第16話
例の暗殺計画が失敗に終わった次の日、俺は頭の中を首飾りのことでいっぱいにしながら歩いていた。
いったいどうすればあの首飾りを無効にできるだろうか。
あの首飾りがある限り、俺はミレンに一切手出しができない。勇者を殺せたとしても金への執着を失っていればなんの意味もないからな。
教室についた俺は勇者に関する本に目を通す。とにかく首飾りについて情報を集めなければ。
しばらく集中して読書に励んでいたところで、俺は隣のミレンが今日はやけに静かなことに気がついた。
いつもなら本を読んでいる俺に駄々をこねながらちょっかいをかけてくるはずだというのに、なにもしてこない。不気味なほど口を閉ざしている。
「なんだミレン、今日はやけにおとなしいな。どうした、腹でもくだしたか。」
俺が隣に顔をむけると、ミレンがすさまじい勢いで顔を逸らした。その耳は真っ赤に染まっている。
どうやら一言も発さずに俺のことを凝視していたらしい。気がつかない間に監視されていたと知って、鳥肌がたった。
それにどうして顔が赤くなっているのだ?
「ミレン、熱でもあるのか? とにかくこっちをむけ。」
なにか疫病でもひっかけていることを祈りながら、俺は無理やりミレンを振りむかせる。顔を近づけてミレンのおでこに手をあてた。
熱くなっているが、正常の範囲内だ。残念なことに赤面しているだけらしい。
俺が手を離すと、ミレンは目にもとまらぬ素早さで後ろに体をそらした。ぜぇぜぇと荒い息をしながら真っ赤な顔で僕を睨んでいる。
「君、あんだけ気恥ずかしい言葉を口にしておいて昨日のこと忘れたのかい……? 正直言って僕は君の顔を見るのが恥ずかしくて恥ずかしくてしかたがないよ。」
ミレンがうつむきながら呟いた。
どうやら昨日の俺の様子がおかしかったことを怪しんでいるらしい。俺は適当に嘘をついた。
「最近うるさかったからな、はした金で黙らせるほうが安上がりで済むと思ったんだが。」
これで暗殺計画を企んでいたことは悟られまい。俺は読書にもどった。
が、隣からどうも冷たい視線を感じる。しかたなくもう一度だけ俺はミレンにむきなおった。
「なんだ、怒っているのか?」
「……いや、べつに怒ってないよ。逆に安心したかな、変に喜んじゃったけれどあれも結局いつも通りのアドライトだったんだなって。」
今度は頬を膨らませてミレンがそっぽをむく。よくわからんやつだ。
そうしてご機嫌斜めのミレンの隣で読書に励んでいると、サンティロンが近づいてきた。その瞳にはいつものように憎悪が渦巻いている。
またちょっかいをかけにきたか、性懲りのない奴め。
未来の教皇座を争う敵として牽制しにきたのかそれとも単なる私怨なのかは知ったことではないが、どちらにしろ俺は一歩もひく気はなかった。
聖職者の世界は盗賊と同じでなめられたら終わりだからな。そのまま異端審問へまっしぐらだ。
「ああアドライト、ようやくみつけたよ。あまりにも存在感がないもので探すのに手間取った。」
「それはどうも失礼したね、でも君みたいな高貴な人が僕なんかを捜すなんてどうしたんだい? 僕でも君にとって大きな意味を持つことができるのなら嬉しいよ。」
軽く挑発を応酬しあう。サンティロンの眉が怒りにぴくぴくと震えているのを鑑賞していると、机の上に丸められた羊皮紙がおかれた。
どうやら今回は本当になにか用事があったらしい。
「かの偉大なる枢機卿、ロメンドレス様から夕食の誘いだ。貴様にはもったいない誘いだぞ、光栄に思え。」
ロメンドレス卿といえば、シャノンの誘拐の背後にいた枢機卿のことか。サンティロンの支持者の筆頭だな。
そんな人間が敵対するシャノンの支持者である俺に用があるとすれば、もはや目的など限られているだろう。懐柔か罠か、その二択のほかない。
「……それはそれは、実に光栄だな。謹んでお受けしたいと伝えておいてくれないかい、高貴な君に伝言係を頼むのは気がひけるけれどね。」
「っ、もとよりそのつもりだ。枢機卿の前で粗相がないようにせいぜい気をつけろよ。」
面白いことになってきたじゃないか。シャノンは俺の父が後ろについたとはいえいまだ泡沫の候補だ、そんな俺たちに直接声をかけてくる意図が読めない。
「ああ、あとシャノンもつれてくるように、とのことだ。」
近くで盗み聞きをしていたのだろう、シャノンの肩がびくりと震える。
万が一の時は後ろ盾の息子ごとシャノンを監禁ないし破壊するつもりか。俺は心の中で罠の可能性を高めに訂正しなおした。
敵対する枢機卿との会食というのはいくら細部まで気を配ってもしすぎるということはない。ほんのわずかの隙を見咎められただけで死につながる。
なぜなら枢機卿とは教皇を除いた教会の最高位、この聖都の支配者であり、莫大な権力を欲しいままにしているからである。
「こ、こんな高いもの……無理、……もらえない………。」
東方から取り寄せた絹織物のドレスをシャノンに渡そうとするも、断られる。商人の娘だからこそこの服の価値を理解しているのだろう、その顔は青ざめていた。
だが、いつも通り謙虚でいてもらっては困る。聖書ではその行いは称えられるが、ここ聖都ではそれは猛獣の前に鎧なしで飛び出すようなものなのだから。
「いいか、ロメンドレス枢機卿は教会の最高権力者だ。そんな人間の前に普段通りの服装で現れてみろ、難癖つけられて死罪だ。命を守るための盾とでも思え。」
俺の説得でようやくシャノンがドレスを受け取る。
「必ず……返します………。」
よし、なにかしら理由をつけて返却は受けつけないでおこう。ようやくシャノンにかすことのできた物理的な貸しだからな。
「わかったから必ずそれを着ろ。ミレン、シャノンが着るのを手伝ってくれ、俺は先に手配した馬車のもとまでいく。」
「僕もついていかなくていいのかい? 今からむかう枢機卿は君と敵対しているんだろう?」
ミレンがちらりと聖剣の刃を抜きながら俺に囁いてくる。確かにミレンは俺に劣るとはいえ優れた戦力だ、頼りにもなるだろう。だが問題がありすぎる。
「だめだ、お前のその剣はいろいろとお前の素性を明かしてしまう。まだ教会の助けを求める時期ではないと考えているのだろう?」
ミレンはいまだ自らの正体を教会に明かしたがっていない。そして、それは俺にとっても望ましいことだ。変な護衛がついては困るからな。
「それに今問題なのは聖都の腑抜けた暗殺者ではなく、枢機卿とその陪臣どもだ。」
そう、勇者のことだけでなくミレンの教養も問題だ。幼いころから神学校に通っているシャノンならいざしらずミレンはあげ足をとられかねない。
手袋をきっちりとはめ、修道院の正装である礼服を羽織る。これからむかうのは剣を振り回すような戦場ではない。そして、そこでは力はあまり意味をなさない。
ロメンドレス卿の屋敷は聖都の中心に構えられている。市街区の一角を占めるほどの巨大な豪邸でありながら、外観は質素極まりない荒削りの石組みである。
民衆の羨望と憎悪を浴びぬよう意図されたその屋敷はしかし、外と内とではまったく別の様相を呈していた。
天井に描かれるのは著名な画家によるフレスコ画。聖書の一節を描いたその美しい絵画はロメンドレス卿の絶大なる権力と冨を物語っている。
眩いばかりの黄金で装飾された華麗な柱が立ち並ぶ廊下がどこまでも続いているようにみえるほど広大な敷地にはおよそ考えうるだけ至高の芸術品が並べられていた。
ここが、こここそが俺の目指すものだ。
教皇座の影で教会を操り、莫大な富をもって下民には想像もつかない豪勢なる生活を送る。まさしくロメンドレスこそが俺の夢、渇望の具現化である。
「おお、勉学に励む若人を呼びつけてしまってすまんな。」
ロメンドレス枢機卿は一見柔和な表情を浮かべたどこにでもいそうな老人であった。大広間の中心にぽつんとおかれた長机に座り、俺たちを手招きしている。
だが、その目だけは嘘をついていなかった。
どんよりとよどんだ欲望にギラギラと煌めくその瞳が、ロメンドレス卿もまたこの聖都で退廃に沈む愚者の一人であることをしめしていたのである。
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