第29話
「竜を倒し、その血を浴びた者には竜の力が宿るという。わたしは単なる迷信だと考えていたが、まさかほんとうに正しかったとは……。」
アンドレアスが目を見開いて呟く。どうやらあの忌々しいトカゲモドキの力とやらが俺に影響を及ぼしているらしい。
「まぁ、どうでもいいか。」
だが、すぐさま俺は些細なことだと聞き流した。大切なのはただで失った左目を取り戻せたことだ。
小屋に戻ってクリシェドやミレンに説明すると、ミレンが心配げな表情を浮かべた。
「その、大丈夫かい? 竜なんて恐ろしい魔物の力は間違いなく災いをもたらすよ?」
「確かに金貨の価値も理解せんトカゲモドキの力など気に食わんが、別に構わん。俺は俺だ、金貨がそばにある限り俺はどうにもならん。」
俺はマントを羽織り、小屋から出る。左目を取り戻した今、まずい飯しか出てこないこんな辺境に留まる必要もなかった。
竜のものとなった左目を見せてほしいとすがってくるアンドレアスを引き剝がして修道院への帰路につく。
行きと違って特段苦労もしなかった俺たちはすぐに修道院のそばまでやってきた。
「ではさらばだ、アドライト。わたしは聖領騎士団のもとにむかわなければならん。」
馬にまたがったクリシェドが、そのまま荒野の彼方に消えていく。それを見届けてから俺とミレンは岩山の上にみえる修道院へと足を進めた。
「そういえばなんだけど。その竜の目は隠しておいたほうがいいよ。」
「なぜだ、どうして俺がせっかくみえるようになった左目を隠さなければならん?」
理解できないミレンの言葉に俺は眉を顰める。そもそも隠さなければならないのなら左目をとりもどした意味がないではないか。
口ごもったミレンが、俺の耳もとに口を近づけてくる。
「聖職者によっては魔物の力をもつ人間を魔王の手先として忌み嫌っている人もいるからね。旅先でそういう人と何回か会ったことがあるんだ。」
「ふむ、そうか。面倒ごとに巻きこまれて金を無駄にしたくないからな、お前の言葉に従うとしよう。だが、グロリヤ師には言っておかなければならんぞ。」
「……まあ、好きにするといいさ。グロリヤ師がそういう類の修道士でないことを祈ろう。」
なにを馬鹿なことを。グロリヤ師がそんな愚かなことを考える人間なはずがない。再び布切れで左目を覆いながら、俺はそう内心でミレンを嘲った。
「まぁまぁ、よく帰ってきましたね。一日千秋の思いで待っていましたよ。」
修道院の門の前でグロリヤ師が涙を拭いながら俺たちを待っている。
「どうやって僕たちが帰ってきたことに気がついたんだ……?」
なにやら顔を青ざめさせてブツブツといっているミレンをおいて、俺はグロリヤ師に駆け寄った。
「グロリヤ師、お久しぶりです。」
「ええ、もう一ヶ月ほどは待ちましたよ。さて、」
俺がグロリヤ師の間あいに入った瞬間、音すら置き去りにするほどの速さでグロリヤ師が足を一歩前に踏み出した。
そのまま腰だめに構えた拳を瞬間移動したかと見紛うほどの一瞬で俺の胸元にもってくる。
俺はとっさに腕を交差させてグロリヤ師の拳の前で構えた。
グロリヤ師の拳が俺の腕にあたる。ビリビリとした衝撃が腕を伝わって体まで届いてくるのを俺は耐えた。
「……ふむ、旅の最中も修行を欠かさず行っていたようで安心しました。そうでなければ愛弟子が大地に還ってしまうところでしたから。」
ニコニコとほほ笑んだグロリヤ師が修道院の中に入っていく。俺もグロリヤ師の拳の余波で半壊した門を同様にくぐっていった。
「ほんとうにこの師にしてこの弟子あり、といった感じだな~。」
最後にひきつった顔のミレンが修道院に足を踏み入れる。これで俺たちの旅はようやく終わりを告げたのだった。
修道院についてすぐ、俺はグロリヤ師から左目を確認された。グロリヤ師の部屋の中で俺の左目から布が取り払われる。
「これが、義眼ですか。アンドレアスも腕をあげたのですね。」
俺の左目をひとしきり眺めた後、グロリヤ師が感服したようにほうっとため息をついた。
「いえ、そういうわけではありません。これは竜の呪いなのです。」
俺はグロリヤ師に事の顛末をすべて語った。すべてを聞き終えたグロリヤ師は顎に手をあててなにやら考えこんでいる。
「なるほど、ミレン様がおっしゃっていたことは正しいですね。嘆かわしいことこの修道院にも魔物の力を持つ人間を毛嫌いしている修道士が多くいらっしゃいます。」
どうやらミレンの予想は当たらずとも遠からずだったらしい。
「しかし、困りましたね。修道士にはもう義眼を手に入れにアドライト様は旅に出たと話してしまいましたので、このまま布で隠したままにすることはできません。」
このまま左目を隠したままでいれば義眼はどうしたのかと訝しまれるだろう。
そうして詮索されてこの布の下の竜の目が明らかになってしまえば最後、修道院の中で針のむしろを味わう羽目になる。
俺としては別にほかの修道士に嫌われようが嫌われまいがかまわないのだが、グロリヤ師は流血沙汰になるのではないかと心配しているようだった。
グロリヤ師が顎に手をあてたまま悩んでいるかのようにうんうんと唸っていたかと思うと、いきなりパンと手を叩く。
「そうですね、暫くの間ほとぼりが冷めるまで修道院から離れるのはどうでしょうか。」
「離れるとは、いったいどこに?」
「実はですね、わたしはかねがねロンデルニウム神学校から講義のお誘いをいただいておりまして。いったんそちらのほうに行かれるのはどうでしょう?」
ロンデルニウムとは教皇が座する教会の中枢が集まる都市のことである。その神学校は教会において最高位の権威をもつ学府であった。
失礼な話、そんなところに講師として呼ばれるほどグロリヤ師が高名だとは知らなかった。
だが、聖イグラネウス修道院からロンデルニウム神学校にかよう、か。
俺は顔を俯かせて笑みをこらえるのに精いっぱいだった。これは栄転どころの話ではない。
ロンデルニウム神学校とはまさに教会の組織の頂点を担う将来の枢機卿たちが学ぶ学校であり、まさに地方の大司教どころかさらに上の地位も視野に入るだろう。
そんな神学校に通えるだと……! 俺は神に感謝した。
「はい、僭越ながらそのお言葉に従いたいと思います。」
「いいですね、せっかくですからミレン様も一緒に通われるといいでしょう。」
……今までまったく回ってこなかった運のツキがようやく俺の前に姿を現したらしい。
俺が将来大司教になって私腹を肥やし豪遊するためには、教会内で俺の権力を高め、勇者を殺す必要がある。
ミレンとともにロンデルニウム神学校で学ぶなど、その目標ふたつを同時に達成できる絶好の機会ではないか!
「それでは数日した後に出立いたします。このことミレン様にもお伝えください。」
「はっ、かしこまりましたわが師よ。では失礼させていただきます。」
俺は今にも踊りだしたくなる足を懸命に抑えながら、グロリヤ師の前から退室した。
「さて……。なかなかうまくいかないものですね。」
愛弟子のアドライトが立ち去った後、グロリヤは深く椅子に腰かけた。神に祈りを捧げながら、考えこむ。
アドライトほどの逸材を掘り出せたのは僥倖だった。次の魔王にぶつける戦力として申し分ないほど強力だろう。
だが、問題は勇者のほうだ。
旅の最中ずっとアドライトを頼っていたようだが、あれではいけない。勇者とは常に強くなければならない。強くない勇者など存在価値がないのだから。
首飾りを手に入れたのもほとんどアドライトあってのようなものだ。先代の勇者も初めは酷いものだったが、今の勇者ミレンはそれ以下だろう。
しかし、それにしてもアドライトは実に優秀で信心深い信徒だ。
グロリヤはなにを思ったかいきなりいつも被っていたフードをそうっと外した。常に隠されていたグロリヤの頭が露わになる。
そこにはくすんで明滅を繰り返しているぼんやりとした輪があった。
「まさかわたしと同じく異教の神を討伐してしまうとは、予想外の出来栄えです。」
グロリヤが愛弟子の成長を喜ぶようににっこりと笑みを浮かべる。その目は狂気に染まっていた。
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