第5話

「少年、なぜここにいる?」


 ドナテラが警戒をあらわにしながら俺に問いかけてくる。俺の部屋をぶっ壊しやがった奴が聞いてくるとはまったくいい度胸だな。


「グロリヤ師の後を追いかけてきた。用事があったんでな。」


「クククク、初めからわしは謀られておったというわけか。」


 ドナテラがなにか勘違いしているようだ。俺は眉を持ちあげた。


「べつに俺がここにいることをグロリヤ師は知らんぞ?」


「べつになにも変わらんだろう。わしはグロリヤとお前の二人がかりで捕らえられるのだ。」


 ドナテラの全く見当違いの言葉に俺は呆れてため息をついた。まったくどうして俺がここに来たのかを全く理解していないのだな。


「いいか、俺はお前を逃がすためにここまで来たのだ。そんな俺がお前を捕まえてどうする?」


「……は? なにを言っておる?」


 ドナテラは今までミレンを殺そうとしてきた魔王の手先で初めて俺が意思疎通ができる相手だ。しかも教会のお膝元のロンデルニウムに潜むなどなかなか優秀である。


 俺と目的を共にする有能な人間を俺は無駄に死なせることはしない。


 しかもドナテラは魔王側の事情を、俺は教会側の事情を知っているのだから、協力は単なる足し算以上の相乗効果をもたらす。これほどまでの好機はないのだ。


「わかったか、どうして俺がお前を助けたいかを。俺もお前もミレンを殺したがっている、なら手を組まないなど単なる怠慢だ。」


「忌々しい神を信奉する人間の言葉を信じられるものか。」


 ドナテラが俺を睨みながら憎悪を吐き捨てる。


 神を信奉していようがいまいが人間は信用できんだろう、ドナテラの言葉は俺には理解できなかった。だが、それならば好都合だ。


「あいにくだが俺は神など信奉していない。俺が神、つまりは教会に従うのは儲かるからだ。昔も今も俺は金しか信じないと決めている。」


 ドナテラの背後から覚えのある足音が聞こえてくる。俺は懐から取り出した金貨を愛おしげに撫でながらドナテラに答えを迫った。


「それで、どうするんだ? このままグロリヤ師に肉片にされるか、それとも一か八か俺を信じて身を任せてみるかどっちにする?」


 焦ったように背後を振り返ったドナテラは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。そして静かに首を縦に振った。




「おや、アドライト様。こんな地下水路までいったいどうしたのですか?」


 地下水路の奥、暗がりからグロリヤ師が姿を現す。その祭服は濡れていないところを探すほうが難しいぐらい血塗られていた。


「いえ、ドナテラと名乗る魔女が俺を襲ってきまして部屋を滅茶苦茶にしていったので、新しい部屋を用意していただけないかと思いまして。」


「まあ、それは大変ですね。」


 全身を真っ赤に染めたグロリヤ師が困ったように眉を顰める。俺は初めて気がついたというようなそぶりでグロリヤ師の全身を見つめた。


「もしかして、ドナテラをもう討伐なさったのですか? 人ひとりの血にしては随分と多いような気がするのですが。」


「地下水路に迷える信徒たちがいらっしゃったので正しい道に戻るお手伝いをさせていただいただけですよ。残念ながらドナテラ様は見つけられませんでした。」


 グロリヤ師がいったん言葉を切る。手に持っていた生首を掲げてアドライトに見せつけた。


「それで、ドナテラ様がどこにいるかご存じではありませんか? こちらの方々がお話がしたいそうなので、捜しているのです。」


「いいえ、まったく知りませんね。この先の道は俺が通ってきたので引き返してみてはどうでしょう?」


 俺は表情をいっさい変えることなく嘘を吐いた。純真なグロリヤ師を騙すのは心がひけるが、俺の命のためだからな。しかたがないだろう。


「そうですか、それもそうですね。もっと違うところを探してみることにします。」


 グロリヤ師が鉄の臭いが濃い地下水路の奥へと踵を返す。そのまま再び漆黒の闇の中に姿を消そうとしたその時だった。


 突然振り向いたグロリヤ師がその手を俺のもつ皮袋にのばす。一瞬で貫かれたその袋から俺が用意してきた飲み水がドクドクと流れ落ちた。


 しばらくまってもなにも起こらない。


グロリヤ師は悲痛な表情を浮かべて俺に向き直った。その口調には深い後悔の念がこめられている。


「すみません、あなたを一瞬疑ってしまったことをお許しください。師であるわたしが弟子の言葉を信じずして誰の言葉を信じればいいのかというのに……。」


「いいえ、こんな時では誰でも猜疑心が深まるものです。それほどまでに悔やまなくともいいじゃないですか。」


 俺はグロリヤ師を慰める。グロリヤ師は俺に何度も謝りながら今度こそ地下水路の闇へと消えていった。


「……もう行ったか。」


 俺は喉奥まで指を突っこみ、胃の中身を吐き出した。胃液に混ざって大量の水が噴き出してくる。それはみるみるうちに人の形をとった。


「少年はなかなかの鉄面皮を持っているのだな、皮袋が破られた時などわしは少年の腹の中で心臓が張り裂けそうになったぞ。」


 ドナテラが青ざめた表情で俺をみつめる。水になったのに心臓などあるはずがないだろうに。


「なにはともあれ、こうなった以上はお前の言葉も信じよう。未だ勇者の死を望む修道士というのが理解できんが……。」


 ドナテラの言葉に内心してやったりとほくそ笑む。これでミレンの命を俺の代わりに奪ってくれる下手人を手に入れたも同然だ。


「それで、どうやってミレンを殺すかだが、俺にいい考えがある。」


 ドナテラが心を変えないうちに俺はさっそくミレンの暗殺について話すことにした。


 今ミレンがいるのはロンデルニウム、まさしく教会の中心であり中央の聖堂には聖イグラネウス修道院の面々には敵わないとしても腕のたつ聖職者たちがいるだろう。


 だが、今もっとも警戒しなければならないのはそんなものではなく、グロリヤ師である。


 俺は弟子としてグロリヤ師の底知れぬ力を知っている。長年の修練を経た武術と未だ正体がつかめない奇跡をもつグロリヤ師は恐ろしく危険だ。


 なによりも対象は違えども同じくらい敬虔な信仰を抱いている者同士だ、お互いに敵に回せば厄介なことぐらいは考えなくともわかっていることだった。


 だからこそ、ミレンを暗殺するのはグロリヤ師のいるロンデルニウム神学校ではなく市街地であるべきなのだ。


 幸いなことにミレンは自らが勇者であることを誰にも口外していない。


 だからこそ教会側はロンデルニウムに勇者がいることなど把握しているはずがなく、護衛などいっさい用意していないだろう。


「そうなのか、てっきり少年は勇者の護衛だと思っておったぞ。」


「そんなわけがないだろう、俺が勇者の傍から離れないのはその命を狙っているからだ。話を戻すぞ。」


 だからこそ作戦はいたって単純なものだ。俺がミレンを連れ出してロンデルニウムの淵に広がる市場へと誘導する。


 神学校から離れていて、なおかつひとたび奥に入れば怪しげな取引が横行する細い路地裏までたどり着けるあそここそが絶好の暗殺地点である。


 人気のない道まで誘い込んだのち、俺とドナテラとでミレンに奇襲をかける。


 ドナテラひとりにも苦戦していたミレンなど二人がかりで襲いかかれば一瞬で倒せるだろう。そののちに俺は神学校に戻りドナテラに襲われたと嘘をつけばいいのだ。


「すばらしい考えだ、確かにうまくいけばミレンの命をやすやすと奪うことができる。だが、ミレンを連れ出すことなどできるのか?」


 ドナテラの疑問に俺は不敵な笑みを浮かべた。


「なぜかミレンのやつは俺にひっついてくるからな、余裕だ。」

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