第6話
俺はドナテラと再会を誓って別れた。お互いに秘密の連絡手段を用意しているからあとは時を待つのみである。
暗殺を実行に移すには時間が必要だ。いくらなんでもこの騒動のすぐ後にミレンを神学校から連れ出しなどすれば俺がグロリヤ師から目をつけられる。
そうだな、一か月ほどは時間をあけなければならないだろう。それまでの間、俺はミレンの機嫌とりに徹するか。
予想外にうまくいっている学生生活に俺はご機嫌で講義をうけていた。
忌々しいミレンを始末する目途は立ったし、シャノンとの関係構築も上々である。俺の夢がどんどんと実現に近づいていくのを実感するのはうれしいものだ。
目の前では頭の禿げあがった講師が古代法について長々と講釈を垂れている。
「シャノン、さっきから教科書を凝視しているけれど大丈夫かい? なにかわからないことでもあったのかな?」
シャノンが俺の言葉にびくりと肩を震わす。周囲を見渡しながらも俺の耳元に口を近づけたシャノンがぼそぼそと質問してきた。
「ここの、教会の正統保障……? っていうのがわかんないです……。」
「ああ、これは後で勉強するんだけれど古代ロマニア帝国の第三十二代皇帝が教会の庇護を求めたんだよ。それを教会は自らの正統性の証だと考えているってこと。」
「はぁ……。」
釈然としない様子でシャノンが再び教科書を読み始める。すると俺の袖を誰かがひいてきた。
「アドライト、ここなんて書いてあるかわかんないよぅ。」
涙目のミレンが教科書の一文を指さしている。まったく、この馬鹿はまだロマニア語を習得していないのか、呆れた俺はそのまま一文を訳してやった。
俺は授業をこうしてふたりの質問に答えるだけで終えている。まあ、お父上に幼いころから教養を叩きこまれてきた俺にはこの程度余裕だからな。
講師が退屈な話を続けている間金貨を取り出して布で拭いていると背後から視線を感じる。振り返らずとも俺はそれが誰のものかわかった。
教皇候補にして俺とシャノンを目の敵にするサンティロンだ。
あの日、俺がやりこめてからあからさまに公衆の面前でサンティロンがシャノンを侮辱することはなくなった。また俺に恥をかかされるのを恐れているのだろう。
だが、それはサンティロンが俺たちへの敵意をなくしたことにはならない。
それどころか俺、ひいては手紙でやり取りしているお父上の後ろ盾を得たシャノンは是が非でも排除したい障害のはずだ。必ずなにか手を出してくる。
そんな俺の予感はすぐさま的中することになった。
俺が父上にかわって教会のお偉方に賄賂、もとい黄金色の菓子を渡した帰りのことである。ロンデルニウムの街を歩いていると、遠くにシャノンの姿が目に映った。
「ああ、シャノンじゃないか。いったいどうしたんだい?」
さわやかな笑みを浮かべて俺が近づくと、そばにいた中年の小太りの男が振り返る。漂ってくる独特な金貨の匂いに気がついた俺はその正体をすぐに看破した。
恐らくは東方との貿易商人をしているな、この金貨の匂いは東方で鋳造されたばかりの新しいものだ。
「シャノン、お友達かな?」
中年の男がシャノンに問いかける。コクリと首を振ったシャノンに、俺は今までのごますりの効果が出ていることをはっきりと実感した。
「アドライト様とおっしゃるのですか。わしはロドリゲスと申しまして東の方へと船を出す商人をやらさせていただいております。」
「ちょっと、お父さん! やめてよ!」
シャノンが制止するなか、ロドリゲスと名乗った男は懐にしまっているちょっとした香辛料をちらりと見せてくれた。
「久しぶりにロンデルニウムに帰れたものでしてな、娘の顔をぜひ見たいと無理をいってきてもらったのですよ。」
ロドリゲスが娘の頭をなでながら慈愛の表情を浮かべる。
シャノンの身内ともなれば好印象を残しておかなければマズい。俺はにっこりとできる限り好青年を意識して笑みを浮かべた。
「いいですよロドリゲスさん、そんなにかしこまらないで。勝手に僕が仲良くさせてもらっているだけですから。ねぇ、シャノン。」
「それはかたじけありませんな。」
俺はロドリゲスに気がつかれないようにさっとその姿を上から下まで観察した。
あまり大きくは儲けていないな、身につけている服がみずほらしすぎる。恐らくは吹けば飛ぶような貿易商なのだろう。
「どうです、商売の調子は? 最近新しい類の香辛料がいろいろと流行っておりますがうまく波に乗れていますか?」
「それが恥ずかしながら出遅れてしまったところがありまして。まあわしみたいな小さな商人は細々とやっていくしかないんでしょうが……。」
商売の話題を振ってロドリゲスに取り入っていく。誰だって自分の仕事の愚痴は止まらないものだ、理解するふりをしながら適当に相槌を打つだけでいい。
しばらく話をしただけで俺はロドリゲスの心を完璧につかむことができていた。どうやら娘よりも父のほうが警戒心が緩いらしい。
「どうでしょう、夕食でも一緒にしていかれませんか? シャノンが神学校でどのようにしておるのかまったく聞きませんでして。」
予想通り、俺はほくそ笑んだ。このままこうして家庭まで浸透すれば後はこっちのものだ、じっくりとシャノンを俺の操り人形にしてやる。
心配げに俺をちらちらと見つめているシャノンに俺は微笑みかけた。
ロドリゲスの家にお邪魔した俺は目の前に出された料理をご馳走になりながら歓談にいそしんだ。
「それにしても今日はほんとうに豪勢な料理を振舞っていただきありがとうございます。すばらしく腕がたちますね。」
ロドリゲスお手製の料理は正直言って貧乏くさくできれば口にしたくない類のものだったがその気持ちを抑えておべっかを口にする。
食事中にさんざん俺に持ちあげられたロドリゲスは酒を飲んで上機嫌な表情を浮かべていた。まったく、商人のくせに用心がたりていないのではないだろうか。
「うちの娘が教皇候補などと聞いた時にはそれはもう心配したものですが、アドライト様がいらっしゃるのでしたらもう安心です。娘をよろしくお願いしますよ。」
その言葉に隣でスープをすすっていたシャノンが顔を真っ赤にさせてロドリゲスをペチペチと叩く。またシャノンにすり寄る口実ができたと俺はほくそ笑んだ。
シャノンはこのまま家に一晩泊まるそうなので、俺は神学校の自室にもどることにする。家の扉の前でシャノンとロドリゲスに見送られた。
「それじゃあ、シャノン。また明日学校で会おう。」
シャノンと目をあわせてにこりと微笑む。するとシャノンは頬を赤く染めてまた首を縦に振った。
夜道を歩きながら俺は今日のシャノンの反応を思い返す。なかなかいい調子じゃないか、毎日毎日話しかけたり教えてやったりしたかいがあったというものだ。
もうあと一押しだ、それでシャノンは俺のことを完全に信頼するようになる。俺は輝かしい将来を幻視しながら帰路についた。
月が中天にさしかかり、ロンデルニウムの街がすっかり寝静まったころ。ロドリゲスの家の前に祭服をまとった奇妙な人影の一団があった。
明らかに不審なその一団は物音ひとつたてることなくロドリゲスの家の中に忍びこんでいく。
すぐに家から出てきたその一団はふたり気を失った人間を担いでそのままロンデルニウムの深い闇に消えていった。
このような話は権謀術数渦巻く権力闘争が絶えないロンデルニウムにおいては珍しいことではない。特に誘拐された人間が教皇候補だというのならなおさらだ。
こうして哀れな少女、シャノンは身の毛のよだつような恐ろしい目にあうことを知る。恐怖に体を震わせて縮こまるシャノン、そこに手がのび……。
「窮地にぎりぎりで間に合った俺がその凶行を阻止する。命を救われたシャノンは救世主である俺に以後全幅の信頼を寄せるようになるのだった、と。」
俺は誘拐の一部始終を家の屋根の上から見ていた。そして一度も邪魔をしなかった。
ただでさえ敵が多い教皇候補で、小さな商人の家柄、さらにはこれといった後ろ盾もいないシャノン。その親がロンデルニウムを訪れたのだ、そりゃ誘拐される。
なにしろ肉親を人質にとって教皇の座を諦めるように脅すだけで脱落させられるのだから、やらない手はない。そんなこと俺でも予想できた。
だからこそ放置して様子を伺った。シャノンにいかにして恩を売り好感度を大幅に稼ぐかを考えたのだ。
やはりギリギリになってから登場するのが一番印象に残るだろう、俺は誘拐の下手人たちの後ろを音を消して追いかけ始めた。
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