第24話

 とっさに俺はミレンの前に飛び出した。


 瞬間、竜の灼熱の吐息が襲いかかってくる。この世の炎という炎をぎゅっと凝縮したかのようなその吐息に俺は手をかざした。


 手のひらが焼けるように熱い。俺の手に触れて融解した黄金へと姿を変えた炎はあちらこちらに飛び散り、真っ赤な花を咲かせる。


「おい、ミレン。なにもできんのならとっと逃げろ!」


「あ、あ………。」


 ミレンに叫ぶも、いっさい動く気配をみせない。その場であっけにとられたかのように竜を見つめたままのミレンに俺は軽く殺気を覚えた。


 戦えない者ほど邪魔なことはない。


 その場でうずくまっているミレンを蹴り飛ばし、距離を稼ぐ。そのまま俺は横に飛んで竜の吐息から逃れた。


 手のひらを確認して舌打ちする。真っ赤に焼けただれてもう使い物にならない。


 木の棒でがんがんと頭が叩かれているかのような激痛が走る。ジョンとの約束がなければ今すぐにでもミレンを見捨てたい気分だ。


 遠くで横になったまま吐いているミレンめがけて竜が飛びかかろうとする。


 そうはさせじとその背後から俺はその腹部目がけて掌底打を放った。どうせ神経まで焼け切れて痛みを伝えてこなくなった手だ、どうなろうとも構わん。


 竜の心臓から発生するすさまじい熱によってぼんやりと発光している鱗に手のひらが触れる。


 じゅうっと肉が焼ける嫌な音とともに、竜は遠くの山まで吹き飛ばされた。


 ここで戦えば余波でミレンが死にかねない。ミレンが戦わないというのならジョンに追加料金ぐらい請求するべきだったと俺は歯噛みした。


 岩だらけの山肌を力にまかせて走り抜ける。


 山の頂上で怒り心頭とばかりに炎を吐いて気勢をあげる竜に俺は再び飛びかかった。


 近づいてくる俺に気がついたのか、憤怒の形相で竜が咆哮する。


 途端、竜の翼の炎がより一層燃え盛り、もはやまともに目をあけていられないほどの光が周囲を包みこんだ。


 その奥から莫大な熱量のなにかが飛んでくる。


 それをすんでのところでかわした俺は、その正体である竜の正真正銘本気の息吹が背後の山脈を抉りとって山と湖を数個消滅させるのを目撃する。


 あんなもの直撃した瞬間お陀仏だろう。


 俺は冷や汗をかきながら、ふと自分の懐から伝わる感触がなにかおかしいことに気がついた。俺が後生大事にしまいこんでいる金貨の様子がなにかおかしい。


 手を突っこんでそこにあるはずの金貨を取りだすと、どこかぐにゃりと曲がっている。


 まさか、竜のやつの熱で金貨すら捻じ曲がってしまったのか。


 俺は竜の眼前にいるのにもかかわらず、金貨をまじまじとみつめた。溶けかけている金貨のなかにはいままで肌身離さず持っていた父上の金貨も含まれている。


 今まで至高の輝きを放っていたはずの金貨が見るも無残な姿になっていた。表面に刻まれた色とりどりの紋章はもはや見る影もない。


 それを眺めていると、ふつふつと怒りが湧いてくる。


 このトカゲモドキは金貨の美しさを理解するほど高尚な存在ではないことは理解していたつもりだった。だが、それとこれとは話が別だ。


 他人の好みを知らないからといって、その収集品を台無しにしてしまうのは立派な罪である。竜だろうがなんだろうがそれからは逃れられない。


「……おい、そこのトカゲモドキ。損害賠償請求だ、いまからお前の臓物なり鱗なりを強制的に徴発してこの金貨の弁償をしてもらおうじゃないか。」


 竜が翼を広げ、燃え盛る炎の勢いをさらに増して俺を威嚇してくる。


「お前の死体ははく製にして見世物として高く売っぱらってやるわ!」


 竜の咆哮とあわせて俺も怒声をあげる。激情を目に宿らせた俺とトカゲモドキは互いの命を奪おうと前に飛び出した。




 竜の息吹がまた山を消し飛ばす。その脇に潜りこんだ俺は渾身の一撃を竜の胸もとに見舞い、その衝撃で大地が陥没して崩落し始めた。


 金に変えられた鱗がキラキラと宙を舞う。


 崩れゆく山の尾根を駆けながら俺は歯ぎしりした。トカゲモドキを黄金の彫像に変えてやろうと何度も試したのだが、そのたびに鱗を剥がしてかわしている。


 宙に飛びあがった竜が、目を燃やしながら俺のいる場所にむかって飛びこんでくる。


 その巨大な脚の先のかぎ爪は尾根の一部を削り取るほどの威力がある、がそんなものは俺には通用しない。俺はその真っ黒な爪にむかって真正面から拳をぶつけた。


 鋼鉄よりも固いはずの竜の爪にひびが入る。


「このトカゲモドキめ、くたばりやがれ!」


 爪が粉々に砕け散っていくなか、俺はその脚を掴んで振り回し、尖った岩の上に竜を叩きつけた。


 剣すら通さない竜の鱗が岩ごときに敗北するはずもなく、そのまま岩は竜の巨体に押しつぶされて砂粒に姿を変える。


 俺が追撃で放った蹴りを竜はすんでのところで空に逃れてかわした。その真っ赤な姿が遠ざかっていくのを俺はじっと睨みつける。


 今の俺を動かしている原動力は金の恨み、それにつきる。


 思えばこの旅は最初から面倒なことばかりだった。


 村人どもを小鬼から助けたはいいものの泥酔した挙句金貨をただでくれてしまうわ、ジョンに言いくるめられてミレンの命を助けると約束させられるわ、散々だ。


 せっかく厳格でつまらない修道院から離れられたというのに、羽を伸ばして豪遊するどころか、ミレンやビンタ女のごたごたにつきあわされて気も休まらない。


 そして、その挙句にこのトカゲモドキだ。


 せっかく勇者ミレンを殺せる機会だったのにジョンとの約束でそれもできず、わけわからんぐらい熱い奇妙なトカゲモドキと死闘をさせられる。


 極めつけに俺がせっかく手に入れた素敵な金貨たちを全員溶かしやがった。


 俺は拳をきつく握りしめた。旅でいろいろと溜まっていた不満が一気に爆発し、金への執着とトカゲモドキへの憎悪へと昇華されていく。


 あるいは、このトカゲモドキには感謝するべきなのかもしれないな。目の前で金貨を愚弄された俺は、自らの金への愛情をあらためてしみじみと理解した。


 無限とも思える金への信仰心が湧きあがってくるのを感じる。


 グロリヤ師がかつて教えてくださったとおり、信仰があれば不可能はない。俺は今、今までで一番拳が固くなっている自信がある。


 あのトカゲモドキのやつに痛いしっぺ返しをくらわせてやる。今、俺の頭にあるのはそれだけだった。


 空を飛ぶ竜が翼を広げ、炎の雨を降らせてくる。


 無数ともいえるほどの炎の玉は地表に降り注ぎ、山脈にわずかに生えていた草木はおろか、そのむこうの荒野、さらには北の森まで燃やし始めた。


 あたりが灼熱の炎で囲まれている中、俺は獰猛な笑みを浮かべる。


 そのまま飛び降りてきた竜が叩きつけてきた尻尾に焦げた拳をあわせてぶつけた。




 炎の玉が降り注ぐ荒野を馬に乗って駆ける一人の騎士の姿があった。


「っ、まったくアドライトのやつはほんとうに常識外れだな。まさか竜と戦うとは……。」


はるかかなたを旋回する竜の姿をみつめながら、急いで山へと馬を走らせる。燃え盛る炎を飛び越えながら、その騎士はマントを脱ぎ捨てた。


 その下から年季の入った見事な甲冑が露わになる。


「わたしは今まで勘違いをしていた。求めていたものはすぐそばにあったというのに、がむしゃらに手を遠くに伸ばして悲嘆にくれるふりをしていた。」


 槍を構え直しながら騎士が呟く。


「それを気づかせてくれたのは貴様だ、アドライト。だからこそ、わたしは貴様に助力する義務がある。」


 アドライトの前から逃げ出したはずの騎士、クリシェドが荒野を疾走した。

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