第19話
「まあ待て。」
「ぐぇっ!?」
そうして飛び出そうとしたミレンの首もとを掴む。服で首が締まったのか情けない声を出してミレンは立ち止まった。
「な、なんなんだ!」
ミレンが俺を恨めしそうにみつめてくる。ただでさえ軽くあしらわれているのに感情にまかせた精彩に欠けた剣筋では適うはずがないのは自明だろうに。
「お前こそなにをしている、あんな安い挑発に乗るなんて真性の大バカ者だぞ。」
「だけど、勇者なのに僕がほかのみんなに迷惑をかけていることは本当で……。」
「はぁ、お前そんなくだらないことを考えていたのか。」
俺は頭をかかえた。ほんとうにミレンというやつは脳みそが足りていないな。
「いいか、お前は勇者という仕事の対価を誰かにもらったことはあるか?」
「対価とはどういう意味だい?」
「勇者をしてお前は金貨を何枚もらったかと聞いているんだ。」
ミレンが呆気にとられた様子で俺のことをみつめている。
「そうだ、答えられんだろう。なぜならお前は金をいっさい受け取っていないからだ。意味がわからんではないか。」
労働の対価に金をもらう、それはこの世の大前提であり俺が唯一絶対視する至上の法則である。
だが、ミレンはよくわからん旅などというものをひとりで続け、その間の金はすべて自分で工面していた。
勇者という労働に対して誰も対価を払っていないのなら、その働きぶりに口出しする権利があると思っているやつは底抜けの楽観主義者だ。
「お前は労働にみあった金を貰っていない。ならばいくらサボろうとバックレようと誰にも文句はないはずだ。」
俺はジョンのほうに指をつきつけた。
「いいか、あいつは頭が悪すぎて自分がどれほど愚かか気づいていないのだ。なんの報酬もなしに魔王退治だと? 奴隷根性にも限度というものがある。」
ジョンは俺の言葉に微妙な表情をうかべていた。だが、あんなボロ布を身につけておいて金をもらっていたなどと口が裂けてもいえるはずがない。
「だからお前が他人をいくら巻きこもうとも問題ない。なぜならそいつらはお前を魔王退治という自らの事情に巻きこもうとしたのだからな。わかったか?」
「うん、落ち着けたよ。」
ミレンが苦笑いを浮かべながら再び剣を構える。その目からはもう先ほどまでのむき出しの感情はみられなかった。
どうやらようやく理解したらしい。ミレンが金のもっとも基本的なことを理解していなかったのは嘆かわしいが、正しい知識を身につけるのはよいことである。
「なんだ旅人さん、口では否定されていたけれどなかなかいい仲間をみつけられたじゃないか。」
「黙れ、僕はもうお前の言葉には惑わされない。アドライトの力を借りてお前を倒す。」
ミレンが聖剣をジョンにつきつける。
「へぇ、ならやってみるがいいさ。」
またジョンが姿を消した。極限までひきのばされた時間の中で俺はミレンの背後までまわるジョンの残像を捉える。
間一髪で二人の間に体をさしこんだ俺は眼前に迫る槍の先端に拳をあわせた。
それと同時にジョンの側面に回りこんだミレンが聖剣を一薙ぎする。あらゆるものを切り裂く聖剣を身でうけるわけにもいかないジョンはすぐさま飛びずさった。
後退していくジョンを追撃するように俺は前に飛び出す。
目にもとまらぬ速さで八連撃の突きを放った俺にジョンもまた拳で応えた。無数の打撃の応酬が二人の間にかわされる。
だが、ジョンはそればかりにかまけてはいられない。
「はああぁぁぁっ!」
俺の肩をつかって背後から飛びあがったミレンが、聖剣をジョンにむかって振り下ろす。
突然の予期せぬ方向からの一撃にジョンは目を丸くした。
慌てて横に飛ぼうとするもそれを許さぬとばかりに俺の拳がジョンの胸部に近づく。鈍い打撃音と鋭い金属音が重なりあった。
ジョンが俺たちからすこし離れたところで膝をつく。俺の拳によって鎧の胸元の金属板は粉砕され、ミレンの剣によってその兜は表面が断ち切られていた。
片割れがジョンの足をとめている間にもう片方が損害を与えにいく、即席の連携だったがうまくいったようだ。
いくら伝説の勇者とはいえ、体はあの半端騎士のビンタ女のもの。流石に俺たちの猛攻はしのげなかったか。
俺がそう考えていると、ジョンが顔をうつむけながら笑い始めた。
「……ふ、ふふふっ。いいね、まるで昔の仲間をみているみたいだ。二人で互いに庇いあいながら常にこちらのことを狙ってくる、ほんとうにいい絆だったよ。」
「そうか、ならそろそろ降参したらどうだ?」
「そうしたい気持ちはやまやまなんだけれどね。残念ながら……っ!」
ようやく気がついたか。俺はにやりと笑みを浮かべた。
相手は一人、こちらは二人。彼我の人数に差があるのならこちらがジョンを易々と休ませる時間をとるはずもない。攻撃は続いているのだ。
自らの鎧がすべて黄金に変えられてしまっていることに気がついたジョンが直感で悟ったのかその場から逃げようとする。
だが、無駄だ。
金は鉄の二倍以上の重さがある。ジョンの生前の肉体ならいざしらず、ビンタ女の力ではその鎧から逃れることすらできない。
逃げ出そうとするジョンの背後にミレンがたつ。
鋭く呼吸をしたミレンは一閃、ジョンを切って捨てた。
勇者のもつ聖剣はありとあらゆるものを切り裂くことで有名だ。だが、実はもうひとつの特性がある。
それはありとあらゆるものを切らないでおくことができるというもの。
ミレンは全身の神経を集中させて聖剣を振るう。ビンタ女の体は切らず、その鎧も切らず、ただかつての勇者、ジョンの残滓のみを絶つ。
ビンタ女の体をすっと聖剣がすりぬけた。
ビンタ女の体にはなにひとつ傷がない。だが、しばらくするとその肌から白い靄のようなものが湧きあがってきた。
「……お見事。さきほどまでの無礼をお詫びしよう。今代の勇者にその仲間の修道士よ。君たちこそがこの首飾りを得るにふさわしいものだ。」
聖剣に切り裂かれてもはや形も保てなくなったジョンの魂の残滓がミレンに最後の力で首飾りを手渡す。
「それではこれからの旅路に幸あらんことを願って。先に戦士の館で君たちをまっているよ。」
そして、そのままジョンの欠片は天に昇っていった。
ミレンは手のひらの上の首飾りをゆっくりと身につける。途端、そのボロボロの首飾りの中心にはめこまれた緑の宝石が輝きを放ち始めた。
「ありがとう、アドライト。これでようやく僕はほんとうの勇者になれた。」
まなじりを光らせたミレンが嬉しそうな笑顔を俺にむけてくる。だが、俺には勇者の首飾りなどという些事よりも大切なことがあった。
「知らん、そんなことよりお前もこっちにきて金貨の見定めを手伝え。荒野でさんざん金貨の話をしてやっただろう。」
俺がすぐに宝箱のもとに戻って金貨を物色している姿をみて、ミレンが頬を膨らませる。
「あ~はいはい、そうだったね。君はそういうやつだったね。」
「なにをそんなに腹を立てている? さっさとこっちにきて手伝わんか。」
「嫌で~す。そんなにお金が大切なら全部自分で調べたらどうなんだい?」
ミレンのいうことも一理ある。ひさしぶりにためになることを口にしたミレンを見直しながら俺は宝箱の中に首を突っこんだ。
呆れたように首を振りながら、ミレンはビンタ女のもとにむかっていく。どうやら未だ意識がないのを心配しているようだ。
「むっ、やはり俺の目に狂いはなかった。これはグラテマ金貨ではないか、すばらしい出来栄えだ、惚れ惚れしてしまうな。」
そんなミレンは放っておいて、俺は金貨の物色を続ける。珍しい金貨の宝庫に俺の頬はだらしなくも緩みきってしまっている。
「もしもし。アドライトくん、聞こえるかい?」
そのとき、あのジョンの声が耳もとで聞こえた気がした。
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