第14話
それから俺はミレンをつれて聖都のあちらこちらを見て回った。露店を冷やかしながらどんどんと町の中心からズレていく。
人々が港のほうに集まっていることもあってか、どんどんと人通りは少なくなってきた。
「こっちにはなにもないんじゃなかったっけ?」
「いや、そんなことはないさ。」
視界の端にちらりと噴水が映る。おかしなことに、その噴水が一瞬黒く濁った。
なにもみなかった振りをして俺はそのままミレンを路地裏に誘導していく。その背後の石畳の間がわずかに湿り気を帯びた。
ドナテラは自らの体を水に変えて、地中に潜んでいた。
憎き勇者はその存在に一切気がきかず頭上を歩いている。その脇には修道士なのにもかかわらず勇者の暗殺を手伝っているアドライトがいた。
石畳といくばくかの土を間に経ても、勇者からひしひしと例の神とやらの感覚が伝わってくる。
これまで水没させてきた教会の聖堂で散々かいだ匂いに、ドナテラの殺意は嫌がおうにも高まった。
脳裏に浮かぶのは海辺に佇んでいたかつての故郷の姿。
船が行き交い活気に満ちあふれたどこにでもあるような港町を火の海に変えたあの悪逆で残酷なる神の使徒をドナテラはミレンと重ねあわせた。
祝祭に湧く聖都を楽しんでいるミレンの姿にドナテラの心の中のどす黒い悪意はますます膨張していく。
ドナテラを巫女と慕ってくれたあの子供たちはこんな風に祭りの楽しみも知ることなく槍に貫かれて殺されていった。
勇者とは神からの直接の祝福をうけたかの救世主に並ぶ聖なる存在だという。
ならばその勇者の命を奪うことはドナテラにとっては必然であった。なにが慈悲深い神だ、我が故郷を破壊しつくした報い、怒り、憎しみを味わせてやる。
ミレンがついに例の場所に足を踏み入れた。
アドライトがそっとミレンから距離をとり始める。事前にドナテラの一撃に巻きこまれないよう打ち合わせておいた通りだ。
そして、それは暗殺がついに目前まで迫ったことを指し示す合図であった。
ドナテラは今や悪魔と蔑まれるようになったかつての主神に祈った。まるで手足のように地下深くから汲みあげてきた水を操る。
周囲の建物をつたって水があちらこちらに張り巡らされた。その狙いは路地裏の一点にむかっている。
これほどの大質量の水を一度にぶつけられたのなら勇者とてひとたまりもないだろう。
何も知らない勇者はどんどんとその地点に近づいていく。アドライトの軽い咳ばらいが暗殺の開始を告げた。
あともう少し、あともう少しだ。
ミレンがまた一歩を踏み出す。
あと少しで自分から故郷を奪った神に復讐できる。
ミレンがついに足を目印の上にのせた。
瞬間、水と一体となったドナテラの全身が暴れ狂い始めた。四方八方から飛び出した大量の海水がミレンの命を奪うため雪崩れこもうとする。
まだ勇者は気がついていない、その命もらった!
ドナテラは暗殺の成功を半ば確信した。もうミレンの命運は我が手中にある。
「それにしても、今日はありがとうね、こんなに楽しかったのは村を焼き払われて以来初めてかもしれないや。」
その次の瞬間、勇者の胸元の首飾りが青白く輝いた。ミレンが華やかな、だがどこか陰を含んだ笑顔を浮かべる。
その口調に、言葉に、笑顔にドナテラは既視感を覚えた。そうだ、これは自分を井戸の中へと逃がしてくれたあの先代の巫女、姉が最期に浮かべていた笑顔だ。
そのことを思い出した瞬間、ドナテラはすべての水をひっこめた。
突然撤退を命じられた海水は無茶な軌道を描いて大地にひっこんでいく。まるで時を戻していくかのように水は飛び出してきたところに戻っていった。
直前まで歓喜の笑顔を浮かべていたアドライトのあっけにとられたような表情がみえる。
ドナテラは自分でもなにをしているのかわからないまま、そのまま地中奥深くに逃げていった。
逃げる、逃げる、逃げる。
ドナテラは無我夢中で地中を駆け巡った。地下水脈を辿り、とにかく聖都からより遠くへと逃げ出していく。
一面に広がる小麦畑、その真ん中に佇むボロボロの小屋。地中から勢い良く飛び出してきた水はすぐさまドナテラの形をとった。
「っ、はあっ、はあっ!」
頭が痛い、どうして今の今になって姉の顔を思い出したのだ!
ガンガンと短剣で抉られるような痛みを覚えながら壁にもたれかかったドナテラはそのままズリズリと地面にくずおれた。
「なんなのだ、わしはいったいどうなったというのだ……。」
自らの自我が崩壊していかんばかりの感情が胸元に押し寄せてくる。あの勇者の首飾りの輝きを目にした時から心が痛くて痛くてしかたがない。
思い出したくもない故郷の皆の顔が脳裏に浮かんでくる。その表情は一様にどこか悲しげなものだった。
「やめろ、やめろっ! もうこれ以上は頭がおかしくなる!」
ドナテラの故郷を破壊した教会の騎士と、ミレンの故郷を焼き払ったあなたのお友達、そこにいったいどれ程の違いがあるの?
突然胸から湧きあがってきた問いかけに、ドナテラの頭が割れんばかりに痛んだ。
「違う、違うのだ! 先に手を出してきたのは教会ではないか、ならこちらがどんな手を使ってもいいはずだ!」
でも、ミレンっていう子はわたしたちの街に一度も足を踏み入れたことはないわ。
ドナテラがふと顔をあげた。ぼんやりと焦点のあわない視線を持ちあげる。
自分以外は誰もいないはずの小屋に、見慣れた姿があった。自分と同じ浅黒い肌に、すこしばかり高い背たけ、栗色の大きな瞳。
そこにいたのは間違いなく死んだはずの姉だった。
「あ、ああ、ああああぁぁぁっぁぁぁ……。」
あの日、井戸の前で最期に目にしたはずの姉の唇がゆっくりと動いていく。この目の前の光景が現実なのかもわからないドナテラは目を離すことができなかった。
ねぇドナテラ、お願いだから教えて? あの子はいったいどんな罪を犯したの?
「ちっ、違う、違う! わしは、わたしは、こんなはずじゃ、こんなつもりじゃ、止めて、そんな目で見ないで!」
半狂乱に陥ったドナテラが叫ぶ。その狂気に呑まれた叫びがドナテラ以外は誰もいないがらんどうの小屋に響き渡った。
ドナテラはゆっくりと目を開いた。
いつの間にか気を失っていたらしい。起きあがろうとしてドナテラは自分の体の上に布がかけられていることに気がついた。
「なんだ、目を覚ましたか。」
そこにはあの例のなまぐさな修道士、アドライトがいた。
起き上がったことを確認するなり、アドライトが口の中になにかをつっこんできた。ドナテラは慌ててそのタルトを咀嚼する。
ほんのりとした甘い食感が口の中いっぱいに広がった。
「お前の痕跡を辿ってこんな聖都の外までくるのは随分と骨が折れたぞ。」
「……それはすまなんだ。」
ふんとアドライトは鼻を鳴らし、小屋の暖炉に火をくべた。どうやら外はすでに真っ暗になっているようだ。
「それで、いったいなにがあった。いきなり暗殺を中断したのだ、正当な理由がなければ容赦せんぞ。」
アドライトの言葉に、ドナテラは勇者の暗殺が失敗したことを実感した。布にくるまりながら、ドナテラは震える。
「あの首飾りの輝きを見た瞬間に、ふと怖くて怖くてしようがなくなってしまったのだ。本当にわしの行いは正しいものなのか、恐ろしくなってしまった。」
ドナテラの言葉に、アドライトが眉を持ちあげた。
「首飾りだと? 聖剣に比べればたいしたことのないただのお守りのようなものだと考えていたが、違うのか?」
「わしもそう考えておった。わしが魔王の軍門に下ってからあの首飾りを使っておった勇者を見たことがなかったからじゃ。だが……。」
そもそも勇者とは聖剣だけを持つ者に与えられる称号ではない。あの首飾りと聖剣、両方に主だと認められて初めて人は勇者となれるのだ。
というのならば、その首飾りにはなにか特別な力があってもおかしくないのかもしれない。今まで単に使われていなかったのか、それとも秘されていたのか……。
だが、そんなことはもうドナテラにはどうでもよかった。
脳裏にはあの姉の姿が焼きついている。あの、どこか悲しげで怒っているような表情はまぶたを閉じてもまざまざと浮かびあがってきた。
ドナテラはじっと震える手を見つめる。
「わしは、もう戦えぬかもしれぬ。」
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