第21話

 クリシェドが神を信じるのは、そうすれば父に愛してもらえるからであった。


 クリシェドはもともと南方でもかなりの権勢を誇る諸侯の一族の男の娘だったそうだ。だが、結局は家督争いで敗れたその男は赤ん坊のクリシェドを抱えて逃げた。


 そうして父のもとを訪れた瀕死の男がクリシェドを預けたらしい。


 当時は記憶も残らないほど幼かったクリシェドはその男のことを覚えていない。だからこそ、クリシェドにとっての親とは父一人だけであった。


 それゆえ、クリシェドは父に愛されたかった。


 教会でも特に徳の高い聖職者として高名である父のことをクリシェドは誇りに思っている。


 大司教にあるまじきボロボロの衣服で絶えず教区内を駆けまわり、常に迷える信者を導く、その背中を絶えず尊敬していた。


 そして、それと同時にクリシェドは父のその慈愛が心底嫌いだった。


 その慈愛は絶えず万人に平等に注がれている。そして、教区にはクリシェドよりも父のことを必要とする人々が山のようにいた。


 道端で行き倒れている人を目にするたび礼拝のことも忘れて看病するような父がクリシェドを抱いてくれたことなど一度もない。


 いつも信者のことだけを考えている父親の愛にクリシェドは飢えていた。


 だから、クリシェドは父と同じように神の敬虔な信徒となり弱きものを救う騎士を目指した。父がその信仰を褒めてくれるその瞬間のみクリシェドは親の愛を感じた。


 毎日欠かさず礼拝をおこない、剣の修行を日が暮れるまで続ける。


 だが、それでも足りない。父はクリシェドのことを口では称賛していても、その目は常にほかのものに注がれていた。


 もっともっと努力しなければ父はわたしを愛してくれないのだ。


 そう考えたクリシェドが聖イグラネウス修道院への修行を申し入れるまで遅くなかった。かの修道院で認められれば、それすなわち最高の信仰者の称号を得られる。


 そう期待に胸を膨らませたクリシェドを、初の挫折が襲った。


 手が折れるかとおもえるほど重い彫像を、天高くそびえる岩山の頂上へと運ぶ。あの老婆の修道士に彫像を蹴り落された時、クリシェドの心は折れた。


 それだけならば、クリシェドはまだ立ち上がれたかもしれない。


 だが、アドライト。クリシェドよりもはるかに俗物的で強欲なドラ息子はなぜか諦めることなく苦行を続けるつもりだったのだ。


 理解できなかった。なぜそれほどまでに強い心をもっているのか。


 どうせあんなやつ、わたしが脱落してからすぐにでも弱音を吐いて試練を投げ捨ててしまうに違いない。そう言い聞かせてクリシェドは家に帰った。


 そして、父の顔をみた瞬間クリシェドは心底後悔した。


 父はもうすでにクリシェドのことを頼りになる娘だとはみていなかった。ほかの弱くて哀れで助けなければいけない信徒のひとりとしか見ていなかったのだ。


 絶望する。クリシェドは血まなこで修道院にかわるものを探した。


 聖領騎士団のことを知ってすぐさま旅立ったクリシェドはすぐに入団を認められる。幼少期からの剣の修行を積んできたのだから当然の結果だった。


 それでもクリシェドの心は満たされなかった。


 もっともっと強くならねば誰にも愛されなくなってしまう、そんな強迫観念につき動かされてクリシェドは聖剣探索の旅を申し出た。


 勇者、それは魔王を打ち倒す最高の信仰者の称号である。


 もしも聖剣を手に入れて勇者になれれば、その時こそクリシェドは初めてあれほどまでに望んでいた愛を手に入れることができるに違いない。


 だから、クリシェドは我慢できた。


 あのアドライトが聖イグラネウス修道院に迎えられその一員となったと知った時も、クラーケンの前に何もできず醜態をさらした時も、心を押し殺した。


 打ち負かせたのならその信仰心を認めてやるとアドライトに言われた時、クリシェドは背中を押された気持ちだった。


 そうだ、強くなればわたしは愛される、信仰を称えられる!


 あの首飾りを手に入れて勇者となり、アドライトにも父にも認められてみせる。勇者の墓にいの一番に飛びこんだ時、クリシェドの頭にはそのことしかなかった。


 それがいったいなんだ、このありさまは? クリシェドは自問自答した。


 あの偉大な先代の勇者ジョンに己の信仰の底を見透かされ、相手にもされなかった。挙句の果てには体を乗っ取られる始末だ。


 そして、目が覚めたクリシェドは現実をつきつけられた。


 勇者、ミレン。なんと素晴らしいことではないか。自分よりも剣術に秀で、口ではなんだかんだ言おうとも自分よりもアドライトに頼りにされている。


 愛を手に入れたいからといって浅ましくも勇者の地位を望んだ愚かなクリシェドとは大違いだ。


 嫌だ、嫌だ、認めてなるものか。クリシェドの心が叫ぶ。


 クリシェドの心の暗いところが囁いてきた。ミレンが今、勇者として聖剣と首飾りを手にしていることにどれほど意味がある、大切なのはこの先のころだろう?


 北の山脈へと続く道、その脇で焚火がパチパチと爆ぜている。


 寝ずの番を任されていたクリシェドはそっと火の前を離れた。すこし遠くにミレンがマントにくるまって横たわっている。


 仲間を疑うことすらせず、深い眠りに落ちたミレンの横には鞘に入った聖剣とそこにかけられた首飾りがあった。


 なんと無防備なことだ、これでは勇者など務まらんだろう。


 心の中で言い訳をしながら、クリシェドは聖剣を手に取った。そのまま今まで来た道を一歩ひきかえすたびに、クリシェドの心から大切なものが抜け落ちていく。


 仲間を裏切り、盗みを働き、勇者を騙る。ああ、なんという罪人か。


 だが、今のクリシェドにはそんなことはどうでもよかった。大切なのは自身が勇者として称賛され、人々の愛を一身にひきうけること。


「まったく、聖領騎士団の騎士様がまさかコソ泥だったなどとは思いもしなかったぞ。」


 背後から聞こえてきた声に、クリシェドは震える。


 これは、仲間殺しも罪に加わるか。悪逆に口を歪ませたクリシェドは振り返ってあの憎たらしい修道士に相対した。


「違うな、わたしは今から勇者だ。言葉遣いに気をつけるんだな、アドライト。」




 まさか、ビンタ女が勇者の名誉などという一銭にもならないような無駄な負債を喜んで抱えたがるほどの愚か者だとは思いもしなかった。


 俺はため息をついてビンタ女に鋭い視線をむける。


「ほう、思い上がりも甚だしいな? すこし大きいだけのタコから逃げだすような腰抜け騎士が魔王を討伐するつもりか?」


「ああ、そうだ。この聖剣があればどうとでもなるだろう。」


 ビンタ女が恍惚の表情で聖剣の鞘を撫でつける。呆れたものだ、俺ですら扱いに困る聖剣をビンタ女ごときが手懐けるだと?


「理解ができんな、ビンタ女。お前は神などというくだらんものを信仰していたはずだ。確か盗みも裏切りも嘘偽りも立派な背信ではないか?」


「よりにもよって貴様がそれを口にするのか? ふふっ、金貨に執着しながら結局はミレンのために聖剣を取り戻しに来るなどまさしく勇者を導く聖人だな。」


 確かにビンタ女のいう通り、俺はこんな面倒ごとには首をつっこまず一人で金貨を数えていたいのだが、そうもいかない。


 ジョンのふざけた願いを思い出して俺は舌打ちをした。


 これから先、勇者としてのミレンに大いなる試練がくだされるという。それならば、その時にミレンが聖剣も持っていないようではあまりにも使いものにならん。


「なに、簡単な話だ。わたしは強くなりたいのだ。信仰を証明したいのなら打ち倒してみせろといったのは貴様だろう?」


 クリシェドが自暴自棄な笑みを浮かべるのをみて、俺はしかたなく手袋を外した。

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