第8話

 ロンデルニウム郊外の荒野、そこにぽつねんと立ちつくすひとつの小屋。マントで素性を隠した男たちの一団がその周囲を警戒していた。


 そこに、ボロボロの服を身に纏った農民が近づいていく。


「ええと、そこのおかたたち。そこはあっしの使っとる小屋でしてな。いったいどういう用件なんでしょうか? もしも教皇様のお御業ならあっしはすぐに……。」


 卑屈な色の目でそう尋ねてくる農民を面倒くさそうに男たちはあしらう。


「そうではない、ちょっとした野暮用だ。とっととむこうにいけ。」


「そうか、ならば死ぬといい。」


 口封じをしようとして近づいてきた男の耳もとで俺はそう囁いた。男が反応する前にすぐさまその首に手をさし入れる。


 脊髄を断ち切られた男はそのまま音もなくその場に倒れた。残りの男たちが気がつく前に風のように駆け抜ける。遅れて血の華が咲いた。


 すれ違いざまに抜き取った心臓を脇に捨てながら俺はグロリヤ師に教わったことをなかなかうまくできていることに満足する。


 確かにこれは便利だ、相手が口を開く前に心臓を抜き取ってしまえばすぐに死んでくれる。


「さてと、こいつらは結局誰の手下なのだ?」


 俺は嬉々として死体を漁り始めた。情報を集めるというのもそうだが、せっかくの戦利品を手に入れる機会だ。


 こいつらは教皇の指示であることを否定したのだから、つまりは単なる誘拐犯である。ならいくら死体から物を盗っても罪には問われまい。


 まぁ、もしもほんとうに教皇の意向があったとしても皆殺しにしていたから問題はなかったか。


 男たちの懐を漁ると、それはたくさんの金貨やら銀貨が出てきた。それもすべて教会が鋳造した立派で信頼のあるものばかりだ。


 このぶんならこの誘拐騒動にはかなり高位の聖職者が関わっていそうだな。


 そうこうしているうちに、俺はとある男の懐に一枚の羊皮紙がおさまっているのに気がついた。広げてみるとある枢機卿の印が大きく描かれている。


 決まりだな、これはサンティロン側の枢機卿だ。


 ロンデルニウムにおける権力闘争の勢力を頭に叩きこんでいた俺はすぐさまその印の主がわかった。


 確かロメンドレス司教枢機卿といったか。ロンデルニウム付近のブドウ畑の荘園を多く持つ強力な聖職者だ。


 恐らくは絶命したこの男は切り捨てられた時のことを考えてこのような証拠を残していたのだろう、ご苦労なことである。


 俺はその書状を懐におさめると、小屋のそばまで行き、耳をそばだてた。


 シャノンに大きな恩を売るためにはいつ助け出すかがとても大切だ。シャノンに消えない印象を植えこむ為にはできる限り追い詰められている必要があるからな。


 どうやら中では一人の男がロドリゲスを人質にとってシャノンを脅しているようだ。


 シャノンが自害すればロドリゲスの命は助けると言われているらしい。


 俺は肩から力をぬくと、ゆっくりとのびをした。まだまだシャノンを助け出すときではあるまい。まさかこんな見え透いた嘘に騙される人間などいないだろうからな。


 教会法の解釈が致命的に出来なくとも、出来る限り時間をひきのばすことぐらいはできるはずだ。


 そう考えた俺がウトウトと舟をこいでいると、中がにわかに騒がしくなった。


 まさかと思うが、シャノンがその嘘を信じたとかそんなことではないだろうな? 嫌な予感がした俺は小屋の扉の隙間から中を伺う。


 首もとに短剣をそえているシャノンの姿を見て俺はすぐに体が動き始めた。




「たぶん、シャノンが死んでもこの人たちはロドリゲスさんを殺すと思うよ。」


 好青年の化けの皮が剥がれないように俺は丁寧な言葉遣いを心がけて、シャノンに話しかけた。シャノンの首と短剣の間にさしこんだ手からたらりと血が垂れる。


「え……? ア、ドライト……?」


「貴様、外の連中をどうした?」


 いきなり小屋の中に飛びこんできた俺に警戒してか、覆面の男がロドリゲスの首に手をかける。


「その質問に意味があるかな? こうして俺がここにいるということは答えはひとつじゃないかい?」


 覆面の男は俺のからかいには応じず、すらりと腰から剣を抜いた。ロドリゲスの心臓の上に剣を掲げながら低い声で脅してくる。


「動くな、動けばこいつの命がどうなっても知らんぞ。」


 それは駄目だ。俺はシャノンに恩が売りたいのであって、父親を喪わせて癒えることのない心的外傷を負わせたいわけではない。


 もしも心を病んで教皇になれなかったら元も子もないからな。


「ふむ、それは困るな。」


 俺は顎に手をあてて悩むふりをする。そうしながら俺は覆面の男の様子を伺った。やけに反応が遅い、この分ならもしかするかもしれん。


「俺を逃がせばこいつの命は保証しよう。どうだ?」


「いや、その必要はないかな。もうお前にはそんなことできないわけだし。」


 俺の言葉にようやく気がついたように覆面の男が剣を握っているはずの右腕をみつめる。代わりに目にしたのは血を絶えず噴き出し続けている腕の断面だった。


 俺は一瞬の隙をついて千切りとった覆面の男の腕を小屋の床に投げ捨てる。


「な、な、いつの間に!?」


 痛みで混乱したように覆面の男が腕を抑えながら後ろに後ずさる。まったく理解できていない様子の男に俺は親切にも説明をして差し上げた。


「お前もそうなんだけれど、やけに動きが遅いね。欠伸が出るほど遅いから俺がなにをしても反応できないんだもん、笑っちゃうよ。」


「……は? 馬鹿な、我々はロンデルニウムを震撼させた暗殺集団だぞ? それがポット出の修道士ごときにやられるなど……。」


 俺の言葉になぜかひどく動揺した覆面の男がなにやらぶつぶつと呟いている。


 しかし、それにしてもこの程度の連中をのさばらせている聖都の聖職者たちはいったい何をしているのだ? 詳しいことは何も知らん俺でも全滅させれたぞ?


 ロンデルニウムに限らず聖職者が堕落して質が落ちているとグロリヤ師が嘆いていたのは本当だったらしい。


 金を信奉している俺がこのくらいできるのだから、神を信仰するロンデルニウムの聖職者もできて当然だろう。


 正直な話、ミレン一人でもなんとかなるぐらいだぞ、これは。そう俺が呆れていると、覆面の男はいつの間にか逃げだしていった。


 まあいいか、戻ったところでどうせ口封じで殺されるだろう。もうこれ以上ひき出す情報もないからな。


 それよりも今はシャノンだ。


 俺はすぐさまロドリゲスに近寄り、傷の手当てをする。それがひと段落してから、俺はシャノンのそばに膝をついた。


「もう大丈夫だからね。今俺が君を助けてあげるから。」


 シャノンの拘束を解きながら俺は語りかける。これはもう完璧だろう、誰だって自分を死地から救ってもらったのなら多少の恩義は感じるはずだ。


 特に自害しようとしたその瞬間を狙っていったのだから、シャノンの心に俺の存在を刻みつけれただろう。


 そう考えて期待に胸を膨らませながら、俺はシャノンの返答を待つ。


 だが待てども待てどもシャノンはなにも口にしなかった。痺れを切らした俺がシャノンの顔を覗きこむ。


 シャノン酷く沈んだ暗い表情を浮かべていた。その虚ろな目はなんの光も宿していない。


「え、ええっと意識はあるかな?」


 そう尋ねて初めてシャノンが首をわずかに動かす。しかしその動きも実に緩慢なもので、正常だなどは口が裂けてもいえなかった。


 ……もしかして、やりすぎてしまったのか?


 俺の心に一抹の不安がよぎる。どうやら想定以上にシャノンは繊細な心を持っていたらしい。

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