第10話

 それから俺はいろいろとシャノンをおだてようとした。贈り物も相変わらず続けたし、懇切丁寧に授業の中身を教えてもやった。


 だが、すべて無駄に終わった。


 シャノンはずっと窓の外を眺めているばかりでいっさい勉強をしようとしないし、それどころかここ数日は返事すらなかった。


 さしもの俺ももうお手上げだ。こんなやつを無理やり教皇にするぐらいならほかの連中のほうがはるかに安上がりですむだろう。


 今まで無駄にシャノンに貢いでいた金は高い授業料だと思うほかない。


 俺はシャノンを見捨てることにした。もはやこれ以上の追加投資は無駄であり、そんな道楽を続けるほど俺は暇じゃない。


「シャノン、ちょっと話いいかな?」


 そう決意した日の放課後、俺はシャノンを呼び出すことにした。


 ほかの教皇候補に乗り換えるにしろ、最後に一応シャノンの評価を済ませておかなけばならない。さもなくば失敗を次回に活かせないからな。


 緩慢な動作でこちらに近づいてくるシャノンの腕をひっぱって俺は空き教室まで連れていった。




「最近元気ないけれど、どうしたの?」


 もはやシャノンのことは半ば諦めている俺は直球で尋ねてみることにした。


「誘拐されかけたことが怖くて忘れられないのかな? それならごめんね、俺がもうすこし早く助けられていたら変わってたかもしれないのに。」


「……。」


 無言、完全の沈黙である。シャノンは黙りこくっている。俺はため息をつきたくなるのをこらえながら優しい声色で語りかけた。


「もしかして俺、うっとうしいかな?」


「……。」


 なにを尋ねても沈黙しか返ってこないシャノンに、俺はもう匙を投げることにした。もうこれ以上こいつに関わっていると苛立ちで気が狂ってしまいそうだ。


「……それじゃ、さよなら。」


 俺は残念そうな振りをしながらその場を立ち去ろうとした。


「ま、待って……!」


 ようやくこいつにおべっかを使う日々から解放されてせいせいした、そう晴れやかな気持ちの俺をシャノンが呼びとめる。


 振り返ると、胸に手をあてながら必死の表情でシャノンが俺を見つめていた。


「違う、アドライトは……悪くない………。あたし、その……。」


 なんだ、正直言ってもうお前にこれいじょう時間をつかってやるつもりはないんだが。今さらになって口を開くなんて面倒なやつだな。


 そうはいっても今の俺は学校で完璧な好青年を演じているわけで、すがってくるシャノンを蹴り飛ばして去るわけにもいかなかった。


「話してくれるのかな、いったいどうしたのか?」


 シャノンがこくりと小さく頷いた。




 「あたし、商人の家の出だから……昔からみんなにいじめられてて……。」


 シャノンが語ったことはとてつもなくどうでもいいことだった。


 神の教えをもとに商人を罪人とみなし、その存在を忌み嫌う聖職者がいることは知っている。だが、俺からしてみれば愚かとしかいいようがない。


 この世で最も金にうるさいのは商人だ。そしてそいつらは放っておくだけで勝手に金を集めて俺たち支配者に富をもたらしてくれる。


 そんな連中を迫害するだと? そいつは頭がおかしいのか?


 現に俺の父上は教区において商人を抑圧するどころか優遇までして北方では一二を争う巨大な市を毎月開いている。実に合理的だ。


 だが、シャノンはそんなふざけた考えをもつ神学校の生徒にいじめられたのだという。商人だから、というだけで。


 そんなこと無視すればよいのに、シャノンはとんでもない勘違いをさせられた。


「だから、あたし……商人の卑しい出だから……罪人だって、悪だって気がついたんだ……。」


 目に涙をためながらシャノンがうつむく。


 その様子を心底どうでもいいと思いながら、俺は内心でいらだちがどんどん蓄積していくのを感じていた。


 金稼ぎが悪だと? 金を信奉し、崇拝し、そのすべてを肯定するよりにもよってこの俺の前でこの女はなんていった?


「覆面の男の言葉で……もう一度思い出したんだ……。あたし、教皇になる資格もない……醜くて下劣な存在なんだって……。」


 頬をつりあげてシャノンが痛々しくほほ笑む。


 もう俺はむしゃくしゃとした気持ちが心の中で暴れすぎて冷静に物事を考えることすらできなくなっていた。


 お前が教皇になれないだと? 当然だ、そんな戯言を真に受けるやつが教皇になどなれるはずがない。


 駄目だ、今の俺は優しくて決して声を荒げたりしない柔らかな青年なのだから。俺は必死に怒りを抑える。


「ああ、やっぱり……商人の家以外に生まれてたら……なにか変わったのかな……。」


 だが、そんな自制は次のシャノンの言葉でどこかに吹っ飛んでいった。


「……ふざけるのも大概にしろよ。」


「え?」


「お前が意志薄弱で妙なことで悩んでいるのを神聖な金のせいにするんじゃないといってるんだ!」


 ああ、ついにプッツンしてしまった。今まで慣れない姿を演じていた反動か、いつもよりも切れ味の鋭い言葉がするすると口から出てくる。


「商人が神の教えに反するだと! ならそんな教えなど捨ててしまえ、金を追い求めることすら許さん神に存在価値などない。」


 俺の言葉にシャノンがとんでもない顔をする。


 なにを驚いている? 自分たちに役立てるために俺たちは神を利用してるんだろうが。神が役立たずになれば捨てるのは当たり前だろう。


「お前が周囲から攻撃される理由は金を持っている商人だからなどではない! 逆だ、お前が金のことを十分に信仰していないからだ!」


 あっけにとられたようにシャノンが俺を見つめる。そんなシャノンに俺は一気に詰め寄った。


「おい、俺も商人の娘を母に持っているぞ、なら俺は罪人で辱められて当然か?」


 そう、俺も母が商人の一族の出だ。しかも教会では最も軽蔑されている金貸しである。だが、俺は周りの生徒たちにそのことを面とむかって侮辱されることはない。

 

「どうしてお前が周囲から侮られ、俺が畏怖されているかわかるか。それはお前と違って俺が金への確固とした信仰を持ち、それゆえに確かな力を手に入れたからだ。」


  俺はシャノンに指をつきつけた。


「お前がするべきことは端で卑屈にうずくまることでもなく、自分の生まれの出をげすむことでもない! 金だ、金への信仰に目覚めるべきなのだ!」


 シャノンがほんのわずかの期待を瞳に宿す。


「ほんとうに……あたしは悪くないの……? それをしさえすれば……救われるの……?」


「当然だ。俺を見ろ、ここに成功例がいるではないか。」


 シャノンのことは見捨てようと考えていたが、やめだ。こいつの実に冒涜的な思い違いを直さなければ俺の気が済まない。


 こいつを骨の髄までの拝金主義者に育て上げて、そして教皇という教会の頂点に送りこんでやる。


「決めたぞ、今から俺はお前を鍛え上げ、立派な金の亡者にしてやる。お前に拒否権はない、わかったな?」


 シャノンがこくりと首を縦に振る。未だ緩慢な動きであったが、しかしその目には再び真剣な光が宿っていた。

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