第28話
夜が明けた後のあたりの光景は酷いものだった。
いくつか山が吹き飛んでいて、尾根から見下ろせる荒野には大きな窪みができている。あのトカゲモドキが暴れたせいとはいえ、いろいろともったいないことをした。
夜通しトカゲモドキと戦ってさすがに疲れた俺たちは、そのまま山と山の間の谷間をゆっくりと進んでいく。
視界の下を流れていく雪解け水の激流に気をつけながら北の山脈を乗り越えた俺たちはようやく目的地についた。
周囲を峻厳な山々に囲まれて、そこには背の低い草木が生い茂る湖がある。人や動物の気配はなにもなく、ただ静寂だけがそこには広がっていた。
その湖のほとりに小さな掘っ立て小屋がある。
恐らくはあれがアンドレアス司祭の住まいなのだろう。司祭のくせに随分と貧相な家だな。
「もしもし、聖イグラネウス修道院の修道士、アドライトと申します。師からの言伝を預かっておりますが、アンドレアス司祭はここにいらっしゃいますか?」
俺が今にも外れてしまいそうな扉を拳で叩くも、誰も出てこない。
しびれをきらした俺はそのままその扉を蹴り飛ばした。背後からミレンとクリシェドの非難の視線を浴びながら、俺はずかずかと家の中に足を踏み入れる。
だが、家の中はもぬけの殻だった。
「ほんとうにこんな辺境に司祭なんて住んでいるのかい? 教え導く信者もいないだろうに。」
後ろから続いて家に入ってきたミレンが家の隅々まで目を走らせる。家の中には家財道具が散乱していて、まるでいかにも廃墟といった面影があった。
だが、俺の目は騙されない。
「いや、家主はそう遠くにはいないな。これをみてみろ。」
机の上に並べられたままになっている麦がゆを指さす。おそらくは俺たちが訪れた瞬間まで朝食をとっていたのだろう。
「確かにその通りだ。おそらくはわたしたちの来訪を知ってこの部屋を慌てて荒らしたのだろう。」
クリシェドが目を光らせて、手に持つ槍の柄で麦わらの山の中をザクザクとさして探る。ミレンは家の外まで探しに出かけた。
俺もなんでもないように端の長びつに手をかける。中には金貨がぎっしりと詰まっていた。
「……アドライト、確かに貴様の考えを学びたいとはいったがコソ泥の思考は学びたいと思ったことはないぞ。」
「ふん、馬鹿が。俺がそんな近視眼的な考え方をすると思ったか?」
俺は長びつの中に手をつっこむ。
この長びつから漂ってくる金貨の匂いの強さが、あきらかに外見から予想される容量よりも少ない。確実に金貨以外の何かが入っている。
指先に生暖かくて柔らかいものが触れる。それを掴んだ俺は一気にひきずり上げた。
「ほらな、俺が金貨で物事を間違えることなど一度もない。」
「ひぃっ、頼むから殺さないで!」
長びつの中に隠れていたのは、長身の怯えた表情をした青年だった。
椅子に青年を座らせ、三人でその周りを囲う。その青年はあきらかに何かに怯えるかのように額から冷や汗を流して震えていた。
「で、お前はいったい誰なんだ?」
「え、ええと。実は近くの村に住んでいたんだけれど焼きだされたからここまで逃げてきた村人なんだ。あはははは……。」
なにかをごまかすかのように笑っている青年の背後でミレンが聖剣をすらりと抜いた。
「へえ、僕は君のことは全く知らないけれどね。いったい村のどこに住んでいたんだい?」
「……もしかして、生き残りのかたですか?」
「そうだよ。てっきり生き残ったのは僕だけだと思っていたからうれしいな。せっかく感動の再会を果たしたんだ、昔の思い出を語りあおうじゃないか。」
聖剣の刃が青年の首もとにそえられる。顔を青白くしたその青年は自らがようやくアンドレアス司祭であることを認めた。
「きっ、君たちはグロリヤ師からの命をうけてわたしを殺しに来たんだな!? こんなひ弱な司祭相手に三人がかりだなんて卑怯だぞ!」
意味の分からない言葉を吐き出しているアンドレアスにグロリヤ師から預かった手紙を渡す。
それに目を通したアンドレアスは、しばらくしてほっとしたように胸をなでおろした。その様子を訝しげに思ったのか、クリシェドが尋ねる。
「いったいなんと書いてあったのだ?」
「いや、昔ちょっと悪いことをして捕まりかけたことがあってね。グロリヤ師から命を狙われているとばかり思ってたんだけど、そうじゃないって書いてあったんだ。」
あからさまに余裕を取り戻したアンドレアスが立ちあがり、俺の左目を覆っている布切れに触れる。
「それで、わたしは君のこの左目にあう義眼を作ればいいんだね。お安い御用だ、君たちはゆっくり休んで長旅の疲れを癒せばいい。」
アンドレアスがよそってくれたマズい麦がゆをきっぱりと断った俺たちは、アンドレアスが道具箱を用意するのを眺めていた。
俺のくぼんだ眼窩の大きさをはかりながら、アンドレアスが話しかけてくる。
「君はグロリヤ師の弟子さんなんだってね。あのお婆さんはとんでもないことを言い出すから大変でしょ?」
「? 大変とはどういうことだ、グロリヤ師の教えは示唆に富んだ実に有意義なものだぞ?」
アンドレアスが一瞬手を止めて天を仰いだ。やがて俺を生暖かい視線で見つめ始める。
「ああ、君はグロリヤ師と同類の人間なんだね。理解したよ。道理であの狂気がかっているグロリヤ師が手紙の中で褒め称えているわけだ。」
なぜかアンドレアスが先ほどよりも一歩距離をとっていることに疑問を覚えたが、あのグロリヤ師に褒められていたことのほうが嬉しくてすぐに忘れてしまった。
「というか、そのところどころ焼けているマントをみるに、あの竜と戦ったんだね。」
「ああ、倒した。」
「……ふぅ、わたしは驚かないぞ。忘れるな、こいつはあのグロリヤ師お気に入りの弟子なんだ、なにをしでかしたっておかしくない。」
未だ村の名を騙られたことに苛々しているらしいミレンがとげとげしい口調で口を開く。
「それで、アンドレアスはいったいなんの罪から逃れてこんな北までやってきたんだい?」
「ああ、教皇が息子が聖書も読まず遊んでばかりいると悩んでいらっしゃってね。一度手にとったら次の満月の日までに中身をすべて暗唱しない限り全身から血を噴き出して死ぬ聖書をその子供に贈ったらなぜか破門されてしまったんだよ。」
ミレンの問いかけに憤激したようにアンドレアスが愚痴をこぼす。その後ろでクリシェドが青い顔をしていた。
「そういえば、先代の教皇猊下のお子様が突然謎の死を遂げたという噂を小耳に挟んだ覚えがある気が……。」
なんだ、それは。俺は眉をひそめた。
やはり聖イグラネウス修道院出身の人間はおかしな奴らばかりだな。俺が晴れて大司教になった暁には必ず関わり合いを持たないようにしよう。
採寸を終えてアンドレアスが道具箱を開ける。中からよくわからない道具をたくさん取り出すと、粘土をこね始めた。
「わたしは道具作りの守護天使から力を授かっていてね。作ったものに不思議な力を与えることができるんだ。」
アンドレアスは陶製の義眼を作るつもりらしい。
そのためにはうわぐすりを塗ったり焼いたりといくつもの工程を経なければならずかなり時間がかかるようで、その間俺たちはこの小屋に泊まることになった。
小屋の窓からみえる湖を眺めながら、俺は竜に捻じ曲げられた金貨を物悲しげに布で拭いていた。
俺が無力なばかりに、こいつらにはつらい思いをさせてしまった……。
祈りを捧げながらせめてもの償いとばかりに表面をピカピカに磨いているとアンドレアスが小屋に飛びこんできた。
「アドライトくん、義眼が出来あがったよ! 早速だけどはめてくれないかな。」
本物の眼球と見まがうばかりのその陶製の義眼を眼窩にはめてみる。
とたん、今まで見えなかったはずの左の視界がぼんやりとだが見えるようになった。もっと左を見たいと思えば自然と義眼が左による。
思ったよりもすばらしい義眼の出来に俺は思わず感嘆の声をあげた。
「どうだい、かなりの自信作なん……だ………が…………。」
アンドレアスが自信ありげに俺の顔を覗きこんで、固まる。唇をわなわなと震わせながら黙りこんでいるアンドレアスの不可解な様子を俺は訝しんだ。
「こ、これ……。」
舌が回っていないアンドレアスに連れ出されて湖のほとりまで連れ出される。アンドレアスに促されるまま、俺は湖面に映った義眼を目にした。
そこにはさきほどまでの陶製の義眼の姿は影も形もなく、そのかわりに瞳孔が縦に裂けたまさに竜のような左目があった。
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