第30話
鮮やかに青く染められた大聖堂のドームがみえる。
生まれて初めて訪れたロンデルニウムは、俺が今までみたどんな街よりも巨大で豪華絢爛な装飾に満ち溢れていた。
郊外には古代の遺跡が点在し、びっしりと立ち並んだ家々の隙間を縫うように細い路地が迷路のように入り組んでいる。
「すごい街だね、アドライト。こんな景色みたことないや。」
「ええそうでしょうミレン様。かつてここで学んでいたころを思い出して懐かしくなりますね。」
街の門の外の丘の上でミレンがはしゃぐ。その脇にたつグロリヤ師が目を細めてなにかを懐かしむように呟いた。
俺はというと、ロンデルニウムが秘めているであろう莫大な富の匂いに頭をやられていた。
なんだ、ロンデルニウムの中心にそびえたつあの大聖堂は。
俺は目を皿のようにしてその聖堂を凝視した。聖堂の壁面にはびっしりと繊細で美しい彫刻が施され、いたるところに黄金の飾りがこれでもかと施されている。
金だ、金の匂いがぷんぷんする。
俺はこれほどまでに豪華な聖堂というものを目にしたことがなかった。俺の父の治める聖堂など、これに比べれば豚小屋だ。
心の底からむくむくと欲望が湧きあがってくるのを感じる。
これほどまでの富を手中におさめているのであろう教皇にもなれば、いったいどれほど堕落した生活を送れるのか。
大理石の聖堂の奥で日々召し使いにかしずかれ、各地から集められてくる珍味が常に食卓にあがる。皇帝も国王も恐れる必要などなく、すべてを従わせる。
俺は己が井の中の蛙であったことを心の底から理解した。俺は真の享楽というものを今日の今日まで知りもしなかったのだ。
聖堂の中で今も自らの絶対的な富を謳歌しているだろう教皇と枢機卿たちの姿を幻視する。
そして、すぐさまその教皇の姿に己を重ねあわせた。
教皇冠をかぶり、みこしに乗って召し使いに扇を仰がせている俺はいったいどうだろう? ……なかなか悪くないな。
考えてみれば俺が教皇となってロンデルニウム、いや教会の富をすべて牛耳るのははるか昔から決まっていたことのような気がしてきた。
「そういえば、グロリヤ師。教皇というのはいったいどうやって選ばれるのでしょう?」
はやる気持ちを抑えることができなかった俺は衝動的にグロリヤ師に尋ねてしまう。
「教皇の死後、枢機卿と呼ばれる高位の聖職者たちがとある礼拝堂に集まって決めますね。教皇の候補となるものは神から名を授かった十三人に限られています。」
「神から名を授かる?」
「ええ。その十三人は必ず神のお導きによってロンデルニウムに集まります。すると、その名が礼拝堂の石板にいつのまにか刻まれているのです。」
面倒だな、すでに誰が教皇になれるか決まっているのか。人数さえ決まっていないのならその礼拝堂に忍びこんで俺の名を刻みこんだというのに。
先ほどまでの教皇になるという俺の夢が潰えてしまったことに俺はがっかりした。
なんだ、それは理不尽ではないか。生まれで人が何になれるかを決めるだなどというのはあまりにも不自然だ。教皇座など競売にかければいいではないか。
「あれっ、いきなり落ちこんでどうしたの? せっかくロンデルニウムまで来たんだから楽しもうよ。」
そわそわしていることが隠しきれていないミレンに腕を掴まれひきずられていく。ミレンの瞳は純粋にロンデルニウムの賑やかな様子に惹かれているようだった。
まったく、ミレンのやつも所詮は田舎者だな。
世界中の品々が集まった市場を抜けてロンデルニウムの奥へ奥へと俺たちはすすんでいった。
先導していたグロリヤ師がいきなり立ち止まる。広場のむかいには巨大な大理石造りの建物があった。これもまた大聖堂に負けずとも劣らぬほどの豪華さだ。
「さて、つきましたよ。ここがロンデルニウム神学校、みなさんの学堂です。」
ロンデルニウム神学校は教皇が座する大聖堂のすぐ横の広間に面した一等地に鎮座しているようだ。
巨大な鉄扉をくぐり、建物の中に足を踏み入れる。
学校の中を歩いているとたびたび神学校の生徒や講師なのであろう人々とすれ違った。全員が細やかに刺繍されたきらびやかな祭服を身にまとっている。
そして、その生徒たちは俺たちの身なりを目にするたび、実に洗練された優雅なしぐさで眉をひそめた。
どうやらこんなところに薄汚い修道士がいることが気に食わないらしい。
その嘲りと侮蔑の視線は中庭を通り過ぎるときにもっとも強く感じられた。ミレンの顔から笑顔が消える。
まあ、ミレンの気持ちもわからんでもない。が、これから金を稼いでこいつら全員を見下せばいいだけの単純な話だ。
そうして歩いていると、俺たちを初めて目にしたひとりの生徒が目を見開いたように口をパクパクとさせて隣の生徒になにかしら耳打ちした。
そのささやきがざわめきのように中庭に広がっていく。
すると、なぜか今まで悪意で満ちていた視線が恐怖や畏れに変わっていった。中庭にいた生徒たちはまるで魔物をみるかのように俺たちを見つめてくる。
「おそらく、わたしたちが聖イグラネウス修道院の修道士だと気がついたのです。それにしても実に嘆かわしいことですね、ここも随分と質が落ちてしまいました。」
今まで聞いたことのないようなゾッとするような冷たい声でグロリヤ師が戸惑っていた俺に教えてくれる。
なるほど、修道院の黒と赤で染められた祭服を知っていた生徒がいたのか。
「まずは学校長に挨拶にいきますよ。」
グロリヤ師が階段を登っていくのに続こうとしたその時だった。
脇あいから飛び出してきたひとりの少女に俺はぶつかられた。今さら小娘ひとりに体当たりされたところで俺はどうともならないが、少女のほうは吹き飛んでいく。
やけに豪勢な服装をしている少女だった。頭には巨大な冠をかぶり、一丁前に胸には黄金の首飾りを吊り下げている。
「大丈夫かい?」
ミレンが手を差し出すも、少女はまったくその手をとろうとしなかった。
それどころか俺のほうを見つめてわなわなと唇を震わせている。なんだ、こいつは?
真っ白に染め抜かれた祭服を身にまとうその少女はそのまま立ち上がるとなにも言わずに逃げていってしまった。
「あれは、次代の教皇の候補のかたですね。あの純白の衣服と冠はその証です。」
グロリヤ師が少女の後姿をみつめながら語った。
なに、あんな小娘が教皇になりうる人間だと? 俺は心の底から怒りがわいてきた。あんな臆病で気弱げな者でも教皇になれるというのになぜ俺はなれないのだ。
あんな小娘、自らが身につけている装飾の価値すら理解していないだろう。あんな人間が教皇になったところで周囲の枢機卿にいいように操られて……。
……待てよ、それはほんとうに悪いことなのか?
俺は顎に手をあてて考え始めた。あの少女は確実に金のことには詳しくなさそうだ、そうなると教会の富は周囲の枢機卿がいいように手に入れるだろう。
そうだ、俺が教皇になる必要はない。俺が欲しいのは教会の富だ、地位や名誉ではない。
もしも、俺が枢機卿としてあの娘を背後から操れるようになったのなら……。
まだこのロンデルニウムで一生涯私腹を肥やして生きていく夢は諦めなくともいいのかもしれない。俺の中で潰えたはずの野望が再び燃え上がり始めた。
「なに立ち止まってるのさ。さっさと行くよ。」
先に階段を登ったミレンが俺を急かしたてる。
まぁ、そう慌てるな。勇者であるお前の息の根は必ずここで止めてやる。やるべきことがもうひとつだけ増えただけのことだ。
あの小娘に取り入り、ほかの教皇の候補を蹴り落そう。そして教皇の座にあいつをつけた暁には枢機卿として金貨の山に溺れるのだ。
完璧な計画に、俺はぺろりと乾いた唇を舌でなめた。
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ここまで拙作につきあって下さり、誠にありがとうございました。ひとまずこの30話で第一章は終わりとなります。
今後の創作の参考とするため、下の☆☆☆から評価を頂けると幸いです。また、ブックマークをしてくれたら作者がとても喜びます。
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