第25話

 うつむいて歩き続ける。


『大司教として日ごろからかまってやれない、そんな娘が騎士になると言い出した。せめて槍だけでもとなけなしの金を絞り出した、それが愛ではないだと!』


「……っ!」


 クリシェドの頭の中でずっとアドライトの言葉ががんがんとなりわめき続けていた。ずきずきと痛む頭をおさえてクリシェドはひたすら街道を歩いていく。


 今まで誰にも愛されていないと信じていた。だからがむしゃらに戦っているのだと自分を正当化してきた。だが、ほんとうにそれは正しいことだったのだろうか?


 ボロボロになったマントをズリズリと地面に引きずりながら、クリシェドは虚ろな瞳で足を進ませる。


「あ、騎士のお姉ちゃんだ!」


 その時、聞き覚えのある声がした。クリシェドが顔をあげると、いつの間にか海まで出ていたようだ。


 クリシェドがアドライトと一緒に助けた村人たちは、渡し船を待ってここで休憩しているらしい。


「あれ、修道士のおにいちゃんと旅人のお姉ちゃんはどこにいったの?」


「こら、クリシェド様に迷惑だろう。それでクリシェド様、いったいどうしたのですか?」


 息子の首根っこを掴みながら、グローシュが姿を現した。アドライトたちと一緒にいないクリシェドを前にして目を丸くしている。


「いや、なんでもない。アドライトたちとは別れてきた。」


「……そうですか、その事情は聞かないでおきましょう。とにかく、こちらで休みませんか?」


 クリシェドの暗い表情に気がついたグローシュがクリシェドを促して座らせる。グローシュからエールの入った革袋を手渡されたクリシェドはちびちびと口をつけた。


「なんだい、クリシェド様が来たんだったらあたしにも教えてくれよ。あんたはほんとう気が利かないね。」


 クリシェドの周りをうろうろしていたグローシュを押しのけて、マリアがどすんと音をたてて隣に座る。


「で、いったいなにがあったんですかい? あたしでいいなら話を聞きますよ。」


 クリシェドは目を見開いた。それに気がついたのか、マリアは悪戯げに片目をつむってみせる。


「そこの旦那とは違ってあたしは目が敏いもんでね。クリシェド様がなにやら悩んでいることなんてお見通しですよ。」


 マリアの快活な笑い声につられてクリシェドの気も軽くなる。聖剣を盗み出そうとしてアドライトに捕まったあの晩からずっとはりつめていた糸がぷつんと切れた。


「……わたしが、アドライトたちを裏切ってしまったんだ。浅はかな欲望に呑まれて、愚かな大罪を犯してしまった。」


 クリシェドの口からするすると言葉が出てくる。それをマリアは黙って聞いていた。


「誰かに愛されたかった、だからわたしは強くなろうとした。そうすれば誰かに必要とされると思っていた。そうして、手を出してはいけないものに触れてしまった。」


 クリシェドは自らの罪を告白しながら、自然と口の端が持ち上がっていくのを感じた。


 アドライトが聖イグラネウス修道院に選ばれ、わたしが選ばれなかったのはおかしいだと? 笑わせる、こんな最低な人間がアドライトに勝るはずもないだろうに。


 クックッと自嘲の笑みが漏れるのをこらえられない。腹がよじれそうなぐらい滑稽なのに、涙が流れてきた。


「……仲間のものを盗むなんて、それは大変なことをしちまったね。」


 もし、これでその仲間のものが聖剣でわたしは勇者になり替わろうとしたのだと打ち明けたのなら、さすがの村人たちも軽蔑の視線をむけてくるだろうな。


 クリシェドはぼんやりとした頭の中にそんな考えを浮かべた。


「それで、アドライト様はなんていってたんだい?」


「……わたしには失望したと。そこにある父の愛すら気がつけず、そんなことで悩んでいるわたしは愚か者だと怒鳴られてしまった。」


「アドライト様はあいかわらずお厳しいねぇ。」


 隣で苦笑しているマリアに、クリシェドは衝動的に口を開いた。


「マリアもわたしが父に愛されていると思うか。アドライトのいう通り、わたしは愛されて、認められていると思うか。」


「ああ、もちろんさね。」


 即答だった。クリシェドは驚いて弾かれたようにマリアをみつめる。マリアは言い聞かせるように語った。


「アドライト様が言ってた通りだよ。騎士様ってのはいろいろとお金がいるもんだ。そもそも、クリシェド様は一度でもお父様に愛していないといわれたかい?」


 また金の話だ。今まで金のことは不浄でけっして触れてはならないもととしか考えていなかったクリシェドにはとうてい理解できないことだった。


 そもそも金に目がないほかの聖職者のことを父は毛嫌いしていた。金策に翻弄されている姿は父に似つかわしくない。


「わかんないかい? まあ、騎士様ほどともなれば金勘定とは無縁だからね、あんまり実感がわかないかもしれないね。」


 マリアの心を見通しているかのような言葉に、クリシェドはうつむいてしまった。深いため息をついたマリアは指をくるくるとまわした。


「でも、クリシェド様は愛されてるよ。あの日の酒宴で、アドライト様はクリシェド様のことをずいぶんとほめてらっしゃったぜ?」


「そんな、嘘に決まっている。」


 マリアの言葉をクリシェドは切って捨てた。そんなクリシェドにマリアはにんまりと笑う。


「じゃあ、どうして認めてもいないクリシェド様のためにアドライト様は怒ったんだい?」


「え?」


「だって、そうだろう? 初めから認めてもいない、どうでもいいと思っている人間相手に人は声を荒げたりしないもんさ。」


 マリアの言葉はクリシェドにとって意外だった。確かに、アドライトがあれほどまでに怒りをあらわにしているのをクリシェドは見たことがない。


 クリシェドはあの晩のアドライトの瞳をもう一度思い出した。


「修道士様は口ではなんと言おうともクリシェド様を認めて、期待してたんだよ。だから、裏切られて失望したし怒った。それだけは間違いないね。」


「……そうか、わたしはアドライトに認められていたのだな。」


 クリシェドは自らの手のひらをじっと見つめた。


 お金をかけているから愛されているという考えをクリシェドは未だ理解できない。クリシェドが箱入り娘だからわからないのかそうでないかは判断できなかった。


 だから、正直言って父に愛されているという実感はわかなかった。


 だが、あの拝金主義者のアドライトがもしもクリシェドに声を荒げて感情をあらわにしたのなら。


 そこには期待があったのではないか。自分を認めてくれていたのではないか。


「それに、ほら。あたしたち村のみんなはクリシェド様のことを尊敬してるさ。強いとかそんなんじゃなく、助けにきてくれたその事実こそがうれしいって思ってる。」


 もしかして、わたしはわたしが思っているよりもわたしを気にかけてくれている人たちに囲まれていたのかもしれない。


 そうだ、アドライトと話をしなければ。クリシェドはふとそう思い立った。


 期待を裏切って最悪の罪を犯してしまったこと、視野が狭く勝手に絶望していた目を覚ましてくれたことへの思いを口にしなければいけない気がした。


「……すまない、やるべきことがあることに気がついた。失礼させてもらう。」


「ふぅん、それはよかったさね。だが、そのボロボロの姿はいけねえな。あたしが傭兵やってた頃の鎧がある、持ってけ。」


 マリアが脇の箱をバンバンとたたく。中には古びているが見事な仕上がりの鎧が一式丁寧にしまわれていた。


「遠慮しないしない、どうせあたしはもう使わねえんだ。ここで使わなきゃ鎧が泣いちまうぜ。」


 目を白黒させている間に無理矢理鎧を着せられたクリシェドの前にグローシュが馬を一頭つれて戻ってくる。


「これも持っていくといい。」


「なんだ、お前さんにしちゃ気が利いているな。」


 ここまでされて断るのは逆に失礼だ。勢いよく馬にまたがったクリシェドは村の人々に一礼した。


「ありがとう、この恩は必ず……!」


 村人たちは何も言わず、ただにっこりと微笑み返してくれる。馬を駆るクリシェドはひたすら通ってきたばかりの道を逆にたどっていった。

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