第13話
「そうか、それは聞いて悪かったな。」
どうやらこの魔女とやらは金も何ももらっていないというのにずっと復讐に人生を費やしてきたらしい。
まったく暇というかなんというか、ご苦労なことだ。
だがもちろんせっかく手に入れた協力者なのだ、口出しは無用だろう。
途中からどうでもよくなって聞き流していたが、ドナテラが教会に深い憎悪を抱いていることはよく理解できた。
この分ならば土壇場で我が身可愛さに裏切られるなどということは心配しなくてもよいな。
「では、当日は頼むぞ。なにしろこれはミレンのやつを葬る絶好の機会だ。」
「言われずとも分かっておる。必ずや勇者の息の根を止めてみせよう…。」
ブツブツ呟いているドナテラは放っておいて、俺はさっさと神学校に戻った。
朝目を覚ますと、外はすでに人々の喧騒で満ち溢れていた。
安息日、またの名を秋天祭。
かつて大地に降り立った救世主が、秋の収穫を喜ぶ農民の宴に加わったことからくる教会の祝日である。
ロンデルニウムの周囲の荘園から集められた豊穣な収穫の一部を教皇が民衆に振る舞うこの祭日は一年に一度の無礼講であった。
日頃の鬱憤を晴らすように大騒ぎしながら職人たちがぞろぞろと街を練り歩いていく。まず間違いなく港のほうで開かれている教皇の祝宴にむかっているのだろう。
民衆にとってみれば想像もつかないようなご馳走を振る舞われ、見たこともないような見世物がただで楽しめる、すばらしいことだ。
教会の連中もほくそ笑んでいるだろう。はした金ですこしばかり上等な食い物を恵んでやるだけで日頃搾取している下民たちの不満を解消できる日なのだから。
だが、俺にとってはそんなことなどどうでもいい。
今日は、俺の運命が決する日だ。ミレンの息の根をここで止めることができればもはやなにも恐れることはない、俺の人生を賭けた一日なのだ。
そう、今俺のうえにふくれっ面でのしかかっている勇者の命さえ奪えれば。
「もう日が昇ってるじゃないか、僕と一緒にでかけてくれるっていう約束はどうなったっていうんだい!」
頬を膨らませながらミレンのやつが俺の胸をポカポカと叩いてくる。うんざりしながら俺は体を起こした。
「……まったくいきなりこの俺を叩き起こすなどいい度胸だな。せっかくの祝祭の日なのだ、一度ぐらい思いっきり寝坊してしまっても構わんだろう。」
ただでさえ普段日の昇る前からシャノンの修行につきあってばかりいたのだ。こんな日まで早起きなどしてたまるか。
「というか、お前どうやって俺の寝室に入った? 一流の錠前師に鍵をつけかえさせているはずだが?」
「あ、うん。無理やり入っちゃった。」
嫌な予感がした俺は視線を扉にやる。そこには見事に滑らかな断面をさらした錠が無残にも転がっていた。
「はぁ、もういい。さっさと出かけてしまえばいいのだろう?」
俺はベットから勢いよく飛び起きると、修道服にさっさと袖を通した。聖職者の証である聖印の首飾りに手をのばそうとして、途中で止める。
何気ない素振りで再び首飾りを机の上に戻しながら、俺はさりげなく探りを入れた。
「そういえば今日は労働は禁じられていたか。ミレン、お前も聖剣や首飾りは置いていくのか?」
「そうだね。アドライトもそれは持っていかなくていいんじゃないかな。」
よし、想定通りだ。ミレンのやつが聖剣に守られることはもうないだろう。
無理やり起こされたことを不満に思っているようなしかめっ面の裏で俺はほくそ笑んだ。そんな俺の手をミレンが掴む。
「む、なんだ?」
「……さっきからアドライト、ずっと面倒くさそうじゃないか。それ、なんだかとても嫌だな。」
「は? いや待て待て、なにをすっ!」
俯いたミレンが不穏な言葉とともに俺の腕を引きずって窓へとどんどん歩いていく。いったいなにをしようとしているか理解した俺は顔をひきつらせた。
「えーいっ!」
「この馬鹿者が、扉ではなくて窓から出かけるやつがあるか!」
ミレンとともに窓の外に飛び出す。一瞬の浮遊感の後、俺たちは神学校の塀を飛び越えて喧騒の中の聖都に飛び降りた。
「もう、そろそろ機嫌を直してよ。」
ミレンが俺の脇をツンツンとつついてくる。俺はそっぽをむいたままミレンを無視した。
大枚はたいた錠をぶっ壊され、挙句の果てになんの説明もないまま窓からの飛び降りにつきあわされたのだ。俺の怒りは至極まっとうであろう。
俺は軽くミレンの頭の上に拳をのせた。
「あいたっ!」
「まったく、同じことをすれば金貨を二、三枚ほど請求してやるからな。」
「はいはいわかりました、アドライト大司教様。」
ミレンがおどけたふうに俺にぺこりと一礼してきた。
まったく反省していない様子は気になるが、大司教と呼んできたのは加点だな。これが教皇だったら満点だったろう。
機嫌を直した俺は脇を通り過ぎていこうとした菓子職人見習の売り歩きの少年に声をかける。買った焼き菓子の半分ほどをミレンに投げてよこした。
「ほれ、食え。」
「わっ、いきなり投げてこないでよ。」
宙を舞う焼き菓子にわたわたとしているミレンを横目に、俺は焼き菓子を口に含んだ。固い食感の中にはちみつのほのかな甘みが染み渡る。
「! 美味しいね。」
ミレンもどうやら美味だと感じたようだ。流石は地上で最も豪勢の限りを尽くす高位の聖職者たちが集う聖都、働いている職人の腕前も相当なものなのだろう。
満足した俺は今度は近くを通りかかった少女からチーズを手に入れる。
どうせ神学校は労働の禁止とやらで食事を出してくれんのだ、今のうちに口にしておかないと夜ひもじい思いをすることになる。
その後も食い物を片っ端からミレンにも分け与えているとじっと不思議そうな視線を感じた。
「なんだか今日のアドライトは普段と違うね。いつもだったら絶対にお金をはらえっていってくるはずなのに。」
まずいな、この後の暗殺に思いをはせていたせいか知らず知らずのうちに行動の節々に現れていたらしい。今はまだ気取らせるわけにはいかないというのに。
「今日は特別だ、お前の笑顔を見たい気分でな。」
様子がおかしいことに気づかれた俺は苦しい言い訳を並べた。
別に嘘はついていない。暗殺の直前までミレンには能天気に秋天祭を楽しんでもらう必要がある。
「っ、いきなりそういうことは卑怯だよ。」
ミレンがびくりと震えた後、恨みがましげな口調とは裏腹に喜びを隠しきれていない様子でうつむいた。
よくわからんがなんとかこの場は切り抜けられたらしい。このまま話をそらし続けなければ。
「ん、あちらのほうに店があるぞ。みてみないか。」
ミレンの腕をひっぱり強引にたまたま視界に入った店まで引きずっていく。
おつらえむきなことにそこは木製の装飾具を売っているようだった。小さな窓の淵にたくさんの小さな木彫りの髪飾りやら指輪やらが並べられている。
俺はその中から適当に髪飾りを手にした。淡い青色に染められた、素朴だが美しい飾りだ。それを片手に俺はミレンの髪に手をのばした。
「ちょっ、ちょっと恥ずかしいからやめてよ! そんなきれいなもの、どうせ僕には似合わないって!」
なぜか顔を真っ赤にしているミレンの抵抗をおしのけて俺はミレンの髪に髪飾りをあしらう。
髪飾りをとろうと暴れるミレンに動かないよう言い含めてから、俺は一歩後ろに下がってまじまじとミレンをみつめた。
頬を紅潮させたミレンが、じっとこちらを睨んでくる。柔らかに光を放つその黄金の髪の毛のうえにちょこんと青の髪飾りが鎮座していた。
「なんだ、似合っているじゃないか。お前の金髪によく映えている。」
俺の言葉にミレンがこれ以上ないというほどにまで顔を熟れさせた。
「も、もうわかったから! これ、代金!」
ミレンが懐から取り出した銀貨を店番をしていた若い職人の前に叩きつける。その彼からのなぜか生暖かい視線を浴びながら、俺たちはその場を後にした。
「やっぱり今日のアドライトはなにかおかしいよ……。」
未だ熱のひかないミレンが横から悔しげなじっとりとした目線をむけてくる。
「なんだ、こんなこと毎日のようにやっていただろう。」
「……こんなこと毎日されてたら僕の心臓が破裂しちゃうって。」
なに、ミレンの心臓が張り裂けるだと。ならばもっと日頃からこれぐらいきざな態度をミレンにもとっておくべきだったか。
「ちょっと人気のないところにいかないかい? もう僕はくたくただよ……。」
ミレンの言葉に俺は千載一遇の機会をみた。ここだ、ここしかない。
「……ああ、そうだな。偶然だがいい場所を知っているんだ、案内してやろう。」
心なしか先ほどから数段低くなった俺の声が路地に響く。それに気づいてすらいないミレンはなんの疑問も抱いていないようにこくこくと首を縦に振った。
愚かなことだ、これから自らの死に場所に赴くというのに。愚かなミレンを俺は嘲笑う。
そんな内心をおくびにも出さず、俺はゆっくりとミレンをロンデルニウムの奥へ奥へと誘っていった。
もちろん目指すはドナテラがてぐすねひいて待ちかまえている例の細い小路である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます