第22話

「まさか、聖剣をこのわたしから力づくで奪うつもりなのか? それは、それだけは認められない。」


 妄執にとりつかれたビンタ女が歯を食いしばりながら聖剣の柄に手をかけた。とたん、今まで漏れ出していた青白い聖剣の輝きがぴたりとやむ。


「貴様もこの聖剣の錆となるがいいさ。さあっ……、なに、なぜ鞘から抜けん!?」


 ビンタ女が聖剣をひきぬこうとするも、びくともしない。興奮したビンタ女は聖剣を鞘に入ったまま振り回したが、徒労に終わった。


「なんだ、剣とはいえ自らの主には明確に忠義をもつらしい。このような気高い金貨があればよいものを、たかが聖剣にしておくにはもったいないな。」


「貴様、貴様がなにかしたのか!? 修道院の座をかっさらうばかりかこのわたしから聖剣までも奪うのというつもりなら!」


 もともとミレン以外には岩からひきぬかれようとしなかった聖剣が、盗人ごときに自らの刃を振るわせるはずもないだろうに。


 だが、そんな単純なことすら考えられないほど堕落したビンタ女は血走った眼で俺を睨んできた。腰に聖剣をさすと、槍を構える。


 どうやらビンタ女は使えないにもかかわらず俺を殺してでも聖剣を持って帰りたいらしい。


 まあ、いいか。俺を殺そうとするのならビンタ女を殺すまでのことだ。


 今の俺に大切なのはミレンが聖剣を取り戻し、やがて訪れる死の運命を乗り越えること。べつにビンタ女がどうなろうとも俺の知ったことではない。


 俺は深いため息とともにゆったりと拳をかまえる。




 月夜のもと、先に動いたのは俺のほうだった。


「えっ?」


 ビンタ女が反応できないほどの素早さでその懐に潜りこむ。槍は一般的に素手で挑むのは不可能な武具とされているが、相手の腕のうちまで入れば簡単に封じれる。


 深呼吸とともに必殺の殴打がくりだされた。


 これを食らえば肌に傷はなくとも内臓がすべてかき混ぜられ、死に至るだろう。よしんばなんとかそれが癒えたところで腹を金に変えられれば生きられるはずもない。


 そう考えた俺は拳に伝わる鈍い感覚に顔をしかめた。


 次の瞬間、吹き飛ばされたビンタ女が森の木々に激突する。その衝撃に呼吸が止まったビンタ女に追撃とばかりに俺は掌底打を放とうとした。


 本能か、直前で気がついたビンタ女が横に倒れこんで死から逃れる。


 目標を失った俺の拳は大人の胴ほどもある眼前の巨木を黄金に変えながら吹き飛ばした。巻き添えになった木々が一斉に倒れ、あたりが開ける。


「あああぁぁぁぁぁっ!」


 脇あいから突き出されたあくびが出るほど遅い槍を俺は余裕でよけた。


「なかなかやるではないか、ビンタ女。先ほどの一撃が避けられるとは到底考えていなかったぞ。小鬼ならば体を破裂させて死んでいたな。」


「っ、はあっ、はあっ………。」


 俺が皮肉げにからかっても、ビンタ女は言い返すこともできないようだった。全身から冷や汗を流しながら、荒い息を整えようと必死になっている。


 俺にむけられるその目は恐怖に染まっていた。


「まさか、俺に勝てるとでも思っていたのか? 聖剣があるのならばいざしらず、槍だけで突っ立っている今のお前が俺に敵うとでも?」


「ひっ!」


 俺がゆっくりと拳を揺らすだけで、ビンタ女は腰を抜かして倒れこんでしまった。


「クラーケンの時と全く同じではないか? またそうしてそこで座りこんでいるのか?」


 これ幸いと俺は言葉でビンタ女を揺さぶっていく。


 初めの一撃、腹部にむけた拳打。あれはビンタ女ごときが耐えられるような甘い一撃ではなかった。だというのにビンタ女は未だ血を吐いてうずくまることはない。


 ならば、これはビンタ女ではない、ほかの力が働いたのだ。


「口で信仰だのなんだの言っておきながら、お前は結局そこが限界なのだ。修道院の試練も、クラーケンも、自分よりも大きな壁にぶつかるとすぐに折れてしまう。」


 俺は罵倒を続けながらビンタ女の首もとに目をやった。


 聖剣とは違って未だ青白い光を放っている首飾り。おそらくはそれがなんらかの力で俺の拳からビンタ女を守ったのだ。


 まったく腹立たしいことだ。首飾りのほうは主人であろうと盗人であろうと等しく人間を守ろうとするらしい。


 だが、種は割れた、もう見誤らない。初撃で首飾りを狙い、頭部を消し飛ばす。


「お前は小鬼相手に戦って悦に入るのが関の山だろう。」


 すでにひき肉となったビンタ女を幻視した俺は拳を構えた。瞬間、ビンタ女の視界から姿をくらます。


 死角からまわりこんだ俺はそのままビンタ女の首に手をのばし……。


「わ、わかりました! 聖剣と首飾りは戻しますので命だけは助けてくださいっ!」


 そのままの勢いで地面を殴りつけた。大地にひびが入り、地響きが鳴り響く。


「ひっ! ごめんなさい、ごめんなさい……。」


 ビンタ女は顔を青くして頭を抱えながらブルブルと震えていた。その下の地面が濡れている。


「なら、さっさと聖剣と首飾りを渡せ。」


 俺が催促すると、ビンタ女はすぐにそれらを俺の前の地面に置いて後ずさった。その間もずっとガタガタと歯を鳴らしている。


 それほど死を恐れるのならば、初めから騎士になどならねばよかっただろうに。


 俺は今晩何度目かもわからないため息をついて、聖剣と首飾りに手をかけた。聖剣がブルブルと震えて俺の手から逃れようとするのを無理矢理掴む。


「よし、これでもう俺はお前のことなどどうでもいい。そのまま北の谷とやらにむかうか、もしくはとっと尻尾を巻いて聖領騎士団に逃げ帰るがいいさ。」


「……。」


 未だ体を縮こまらせているビンタ女を一瞥して、俺は完全に興味をなくした。このぶんなら殺しても生かしてもたいして違いはあるまい。


「なあ、アドライト。わたしはどうすればよかったのだ?」


 俺が背をむけて焚火のほうへとむかおうとした時、背後からか細い声が聞こえてきた。


 意味の分からない問いかけに、俺の眉間にしわが入る。


「どうすれば、というのはなんだ? どうすればバレずに聖剣を盗み出せたかということか?」


「違う、わたしはどうすれば愛されたのかということだ。勇者になれば力が手に入る、父に愛されると信じて今まで戦ってきた! なのに……。」


 ビンタ女の言葉は要領を得なかった。強くなれば愛を得られる? 意味が分からん、こいつらの信奉する教義によれば愛は分け隔てなく与えられるのではないのか?


「心底理解できんな、お前は父に愛されているではないか。」


「そんなはずがない、父は一度たりともわたしを抱き締めてくれることはなかった!」


 赤ん坊か、こいつは。俺は頭が痛くなってきた。これで聖領騎士団最優の騎士などとは、冗談も休み休みいえ。


「お前のその槍。いったいいくらかかると思う。」


「そ、そんなことわたしの知ったことでは……。」


 ミレンがちらりと手元の槍に目をやる。その槍は俺の拳を何度も受け止めていたのにも関わらずいささかも曇ることなく輝き続けていた。


「俺の見積もった限りでは金貨数十枚でも足りん、あきらかに大司教の娘程度が手に入れていいものではない。その槍を手に入れるにはかなりの無茶があったろうな?」


「そ、それがどうしたのだ! 金など愛では……。」


「ふざけているのか、お前。」


 俺はふつふつと怒りが腹の底から湧いてきた。


「大司教として日ごろからかまってやれない、そんな娘が騎士になると言い出した。せめて槍だけでもとなけなしの金を絞り出した、それが愛ではないだと!」


 ビンタ女がいくら俺を嫌おうがべつにどうでもいい。だが、俺は金とそしてそれを手に入れるために流された血と汗とを侮辱する人間だけは許すことができなかった。


「お前は金がどれほど大切なのか理解していない! 金は道楽のたぐいだとでも思ったか、この愚か者めが!」


珍しく声を荒げる俺にビンタ女はあっけにとられている。そんなビンタ女に俺は金貨を数枚投げつけた。


「駄賃、甲冑と今までの働きのぶんの金貨だ。お前はなかなか使えるやつだと思っていたのだがな。期待が裏切られて残念だよ。」


 最後にそう言葉を吐き捨てて、俺はその場を去った。

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