第12話

「それでどうしてわしとお主とで街を散策する羽目になるんじゃ……?」


 ドナテラが深くかぶったフードの奥から当惑した視線を俺にむけてくる。そんなこと決まっているだろう、ミレンを暗殺するための準備に決まっている。


 ミレンとロンデルニウムを一日中歩いてまわる約束をとりつけた俺は、とうとうドナテラを呼び出し、下見を済ませることにした。


 ドナテラと二人でジメジメとした路地裏を歩いていく。


「ミレンの一番厄介なところは聖剣もさることながらその豪運だ。ミレンも今まで何度も命を危険にさらされてきたが、いつも幸運にも手助けがあって救われている。」


「……確かに、お主などという戦力がミレンの傍にいることをわしは見抜けなんだからな。」


 そう、ミレンのしぶとさはまさしくドブネズミのそれに等しい。暗殺を決行するのならば、それは確実かつできる限り不確実要素を取り除いておかなければならない。


「今お前が歩いているこの路地の周りの建物はすべて俺が買い取っている。」


「はっ!?」


 なにを驚いている、相手はミレンだぞ? もしかすると凄腕の剣士などがいてミレンに助太刀しないとも限らない。


「当日は俺の息のかかった者たちでこの路地裏は完全に封鎖され、俺とミレン、そしてお前以外の人間が立ち入ることはない。」


 それだけではない、俺がミレンを誘った日にも訳がある。


「安息日にはここと正反対の港に近いところで祭典が行われる。それも教皇自ら信徒にご馳走をするというものだ、このあたりはガラガラになっているだろうさ。」


「お主、すさまじいな……。」


 ドナテラがひきつった顔で俺をみつめる。


 当たり前だろう、俺は本気でミレンを殺そうとしているのだ。ドナテラがこの前やったような行き当たりばったりの計画などたてるものか。


「俺のたてる作戦は完璧だ。仕留めるときには手加減など無用、一撃で仕留める。だから聖剣対策も存分に施すさ。」


 安息日は仕事をしてはいけないことになっている。基本的にこの教えは守られることのほうが少ないのだが、こと神学校においては厳格に守られているのだ。


「ミレンはああみえて敬虔な信徒とやらだ。だからこそ安息日が効く。安息日に勇者として聖剣をはくことはできないからな。」


 素晴らしい、一見なんの隙もみえない完璧な計画。だがそれでも油断をするわけにはいかない、なぜなら相手はミレンなのだから。


「それで、ドナテラ。お前も抜かりはないだろうな。」


 俺の問いかけにドナテラがにやりと口を歪めさせた。


 瞬間、周囲の大地が鳴動し、すさまじい量の水が噴き出してきた。それだけではない、窓という窓から滝のように吹き出てきた水が目の前の路地に叩きつけられる。


 そのあまりもの勢いにその場には一瞬で巨大な陥没が生まれた。


「一撃じゃ。あの忌々しい勇者の命を絶つのに一瞬もいらぬ。」


 ドナテラがさっと手を振ると、水はすぐさま地面に吸い込まれ、あたりは何事もなかったかのように静まり返った。


「なるほど、ここに足を踏み入れたが最後、ミレンの末路は死しかないというわけだな。」


「ククククク、そうじゃな。」


 ドナテラと二人、声をこらえられずにあくどい笑みをこぼしてしまう。これで今まで頭を悩まされてきたミレンともおさらばだ。




 路地裏から出たちょっとした広場で二人並び、たわいもない会話に興じる。暗殺決行時に息を揃えるためにはそれなりの信頼関係は築いておかなければならない。


「そういえばお主、なぜ勇者の命を狙っているのじゃ?」


  そんなとき、ドナテラがなんでもない風にそう尋ねてきた。


 なんだ、そんなことか。魔王側の人間になら話しても問題ないだろうと俺は俺の野望について語った。


「俺は金貨の海で泳ぎたい、だがもしもあの夢がほんとうならばその前にミレンに殺されるというからな。ならばミレンを先に殺すまでだ。」


「……お主、実になまぐさな修道士じゃのう。お主みたいなのが聖書片手に説教をするというのはさすがのわしでも虫唾が走るぞ。」


 失礼なことだ、魔王側に味方している人類の敵にそうは言われたくはないな。結局のところドナテラと俺とは同じ穴のムジナなのだから。


「まぁ、そうじゃな。わしもお主もおのれの欲のために動いておる、その一点において差はないか。」


「ドナテラ、お前はなぜ勇者を殺したい。俺が訳を話したんだ、次はお前の番だろう。」


 互いに互いを信頼するためには、相手を理解する必要がある。特に暗殺などという裏切りが致命的となりかねないことの時はなおさらだ。


 俺の言葉にドナテラは顔を俯かせた。


「……魔王の味方だから、ではダメかのう?」


「ならなぜ魔王の仲間なのだ。それぐらいは言っても構わんだろう。」


「……そうじゃな。どうせここにいるのは不良修道士だけじゃ、なにを言っても問題にはなるまいて。」


 しぶしぶといった風にドナテラが重い口を開いた。


「お主はわしら魔女がいかようにして力を手に入れるか知っておるか?」


「悪魔と契約してのことと聞いていたが。」


 教会に仇なす異教徒、魔女はすべて悪魔と誓いを交わすことで人知を超えた力を授かる。すくなくとも俺はそう教えられてきた。


「そうじゃの、そしてその仕組みはお主ら教会の犬が守護天使から奇跡を授かるのとまったく同じなのだ。」


「どういう意味だ?」


 ドナテラが皮肉げに口の端を持ちあげてみせた。


「わからんか、わしが信奉する悪魔もかつては神であったということだ。」




 現在の教会の起源は数千年前にまでさかのぼることができる。


 地上に降臨した救世主、地上における唯一神の代理人に教え諭された人々は喜んで邪教を捨て、正しき教えに従った。


 すくなくともそれが教会で言い伝えられていることだ。


 ただ、冷静に考えてみればそんなことなど真っ赤な嘘だとわかるだろう。結局のところ教会は勝者であり、いくらでも歴史を書き換えられるのだから。


 「わしは南のはずれで細々と信仰されておった海神の巫女じゃった。海神から授かった力をもって人々の生活を手助けする、派手でこそないが平穏な日々を送っておった。」


 ドナテラのギリギリと歯を食いしばる。その目はまるでここではないどこかを見ているようだった。


「そんな神殿に教会の屑どもが現れ、改宗を迫ってきた。当然のことじゃがわしらは断る。」


 その後に訪れたのは、地獄のような惨劇だったという。


 聖領騎士団を筆頭とした教会の軍勢が街を焼き払って人々を虐殺し、神像を打ち壊して畑に塩をまいた。彼らが去った後は草木一本も残らなかったという。


 未だ幼く、井戸に飛びこんで生き延びることのできたドナテラはすでにかの海神の最後の信徒であった。


「わしはそののちに砂漠をさまよい、農奴として教会の連中どものもとで働かされた。そして、神の使徒とやらがなんと喧伝しているかを耳にした。」


 邪悪な海神を信仰する狂信者たちは教会への攻撃を企てていたが心配はいらない、すでに神の正しき教えに導かれし聖なる騎士たちがかの悪逆な異教徒を成敗した。


 それが歴史に正史として刻まれることとなる、教会の語る真実であった。


「もう、わしは我慢ならなかった。わしの中で湧き上がった怒りが己すらも焼き払いかねないほど燃え盛っておった。」


 自分たちから生きる場所も、積み重ねてきた日々も奪ってなお飽き足らないというのか。人々の記憶の中からも居場所を奪おうというのか。


 ドナテラはその晩、自分に鞭打っていた教会の司教を皆殺しにして放浪の旅を始めた。教会の要人を暗殺してまわる、地獄への血塗られた旅路である。


 教会の者ならば問答無用でその命を奪い続けたドナテラにもはや情けなどという言葉は理解できなかった。


 噂はあっという間に広まっていった。


 南から、潮風につつまれて魔女がやってくる。司教を何人も殺してきた、恐るべき怪物だ。寝つかない赤子に親が話して聞かせる子守歌にすらなった。


 だが、何人殺したとてドナテラの渇きはおさまることはない。


 ドナテラの内心を現すように周囲から泥水が路地裏に流れこみ始めた。ドナテラの目が深い海の底知れない暗闇を抱える。


「邪法に手を伸ばし、生き永らえた。そうして教会への永遠の憎悪を誓った。なにがなんでもロンデルニウムの大聖堂を炎の海でつつんでみせると。」


 教会を地上から消し去り、自分からすべてを奪っていったかつての聖なる騎士に同じような目をあわせるまではけっして満足などできるはずもない。


 激昂するドナテラの表情がフードの隙間からちらりとみえた。


 年老いた、ガラガラとした嗄れ声とは裏腹に、そこにいたのは未だ年端もいかない十になろうかという少女だった。


 かつてはつややかな光を放っていたのであろう浅黒い肌は色あせ、数週間はなにも口にしていないかと思われるほどにやせこけた頬が痛々しい。


 本来ならば無邪気な笑い声で野原を駆けまわっているような快活な少女であったのだろう。だが、絶望と憎悪に満ち溢れたその黒い瞳がすべてを物語っている。


 それは、親も街も信仰すら失ったまさにその日のまま時が止まったように老いることを止めたドナテラのかつての姿であり、今の姿であった。

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