジャクを切り分けていく。


 最後にこの場の主であるロメンドレス卿に対してもっとも脂ののった部位をよそおい、ワインと香辛料のソースをかけて差し出した。


 脇で俺の手際を眺めていたタウレス卿の眉がピクリと動く。




 ……実に性格が悪いな、ロメンドレス卿のジジイは。席についた俺はクジャクの肉に紛れこんでいた小さな金属の破片を袖の中にしまいこんだ。


 恐らくはあらかじめ料理の段階でこの破片を仕込んでおき、俺が料理に混ぜこんだかあるいは切り分ける最中にナイフを欠かせたとでも訴えるつもりだったのだろう。


 そんなことになればもちろん単なる大司教の息子に過ぎない俺はひとたまりもない。


 あっという間に暗殺か過失かどちらにしろ枢機卿を殺しかけたとタウレス卿にとりおさえられ翌日にはシャノンもろとも死罪ではりつけの刑だ。


 ナイフをさしこんだ時のほんのわずかの違和感が俺の命を救っていた。




「いやはや、実にお見事! すばらしい礼儀作法だった!」


 二重の罠を仕掛けておきながら何事もなかったかのようにロメンドレス卿がにこやかに手を打ち鳴らす。


 その分厚い顔の皮の下では忌々しげに舌打ちしているに違いない。


「さて、食事を始めよう。」


 ロメンドレス卿が肉を優雅につまみ、口をあんぐりと開ける。くちゃくちゃという咀嚼音ががらんどうの広間に響いた。


 無視され続けているシャノンも居心地悪そうにしながら肉に手をのばしている。


「アドライトくんも遠慮せず口にするといい。これほどの料理は君の故郷では祈ったとて口にできるものではないでしょう。」


 タウレス卿がニコニコと微笑んでいる。そんなことができればこちらは苦労するものか、俺は肉食を修道士に禁じる半ば形骸化した法があることを知っていた。


「いいえ、わたしは修道士ゆえ肉を口にすることは禁じられています。どうぞ皆様がたでお楽しみください。」


 もはや守られていない古びた法とはいえ、教義省お墨つきのものだ。破ればどんな言いがかりをつけられてもおかしくない。


 断った俺を一瞬じっとみつめたタウレス卿が、やがて静かな声でロメンドレス卿におどけてみせた。


「ロメンドレス卿、信心深い修道士殿はなんと立派なのでしょうか。このような豪華な夕食を口にしているわたしたちはまさに悪逆そのものですね。」


「それもそうだな、タウレス卿。なんと我らは罪深いのだろうか、神の救いがありますように。」


 ロメンドレス卿は言葉ではそう語っておきながら、肉を取り寄せる手を止めようとはしなかった。


 肉汁が飛び散る。作法を守った優雅な手つきのはずなのに、その食事は見るものに生理的嫌悪感を感じさせるおぞましさを備えていた。




「それで、次の教皇座のことなのだが君はいったい誰がふさわしいと思うかね。」


 食事を終えたころに、ロメンドレス卿が本題に入った。まるでその場にシャノンがいないかのようにその目は俺だけを捉えて離さない。


 明らかにその目はシャノンを見捨ててサンティロンにつくことを要求していた。


 直球の質問を投げつけてきたロメンドレス卿は笑顔を浮かべているが、その瞳は一切光を放っていない。俺は誤魔化すように微笑を浮かべた。


「さあ、一介の修道士であるわたしには見当もつきません。が、どの候補の方も素晴らしい徳をお持ちになっていると思いますよ。」


「それならば、サンティロンくんを支持してくれるわけにはいかないかね。」


 はぐらかす俺に対し、ロメンドレス卿は深々と椅子に身を預けながらなんでもないように言い募る。


「わたしにはわたしの考えがありますので、またその時が来ればはっきりさせたいと思います。」


「……そうか、無理強いはよくないからの。よく、考えてくれるとありがたい。」


 それでも首を縦に振らない俺はもはや宣戦布告したも同然であった。


 交渉が決裂したことを悟ったロメンドレス卿の目つきが数段冷たくなる。だが、俺は後悔などしていなかった。


 あれほど対立しているサンティロンに味方するぐらいならば、勇者のやつに聖剣でまっぷたつにされたほうがましだ。あれが教皇になどなられたら下手をすれば教区ごと潰されかねない。


「失礼します。また機会がありましたらお会いしましょう。」


「ああ、そうだね。」


 ロメンドレス卿の別れの言葉は心底低いものだった。




 ロメンドレス卿の屋敷を一歩出た瞬間、黒い服の一団に囲まれる。


 やはり交渉が決裂したなら俺たちを捉えて監禁する手はずぐらい整えていたか。あまりにもわかりやすすぎる実力行使に俺は笑みを深めた。


 さっきまでの微妙な言葉使いに気をつかう舌戦はやはり俺の性分にあわん、これくらい暴力的なほうがまだ得意だ。


 怯えるシャノンを後ろにかばいながら、俺は手袋を外した。

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