第27話

 灼熱の竜の吐息が俺の頬を撫でる。黄金にかえられた炎はまるで宝石のようにあたりに飛び散っていった。


 そのきらびやかな輝きの中から、竜の巨大な手が伸びてくる。


 自らに逆らう愚かな人間を亡き者にしてやらんとばかりに迫りくるその鋭いかぎ爪を、クリシェドが手で受け止めた。


 一瞬、竜が動きを止める。その背後に空中でくるくると回転するひとつの影があった。


 勢いをつけてミレンが聖剣を竜の翼に振り下ろす。


 血の代わりに炎を噴き出しながら、片翼が根元から一刀両断されて切り落とされた。


 その隙に背後にまわった俺が竜の尾を掴む。満身の力をこめてそれを引きちぎった。最後にクリシェドが竜の胸元に深々と槍を突き刺す。


 度重なる攻撃を前に竜は地面にくずおれてしまった。




 地に伏したまま、竜は身を焦がすような憤怒に燃えていた。


 人間も小鬼もトロルでさえ、竜の前では等しく無力であり、翼の一振りでみな隅になってしまう。それこそが竜の知る理であった。


 当然、これまで命の危険など感じたことはない。気に食わないことがあれば思う存分暴れまわり、そしてそれを誰にも咎められることはない。


 だが、その常識が今音をたてて崩れ落ちていた。


 槍で突き刺された背中と胸の傷はズキズキと絶えず痛みを訴え、さらに片方の

翼さえ奪われてしまった。


 なによりも、視界の右半分はもう二度と光を取り戻すことはないのだという事実がひどく竜を打ちのめす。


 あの修道士の人間、あの不遜な人間ごときに自らの眼球を失うことになるなど、竜の誇りが耐えられなかった。


 あの憎たらしい修道士だけは必ず殺してやる。竜は憎悪に身を任せて咆哮した。


 とどめを刺そうとでもいうのか近づいてくる修道士を竜が睨みつける。伝説の怪物である竜として、ただひたすらにやられっぱなしになるつもりはなかった。


 力を振り絞って残った翼を燃え上がらせる。


 周囲一帯を焦土に変えてしまうほどの莫大な炎の奔流が竜を中心に天高くそびえたった。


 未だかつてこの一撃を喰らって黒焦げにならなかったものなどいない、竜の文字通り切り札である。


 網膜に焼きつくほどの赤が消え去ったのち、そこにはひとつも人影がなかった。


 だが、竜は油断などするはずもなかった。あまりの熱にもはや岩すら溶け始めている中、竜の目が黄金の煌めきを視界に収める。


 瞬間、黄金に変えられた炎から飛び出してきた拳と竜の吐息とがぶつかりあう。


 それを合図にしたかのように、岩陰から飛び出してきた騎士と勇者が竜の体を切り刻もうと飛び出してきた。


 竜の巨体でその槍や剣から逃れられるはずもない。


 竜がその存在に気がついた時にはもう遅く、聖剣の刃が竜の腹部を深くえぐりとった。


 激痛に苛まれながら、竜が横に転がっていく。


 せめて騎士だけでも潰してやろうとしたその選択は完全に裏目に出た。騎士は逃げる素振りすらみせず、槍を前に突き出す。


 竜の体を槍が完全に刺し貫いた。


 騎士はそのまま雄たけびをあげながら、竜の体を押しとどめ釘づけにする。潰れた右目でみえなくとも竜にははっきりと近づいてくる修道士の姿が分かった。


 このままではあの修道士の拳によって黄金の彫像へと変えられてしまう。そのおぞましいまでの末路に恐怖した竜は、自らの敗因を懸命に分析した。


 いったいなぜ圧倒的に優れた存在であるはずの己が、人間などという下等生物数匹にこれほどまでに苦しめられているのか、必死に考える。


 あの人間たちがなによりもやっかいなのは、三人いてしかも連携がとれているところだ。


 竜が一人の人間を倒そうと躍起になっている間に、ほかの二人が忍び寄ってきて竜の体を傷つけている。


 さしもの竜とて体がみっつあるわけではない。今まで味わったことのない数の力に竜は圧倒されていた。


 せめて、一対一や一対二にまでもちこむことができれば……。


 だからこそ、竜が勝利するためにはなんとしてでも人間の数を減らさなければならなかった。


 そう、まだあの修道士の一人だけと戦っていた時は、これほどまでに一方的にやられることはなかった。


 あのやっかいな修道士を潰すか、もしくはほかの面倒な二人を殺すことさえできれば、まだまだ勝機がみえるはずだ。


 竜はあえて近づいてくる修道士に気がつかないふりをして、ただひたすらに騎士を押しつぶそうと力をかけ続けた。


 修道士の手が竜の首に近づいてくる。


 まだだ、まだ……。真の狙いが修道士であることを隠すため、竜は限界まで修道士を無視した。


 竜の頭を吹き飛ばさんと近づくその拳が竜の口元まで迫ったその瞬間、竜は口を大きく開けてその巨大な牙をあらわにした。


 今さら気がついたのか、修道士の動きが止まる。だがもう遅い、竜はその少年を丸呑みしてしまった。


「アドライトッ!?」


 聖剣を携えた勇者が信じられないとばかりに顔を歪ませながら悲痛な叫び声をあげる。


 今頃そのアドライトとやらは竜の胃の中で溶岩とともにじっくりと溶かされているだろう。勝利を確信した竜は高らかに吠えた。




 なんて、このトカゲモドキは勘違いしていそうだな。


 黄金に変えたマントにくるまりながら、俺はにやりと笑みを浮かべていた。正直なところ、竜の企みなどバレバレだった。


 先ほどまで片目が見えないのにもかかわらず常に俺のことを狙ってきたトカゲモドキがいきなり鈍感になったのなら、どんな馬鹿でも警戒するだろう。


 そして、ご自慢のかぎ爪も翼も葬られた今となっては俺を食ってしまおうという短絡的な結論に走ってしまうことなど余裕で読めていた。


 竜の体内の莫大な熱で溶けていく黄金にくるまりながら、俺は短く息を吸って拳を突き出す。


 それにしても愚かなことだ、俺を口に入れてしまえばこうして体内で逆に暴れられないのかと考えもしなかったのだろうか。


 もはやうろこを剥がして俺の力から逃れることもできない竜はゆっくりと黄金に変えられていく定めだった。




 俺の手に触れたところから竜の体が金に変わっていく。竜のすさまじい熱によって黄金に変えられたその体はボドボドに崩れ落ち始めた。


 竜のすさまじい咆哮が胃の中から聞こえてくる。


 それもそうだ、体の内側から溶けた黄金に変えられていくのだから苦しくないはずがない。


 それとも黄金の塊とはこのトカゲモドキにはできすぎた最期だったか?


 外からの光が胃の中にさしこんでくる。トカゲモドキの体の中にいると考えただけで吐き気がしてきた俺はそのまま外へと足を踏み出した。


「アドライト、無事でよかった……!」


 とたん、駆け寄ってきたミレンに飛びかかられる。


 涙を流して喜んでいるその姿に俺は困惑した。まさか俺がなんの疑いも持たないまま竜に食われたと、本気でそう思っていたのか?


「まったく、暑苦しくてかなわん。俺から離れろ。」


 ミレンを引きはがして背後に向き直る。


 先ほどまで太陽と見まがうほど明るく輝いていた竜はすでにその体のほとんどを黄金に変えられていた。


 やはり先ほどまでの目に優しくない光よりは金の柔らかい輝きのほうが美しいな。


「ようやく倒れたか。最後のとどめよくさしてくれたな、アドライト。」


 竜の下敷きになりかけていたクリシェドが近づいてきた。


 最後まで炎で燃えていた竜の牙が黄金に変わり、あたりが普段通りの夜の明るさまで暗くなる。


 俺はかつて竜だったものの中心に転がっていた心臓を手でつかんだ。


 よほどすさまじい力をもっているのか、その心臓だけが黄金になるのが遅れている。それを俺は手で砕いた。


 炎のように熱い竜の血が俺にかかる。これで竜退治は終わりだ。

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