第23話
翌朝、ミレンと俺とは荷物をまとめて出立の用意を始めた。そこにビンタ女の姿はない。
「そういえば、クリシェドはどこにいったんだい?」
ミレンが尋ねてくる。昨晩の心底不快な記憶を思い出した俺はしかめっ面をした。
「あんなやつがなにをしようと知ったことではないわ。どうせもう探している聖剣はもうミレンのものなのだと諦めて帰ったのだろう。」
昨晩はたしてビンタ女は再び焚火のもとに戻ってくることはなかった。おそらくはきた道を一人でひきかえしているのだろう。
「ふ~ん、そっか。」
ミレンはなぜか楽しげににこにこと笑った。
「これでこれまでと同じように二人で旅ができるってわけだよね。」
なぜそのことを喜んでいるのかは俺には見当もつかなかったが、とにかく頷いておく。そのまま跳ねるように歩き出したミレンは終始楽しげだった。
北にむかうにつれ、木々がまばらになっていく。やがて俺たちは一面の荒野にたどり着いた。
時折色とりどりの花々が咲き誇り、小さな湖が点々と飛び散っている。
「この平原は冬の間は氷に閉ざされてしまうから、木々も育たないんだよ。」
ミレンの言葉に納得しながら、俺は眼前の絶景に目を奪われた。実に美しい、別荘をここに建てたいぐらいだ。
そしてその荒野のさらに先に白くそびえる巨大な山脈がみえた。あの山を越えた先に湖があり、そのほとりに探し人であるアンドレアス司祭が住んでいるのだという。
この長い旅にも終わりがみえてきた。
荒野を渡り、山脈のふもとにたどりつくころにはすでに道といえるような道は消えていた。周りの山々の形をみながらどう進むのか確認する。
そうして一歩山脈の奥に足を踏み入れる度、ミレンはそわそわしてどこか落ち着かない様子だった。
しばらく歩いていると、遠くに雪に覆われた村の残骸がみえる。
それを目にした途端、ミレンは俺をおいて駆け出した。すぐに小さくなっていくミレンの背中を怪訝に思いながら俺はそのままの調子で歩いていく。
その残骸の傍らで立ち止まっているミレンに追いつくと、そこに小さな岩塚がこじんまりと並んでいることに気がついた。
「ようこそ、僕の故郷へ。」
その眼前の墓標に祈りを捧げながら、ミレンは俺に声をかける。
「びっくりしたかもしれないけど、僕が生まれたのはここなんだ。これでも昔は数十人ぐらいが住んでいた北でもちょっとした大きな村なんだよ。」
俺は周囲を見渡した。白い雪に溶けこんでぽつぽつと焼け落ちた家々の残骸が俺の視界に入る。
「でも、僕が勇者に選ばれてから一年ぐらいたったころかな、竜が現れた。」
竜、それはすべての怪物の中でも最も恐ろしく強力な神秘の塊。歴史をみても討伐に成功した例など数えるほどしかなく、勇者ですら返り討ちにあうこともある。
「未だ幼い僕を家の地下に逃がした村のみんなは竜の気をひくために囮になって僕を守ったんだ。生き残ったのは僕だけだった。」
竜の吐く息は生きとし生きるものすべてを燃やし尽くしてしまう。焼け焦げた死体すら残されないのだから、この墓標は死者のたんなる象徴でしかないのだろう。
「ごめんね、こんな重い話をしちゃって。」
ミレンが弱弱しく呟く。遠くの山の上に夕日が沈みつつあった。
今日はここで俺たちは野営することとなった。村の残骸で吹きさすぶ雨風を防げそうだったし、ミレンはこのあたりの地理に詳しかったからだ。
焼いた干し肉に香辛料をたっぷりとかけるという豪勢な夕食を終えた俺たちは焚火を囲んでこれからの旅路について話しあう。
ミレンがなぜか頭を俺の肩にもたれかけさせてきたのはその最中だった。
「ねぇ、アドライト。僕のそばにいてくれてありがとうね。」
頬を染めながらミレンが俺の耳元に囁く。
「勇者だから、誰にも頼っちゃいけないって思ってた。だって、僕が関われば関わるほど迷惑をかけてしまうから。でもアドライトは強いから、いいよね?」
「まったく面倒な奴だな。俺に迷惑をかけるつもりだというのなら金は払えよ?」
「えへへ、いくらでもいいさ。君の言い値でいいよ。ああ、でももし払えなかったらまた君の小間使いをしなきゃいけないかもしれないね。」
金を要求したのにもかかわらず、ミレンはよりいっそう俺に体重をよせてくる。うっとうしいミレンの体を俺は押しのけようとした。
その時だった。
いきなり北の山際が赤く光る。つんざくような毒々しい赤色の光が俺の目を刺した。
その光はさらに明るくなり、まるで白昼のように俺たちのいる谷全体を真っ白に照らす。太陽よりも眩しいその何かがこちらに近づいているのは確かだった。
俺は慌てて焚火の火を消し、固まっているミレンの腕をひいて物陰に隠れる。
なんだ、また魔王とやらが勇者であるミレンにさしむけた魔物か。俺は近づいてくる光の正体を見極めようと目を凝らした。
「そんな、ありえない……。」
気づかれないように物陰からそうっと頭を出す俺の横で、顔を青ざめさせたミレンが体を震わす。
「なんだ、あの光がいったいなんなのか知っているのか?」
「…………。」
俺が尋ねても、ミレンは黙りこくったままだ。埒が明かないと苛立った俺がその肩を掴んで揺さぶったその時だった。
もはや目をつむっても瞼をすり抜けてきそうなほど光が強くなる。
光を放つ眩しい魔物だかなんだかはとうとう俺たちのすぐそばまでやってきたようだった。俺はミレンと隠れている家の残骸からそっと覗きみる。
まず目に入ったのは血のようにどす黒い無数の鱗だった。その魔物は四本の足と長い尾をもち、口から絶えず眩い炎の燐光を漏らしている。
周囲にすさまじい光を放っているのは、その巨大な二対の翼だった。
本来であれば被膜があるはずのところに、煌々と燃え盛る純白の炎がある。そのすさまじい熱で翼の周りはグニャグニャと空気が歪んでみえた。
その姿はまさしく人々に恐れられるかの伝承の竜に間違いなかった。
「おい、ミレン。あれはもしかしてお前の村を襲ったという竜とおなじやつか。」
俺の問いかけにミレンはコクコクと小さく頷いた。
ミレンのまなじりには涙がたまり、体は小刻みに震えている。どう考えてもミレンは戦える状態になかった。
『恐らくは魔王の策略のせいか、今の勇者はひどく危うい。うまく隠しているようだけれど、そんな心でアレとは戦えない。君の助力がないと確実に命を落とす。』
ジョンの言葉を思い出した俺は思わず舌打ちする。ジョンが口にしていたミレンに訪れるという試練はこのことか。
確かに、ジョンのいう通りミレンは完全に戦意を喪失していた。
ここで戦うわけにはいかない。俺はミレンをかばうようにして覆いかぶさりながら竜が立ち去るのを待ち続けた。
竜の体から発せられる莫大な熱量で俺の肌がジリジリと焼かれる。周囲の雪はすべてとっくの昔に溶けて蒸発してしまっていた。
物陰に縮こまりながらただひたすらに竜が立ち去ることを祈る。
ミレンが死の危険を迎えるというのなら、傍にいる俺も命を失うかもしれん。それだけは許すことができなかった。
まったく、ジョンとの約束がなければミレンを見捨ててとっとと逃げ出していたものを。
俺はやはり遺跡の出来事を心底後悔していた。
今ここでこれほどまでに怯えているミレンをおいていけば必ず死ぬだろう。竜は勇者を殺せてよし、俺も勇者が死んでよし、実に素晴らしい結末ではないか。
だが、それはできない。俺が金への信仰を誓う以上、ジョンとの契約は俺の命に代えてでも守らなければいけなかった。
「あ、あ、あぁぁぁぁぁ………。」
ミレンの絶望に満ちた声が聞こえてくる。うんざりするほどの暑さで頭がぼんやりしている俺はなぜ声を出すのかと腹を立てた。
いっそのことミレンの口を手で塞いでしまおうかと顔をあげた俺は目の前にある真紅の竜の瞳孔と目があう。
全身を赤色の炎につつまれた巨大な竜が俺たちをにらみつけていた。
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