第2話

「で、なぜおまえがここにいる?」


 俺はベッドを占拠するミレンに冷たい視線をむけた。俺の詰問を無視したミレンはひたすらゴロゴロと毛布の上を転がっている。


 ロンデルニウム神学校は全寮制であり、生徒は全員が定められた個室で日々生活を送っている。だから、ミレンが俺の部屋にやってくる必要は全くないはずだった。


「……アドライト、君はいったいどうしちゃったのさ。いきなりシャノンなんて女の子に執着し始めるなんて、君が好きなのは金貨だけじゃなかったのかい?」


 ベッドの上で転がるのをやめたミレンがふくれっ面で俺をジトッと睨んでくる。


 別に俺がシャノンに執心しようがしまいがミレンには関係のない話だろうに。どうせシャノンが教皇になるころにはお前は死んでいるのだから。


 そう言いたくなる口を抑えて俺はミレンをベッドの上からどかした。


「きゃうっ!」


「シャノンは教皇候補だ、勇者なんていう利用価値のまったくないお前と違って俺にとっては金の卵だからな。これでわかったか?」


 床にへたりこんでいるミレンを横目に、俺は就寝の用意を整える。ベッドにもぐりこんだ俺は手の中の見事な装飾が施された首飾りを布で拭き始めた。


 こういったシャノンへの贈呈品を手に入れるのにはいつも苦労している。この間などとうとう俺が修道院時代に貯めていた金を切り崩したほどだ。


 だが、この投資は成功すれば十分に元がとれる。真に黄金を愛するのなら、目先の利益にとらわれず将来を見通して必要ならば金を惜しみなく注ぎこむべきなのだ。


「……なんだか、それ嫌だな。僕の傍にずっといてくれるんじゃなかったの?」


 ミレンがうつむいてなにやら呟いている。


 なにを言っているのだ、こいつは。別にシャノンにおべっかを使うこととミレンの傍にいることは矛盾しないだろう?


 それにミレンが俺の死の元凶である以上、俺とミレンが離れるのはどちらかが死んだ時だ。どうあがこうとも俺はミレンの傍にいるほかないだろう。


「今だってこうしてお前と話しているじゃないか、それの何が不満なのだ?」


 部屋の隅でいじけているミレンに俺は口を開いた。それでも納得しないのか、口を尖らせながらミレンが俺に詰め寄る。


「だったら僕とシャノン、どっちのほうが大切なのさ。」


 シャノンとミレン、つまり金貨の山と俺の命か。なかなか難しいミレンの問いかけに俺はしばし頭を働かせた。


 確かにシャノンを篭絡し教皇の座につかせることができれば俺はすさまじい富を得ることができるだろう。だが、もしもミレンを殺し損ねればいったいどうなるか?


 その後に勇者であるミレンに殺されて俺の貯めこんだ金貨をすべて奪われるかもしれない。


 そのことを考えて俺はゾッとした。命を奪われるのはともかくとして、俺の全財産がこの目の前のちんちくりんの物になるだと? 


 それぐらいなら小鬼にくれてやった方がましだ。


「……まぁ、ミレンだろうな。どのみちお前は避けては通れん。」


 俺の言葉にミレンは目を輝かせた。俺が横になっているのにも関わらずベッドの上に飛び乗ってくる。


「そうだよね、シャノンなんてアドライトにとっては単なる金づるに過ぎないもんね! アドライトはずっと僕と一緒にいてくれるんだよね!」


 ミレンの瞳は明らかに正気ではない光を放っていた。心なしか息づかいも荒い。嫌な予感がした俺はミレンを吹き飛ばそうとした。




 いきなり部屋を明るく照らしていたろうそくの火が消えた。


 周囲が漆黒の闇につつまれる。突然の出来事にミレンが困惑したように俺の体のうえで固まるのが感じられた。


 しばらくして、しとしとと天井から水滴が降ってくる。なぜかツンと鼻の奥を刺す潮の香りが部屋中に充満し始めていた。


 俺はなにものかが中にいることに気がついた。


 先ほどまでミレンがいじけていた部屋の隅にいつのまにか漆黒のローブで全身を隠した気味の悪い女がたっている。


 全身がぐっしょりと濡れているその女が口を開いた。


「クククク、お楽しみの最中すまないけれどそこの娘がミレンであっているかい?」


 はたして、サンティロンが送りこんできた刺客か、それとも魔王の手先か。俺が毛布の下で手袋に手をかけるのと同時にミレンも聖剣の柄を握っていた。


「他人に名を尋ねるのならまずは自分から名乗るのが礼儀というものなんじゃないかい?」


「おお、それもそうだ。わしの名はドナテラ、勇者様のお命を頂きに来たのさ。」


  ドナテラと名乗ったその女がゆっくりと手を広げていく。それに従って湿気がむんむんと立ち昇ってきた。


 気がつけば床がすべて水浸しになっている。こいつ、魔女か。


 魔女とは、守護天使の加護を得て奇跡を振るう聖人と対照的に、悪魔と契約しその力を借りる人間をさす言葉だ。


 もちろん教会にとっては不倶戴天の背信者であるから、首を持っていくだけで金貨を数枚かもらえる。


「おい、ドナテラとやら。ミレンの命はくれてやるから俺には構わないでくれないか。」


 が、今の俺にはそんなはした金はどうでもよかった。これは俺が直接手を下さなくとも勝手にミレンが死んでくれる絶好の機会ではないか。


 俺はこの幸運を逃さないとばかりにドナテラに提案した。


「アドライト!?」


「クヒヒヒヒヒ、少年。修道士なら勇者のために喜んで命を捧げるんじゃないのかい?」


 ミレンの絶望の声と同時にドナテラが楽しそうに声をあげる。俺の身勝手さを気に入ったとドナテラは口をにぃーっと裂いて笑った。


 ドナテラとて俺とミレン、二人を同時に敵に回したくはないだろう。この交渉が成立する可能性は十分にあった。


 俺は期待に胸を膨らませながらドナテラの言葉を待つ。もしも代わりにミレンの命を奪ってくれるというのならすこしばかり手を貸すこともやぶさかではない。


 ひとしきり笑ったのち、ドナテラが不意に俺たちに向きなおった。残念なことに、その表情はいつの間にかゾッとするほど残虐なものに変わっていた。


「だが駄目だよ? わしはな、神を信じる人間は憎くて憎くて……。海の奥底にひきずりこんで溺れ死にさせてやりたいのさ。」


 ドナテラが俺の提案を拒絶すると、窓から扉から天井から、ありとあらゆる穴から大量の水が流れこんできた。


 口に入ってきた水しぶきの塩気がピリリと舌を刺激する。


 あっという間に部屋の中には巨大な渦ができ、俺たちを溺れさせようと水が襲ってくる。俺はミレンをおいて逃げ出そうと扉を目指した。


 が、水の流れが激しすぎて扉までたどり着けない。


 ミレンはすぐに気を失って水底へと沈んでいっているようだ。このまま放置していれば死ぬだろう。


 千載一遇の機会だというのに!


 俺は歯噛みした。このままでは俺もミレンの道連れになって死んでしまう。俺はミレンを殺すことを諦め生存を最優先にすることにした。


 「ヒヒヒヒヒヒッ、そのまま溺れて死んでしまいな?」


 渦の中心にいるドナテラに笑われながらも俺は手袋を脱ぎ捨てた。


 とたん、周囲の水がすべて黄金の粒となって散っていく。水よりもはるかに重い黄金の重みに耐えきれなかったのか、部屋の床が抜けた。


「ほう、少年は奇跡を使えたのかい。」


 黄金の煌めきとともに俺たちは大広間へと落下していく。石畳の床にぶつかって金の粒が飛び散っていく中、ドナテラは水のようにびしゃりと弾けた。


「クククク、だがそれでどうする? さっきまでとなにも変わらないじゃないか。」


周囲の水滴が集まってドナテラが再び人の形に戻る。


 同時に今度は中庭へとつながる鉄門が吹き飛んで先ほどまでとは比べ物にならないほどの水が大広間になだれこんできた。


「ヒィーヒッヒヒヒヒヒヒヒヒヒ、お前たちがここで溺れ死ぬことは運命なのさ!」


 階段から、床の岩の隙間から、あちこちから水が噴き出して大広間を水浸しにしていく。上からはステンドグラスが割れ、滝のように水が降り注いできた。


 もちろん俺はそれら海水を黄金に変えていくのだが、いかんせん水の量が多すぎる。たとえ水を黄金に変えられたとしても俺が金で窒息すれば話は同じだ。


「いいじゃないか、金に押しつぶされるほうが溺死よりもましだと思うねぇ?」


 ドナテラの耳障りな嗄れ声が俺を苛立たせる。


 金を愛しているからこそ、俺は金で死ぬことだけは絶対に嫌だ。金は俺が支配して初めて意味がある、金に身動きを封じられるのならいっそないほうがましだ!


 ぐつぐつと噴きあがる激情が俺の体を熱くする。布で覆われた俺の左目が熱くて熱くてしかたがなかった。

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