第3話

 本能につき動かされたかのように、左の目を覆っていた布を取り払う。真っ赤に燃える灼熱の炎のような色を放つ竜の瞳があらわになった。


 湧き上がる熱のままに腕を振る。それと同時に黄金に変えられた水がまるで生き物かのようにドナテラに襲いかかった。


「わしと力比べか、なかなか面白いことをっ!」


 陰湿な笑みを浮かべたドナテラが両手を高く掲げた。とたんその陰から濁流のように水が噴き出す。


 金色に輝く黄金と黒く濁る水とが真正面からぶつかりあった。


 ドナテラの背後から溢れ出た水はまさしくなにもかもを呑みこむ洪水となって黄金を押しとどめる。


 だが、俺が水を黄金に変えて次第に量を増していくにつれてドナテラはじわじわと押されていった。


「流石に金物相手では不利じゃのう。」


 ドナテラはそう呟くとその水流を横合いに捻じ曲げた。


 圧倒的な重量をもってその水は壁を粉砕し、中庭へと続く穴を開ける。どくどくとものすごい勢いで外へと流れだす水にのってドナテラは逃げだした。


 俺は大広間に残った水を黄金に変えながら悠然と足を外に踏み出す。


 中庭では今の今まで憎悪をむき出しにしていたドナテラが興味深げに俺の様子を観察していた。


「フム、少年は竜を倒したことがあるのじゃな。それならばその強力な奇跡にも説明がつく。」


 しゃがれた声でドナテラが口を開く。


 ドナテラに言われて初めて俺は体の中にあの竜の熱を感じることに気がついた。俺が黄金を操れるようになったのもこの竜の力がもとらしい。


「ほう、トカゲモドキにしてはなかなか役立つじゃないか。」


 周囲で輝いている黄金をくねくねと踊らせて楽しむ。きらきらと眩い光を放ちながら黄金が俺の周りをまわり始めた。


「それでドナテラとやら、お前はこれからいったいどうする? 今からでも遅くはないから俺の命は諦めてミレンを殺すことだけに専念した方がいいんじゃないか?」


「ヒヒヒヒ、もういいよそれは。これほどまでに戦える竜殺しの修道士が勇者を見捨てるわけないじゃないか。わしが背中を見せた瞬間に殺すつもりじゃろう?」


 俺のわずかな期待をこめた再度の提案を、ドナテラはまたもすげなく切って捨てた。あのとり繕ったような笑みをひっこめ、俺を真剣に睨みつけている。


「まったくお前みたいなのがいるとは予想外だったよ。グロリヤの奴だけを警戒していたんだがねぇ、これは読みが外れたなぁ。」


 ドナテラが残念そうに肩をおろす。


 その不意をつくように今まで見たことのないような巨大な氷水の塊が俺の頭上から降り注ぎ始めた。俺は近くの黄金をかき集めて俺自身を覆う。


 水のすさまじい圧力に混ざって氷塊が黄金を穿っていく。重くはあっても固くはない黄金でできた覆いはすぐにダメになってしまいそうだった。


 しかたがない。俺はすぐさまわざと覆いに穴を開け、冷たい水に手を触れさせた。


 俺の足元にみるみるうちに黄金の粒がたまっていく。それらをまとめて俺は飛びかかってきたドナテラにぶつけた。


「ヒャアッ!」


 だが、そんなものが魔女に通用する訳もなく、横あいから噴き出した水に吹き飛ばされていく。奇声をあげながらドナテラが短剣片手に俺の懐に潜りこんだ。


 まがまがしい色をした短剣の刃を俺の腹にさしこもうとする。


 本能的に危険を察知した俺はすぐさま黄金を短剣と俺の間に挟みこんだ。短剣がまるでバターを切っているかのように黄金を切り裂いていく。


 その溶けた断面からは覚えのある匂いがした。


「コカトリスの毒か。」


「ご明察だね、少年!」


 ドナテラの短剣を避けて腹部に掌底を放とうとする。だがそれに気がつかれたのか、真下から水が噴きあがり俺の腕を跳ね上げた。


 俺の腕に触れた水しぶきが黄金に変わってドナテラと俺に降り注ぐ。


 ドナテラの肩に乗った黄金を操りその首をはねようとするも残念ながら気がつかれてしまった。水を頭からかぶって黄金を洗い流したドナテラが飛びずさる。


 そこに、神秘的な青白い剣閃が走った。


「ちっ、そのまま気を失ってたらよかったのにね。」


 すんでのところで躱したドナテラが悪態をつく。


 青白い顔をしながらもミレンが聖剣を構え、そこにたっていた。どうやら溺れ死んではいなかったようで俺の一縷の望みは断たれてしまった。


「ごめん、アドライト。足手まといになっちゃった。」


「構わん、なんならべつにお前は横になっていてもよかったぐらいだ。」


 もはやここまで来ればドナテラにミレンを始末してもらうことはできないだろう。それなら魔女の首を教会に差し出して小銭稼ぎをしたほうがましだ。


 ミレンの死を諦めた俺は今度はドナテラの首を狙うことにした。


 ミレンと俺、二人で挟みながらじわじわと間合いを詰めていく。ドナテラは俺たち二人を睨みつけた後、天を仰いでため息をついた。


「こりゃ失敗だったね。わしとしたことが勇者の周りを探ることをかまけておった。残念だが今晩はここらで終わりとさせてもらおうさね。」


 ドナテラの姿が弾ける。無数の水滴となってあちこちに飛び散ったドナテラはそのまま俺たちの前から姿を消した。


「つっ……。」


 ドナテラが去ったことを確認したのち、ミレンがふらりと体を揺らす。傍にいた俺の胸元にちょうどミレンの体がもたれかかってきた。


 ようやく騒ぎに気がついたのか明りが灯り始める。今のミレンと俺の姿を見られればどんな噂が流れるかわかったもんじゃない。


 俺はため息をついてミレンを抱きかかえた。


 ミレンが勇者であることは誤魔化しつつグロリヤ師にことのあらましを説明して部屋を用意してもらおう。




 神学校の中庭の排水溝を流れ、石畳の大通りに出る。じわりじわりと地面に沁みこんでいきながらドナテラは地下奥深くへと潜っていった。


 やがて巨大な地下の排水路にたどりつく。


 古代に作られた荘厳な地下水路の流れに身を委ねたドナテラはしばらくして水路からあがった。あちこちに散らばらせた水滴が集まり、ドナテラの体を形作っていく。


 すると、どこからともなく人相の悪い男たちが集まってきた。


「ドナテラ様、勇者のやつは殺れたんですかい?」


「いや、駄目だった。わしも頑張ったんじゃがの、近くにとんでもない邪魔者がおったのでな。」


 ドナテラの言葉を耳にして、男たちが肩を落とす。いら立ちを隠せない様子で一人の男がドナテラに尋ねた。


「邪魔者ってドナテラ様が言ってたグロリヤってババアですかい?」


「いや、違うね。竜殺しの少年の修道士だよ。」


「竜殺し!? ……教会もそれだけ今代の勇者には本気ってわけですかい。」


 勇者暗殺の失敗をうけて男たちの間に落胆の雰囲気が漂い始める。同じく魔王に仕える身である同志たちを見渡したドナテラはその人数が少ないことに気がついた。


「それで、どうしてこんなに人数が少ないんだい?」


「へぇ、グロリヤのババアに小鬼どもをぶつけたんですが、その様子を伺っていた奴らが帰ってきてねえんですわ。」


 その言葉にドナテラは全身に電撃が走ったかのような衝撃を覚えた。


 まずい、グロリヤだけはほんとうにまずい。全身に鳥肌をたてながらドナテラは泡を飛ばして周囲の男たちに叫んだ。


「今すぐここから離れるぞ、グロリヤが来たら終わりじゃ!」




「おやおや、悲しいですね。せっかく会いに来たのに逃げようとするだなんてあんまりです。」


 用水路の暗がりから、声が聞こえた。カツカツと甲高い足音の後に湿った何かが滴る音が続く。


「別に引き止めはしませんよ。わたしと話をしたくないというのもあなたたちの自由なのですから。でも、お連れがおりますので引き取っていただけませんか?」


 いつも通りの笑顔を浮かべたまま、グロリヤが現れる。


 その手には苦悶と恐怖の表情を浮かべた男たちの生首が握られていた。

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