第20話
さっと周囲を見渡す。だが、あのかすみがかったジョンの姿は視界に入らなかった。
「もう僕は形すら保てないからね、みえなくともしかたがないさ。心配してくれなくてもあと数分もすれば完全に消滅してみせるよ。」
耳もとでジョンの声が響く。
「いったい死にかけの霊がいったいなんの用だ?」
「なに、今君が漁っている金貨の話だよ。」
ジョンの言葉に、俺はすぐさま金貨をありったけ懐にしまいこんだ。まさかこの俺の金貨を奪うつもりじゃないだろうな。
「まあ、そんなにあわてないで。こんな死人がいまさらそんな金を手に入れたところでなにも変わらないだろう?」
金貨を庇う俺の警戒心でいっぱいな視線にもかかわらず、ジョンは余裕を崩す様子はなかった。
金貨が目的ではない? ならいったいなにを企んでいるというのだ? 金貨を必要ないと口にする人間がこの世に存在することに俺は頭が混乱する。
「ところで、さきほどはよくも奴隷根性がどうのこうのと言ってくれたね。なかなか面白い話で思わず感心してしまったよ。」
まさか、と俺は悟った。ジョンの姿など見えるはずもないのにもかかわらず、その顔にしてやったりと満面の笑みが浮かべられているのがわかる。
「労働には対価が必要、確かにもっともだ。でも、逆に考えればこうともいえないかい? 適切な対価を受け取ったならそれだけ仕事しなければいけない、と。」
なるほど、ジョンのやつめ俺になにやら小間使いをさせるつもりだな。
本音を言えばそんな嫌な予感のする頼み事など却下したい。だが、ジョンの言葉は筋が通っているし、なによりもだ。
俺の懐でじゃらじゃらと鳴っている金貨が俺の退路を断っていた。
この腐れ勇者め、俺が金貨を十分手にするまで機会をうかがっていやがったな。勇者のくせに狡猾なジョンに俺は苛立ちを覚えるほかなかった。
「なら、いったいその労働とはいったいなんだ? もちろん、この金貨に釣りあうものでないといけないからな。」
「なに、簡単な話さ。一度だけでもいい、今代の勇者の命を助けてほしい。」
ジョンの頼みに俺は首を傾げる。なんだこいつ、さっきまで言っていたこととまったく違うことを口にしているじゃないか。
「勇者は自分のかわりに他人に血を流させるような人間じゃないんじゃなかったのか?」
「うん、たしかに今でもそう考えているよ。でもね、そうもいっていられない。」
ジョンの声が固くなった。
「おそらくこの先あの勇者はとてつもない障壁にぶつかる、そんな気がするんだ。まだまだ未熟な彼女にはけっして乗り越えられることのできない、ね。」
不穏なことを口にするジョンは明らかに何かを知っているようだった。真剣な口調で俺に懇願してくる。
「恐らくは魔王の策略のせいか、今の勇者はひどく危うい。うまく隠しているようだけれど、そんな心でアレとは戦えない。君の助力がないと確実に命を落とす。」
なに、勇者が死ぬだと。その言葉を耳にした瞬間、もともとミレンを殺すつもりだった俺は狂喜した。
ミレンが近い将来に命を落とす、しかも俺は自分の手を汚さずにすむというのだ。なんという幸運なのだろう。
もうあのうざったらしい聖剣の対処に頭を悩ます必要もないし、岩を殴り続ける修行を続けなくともよいのだ。
「それで、やってくれるね?」
酒池肉林の豪遊生活の夢に逃避していた俺をジョンの声が現実にひき戻す。
そうだ、ミレンの死を祝う前に俺はジョンの頼みを叶える義務がある。そしてその頼みとは、ミレンを救う……こ………と………。
「ば、ばかな……。」
俺はポロリと金貨を一枚床に落とした。甲高い金属音が遺跡に響き、ミレンがこちらに振り返ってくる。
「アドライト、大丈夫かい!? 君が金貨を落とすだなんてありえない、魔王でも現れたのか!?」
「っ、うるさい! ただ手をすべらせただけだ!」
むしゃくしゃした気持ちをミレンにぶつけるように怒鳴りつける。未だミレンの心配げな視線を背中に受けながら俺は絶望した。
もしも、俺がここで金貨を漁らなければ当然俺はジョンの懇願など聞く耳を持たなかっただろう。逆にミレンの死を嘲笑していたに違いない。
だが、金を受け取ったなら俺は必ずその願いを叶えなければいけない。
これは俺の信念であり、黄金への信仰の根幹にかかわるものだからだ。だから、俺の辿る選択はミレンの命を救うか、もしくは俺自身が死ぬかの二択に絞られる。
目の前の銅貨に目を奪われて背後の金貨の山を見過ごすとは、不覚……!
俺は心の底から無念をかみしめながら首を縦に振るほかなかった。
「なんだ、そんなにミレンの死を恐れてくれるだなんてやっぱり君たちはいい仲間だよ。これで心残りはない、おとなしく天に昇れるさ。」
もはやそのとんでもない勘違いすら訂正する余力もない俺は、ジョンが完全に消滅しその声が聞こえなくなるまでうねだれるほかなかったのだった。
「ん、わたしは確かジョンに体を乗っ取られて……。」
ビンタ女が目を覚ましたのは日の出からずいぶんとたった後であった。起きあがたビンタ女は黄金に変えられた自らの鎧を目にして絶句した。
「あ、アドライト! わたしが気を失っている間にいったいなにがあったのだ!」
「ん? お前の体でジョンが襲いかかってきてな。しかたがなかったから鎧はぶっ壊したぞ。」
俺の言葉が信じられなかったのか、ビンタ女がすがるようにミレンに視線をむける。その目が首もとでほのかに光る首飾りに止まった。
「その首飾り、もしかして……。」
「うん、ジョンの試練を破って手に入れたんだ。」
ビンタ女の肩が震えた。震える唇で言葉を紡ぐ。
「では、ミレンは勇者なのか?」
「そう、僕が今代の勇者だよ。今まで黙っていてごめんね。」
しばらくの間ビンタ女は様々な感情がぐちゃぐちゃに入り混じった瞳でミレンを見つめた。
「アドライト、貴様はこのことを知っていたのか。」
「ああ、聖剣を探しているお前にバレれば確実に話がこじれると確信していたからな。」
聖剣という言葉にビンタ女の目がミレンに固定される。
「それが、わたしの求めていた聖剣だと? ならわたしはいったいどうなる、お父上はこのことを耳にしてなんというのか、こんなはずでは………。」
ビンタ女がぶつぶつとうつむいたままなにやら呟いている。そのまま目を見開いたまま独り言を続けているビンタ女に俺はしびれをきらした。
「ビンタ女、立て。このまま聖領騎士団に戻るのか俺たちの旅についてくるのかはしらんがもう遺跡を出ないと日中に街道まで戻れん。」
「……ああ、そうだな。先を急がねば。アドライトの言うとおりだな。」
妙だな、ビンタ女呼びして俺に憤慨してこないなど。俺はかすかな違和感をビンタ女に抱く。
「さあ、すぐ出発だ。なに、旅は道連れというしわたしも貴様らの北の湖までの旅についていってやる。」
びっくりするほど素直に立ちあがったビンタ女はやけに明るい声を出した。
なんだ、いったいこいつはどうしてこんなにも様子がおかしい? 理解できない俺はビンタ女に問いかけようとしてやめた。
ビンタ女などどうなろうとも別にどうでもいいではないか。なぜ俺が気にかけなければいけない?
「それじゃ、いこうか。」
もうすでに地上へと続く階段を登り始めたミレンの背後にビンタ女がたつ。その口もとは歪んでいた。
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