第18話
「な、へ?」
ビンタ女の目線が俺とミレンとの顔を行き来する。聖剣を探して北までやってきたビンタ女にとってジョンの言葉は信じがたいものだったのだろう。
「……それで、僕はどうすればいいのかな?」
「簡単だ、君が勇者の名にふさわしいか確かめさせてもらう。とはいっても僕は死人の残滓、正直なところこのままではなにもできない。」
ジョンがゆっくりと床に座りこむビンタ女にむかっていく。
「やぁ、騎士さん。さっきは邪険にあつかってごめんね。突然で悪いんだけれど、その体借りてもいいかな。」
「貴様、なにをっ!?」
霞のようになったジョンがビンタ女の口からなかに入りこんだ。しばらくのあいだ虚ろな表情を浮かべたビンタ女がむくりと立ちあがる。
「うん、騎士と名乗るには貧弱な体だけれどしばらくの間なら問題ないかな。」
どうやらジョンはビンタ女に憑依したらしい。ビンタ女の声で話しながらその片手に握られている槍を振るった。
鋭い風切り音が響き渡る。その槍の冴え具合はビンタ女のそれを凌駕していた。
「それじゃ、始めようか。簡単な話だよ、僕からこの騎士さんの体を取り戻せばいい。君たちが真の仲間だというのなら……、アドライトくんはどうしたのかな?」
なにやら楽しげに語っていたジョンが俺に視線をむけて目を丸くする。なにを驚いているのだろうか、俺はただ単に金貨を漁っているだけなのだが。
「いや、勇者の首飾りが欲しいやつにあなたは試練を課すのでしょう? じゃあそんなものいらない俺にビンタ女やミレンを手伝う道理はありませんよね。」
頭痛でもするのか、ジョンがこめかみを押さえる。
「ねえ、旅人さん。彼は旅の仲間なんじゃないのかい?」
「ええっと、それは……。」
ジョンが俺を横目に見ながら、呆れたようにミレンに問いかける。ミレンは視線をそらして口ごもった。
「そんなわけがないじゃないですか。俺が勇者の仲間だなんて一銭も儲からないやりがい搾取みたいなことをするはずがないでしょう。」
「やっ、やりがい搾取!?」
ジョンのとんでもない勘違いに俺が抗議すると絶句される。勇者なんてものをしている暇があれば下民から金をむしりとるほうが儲かるのは事実だろうに。
「それじゃ、アドライトくんにとってこの旅人さんはいったいどういう存在なのかな?」
いちるの希望を託したかのようにジョンが尋ねてきたが、そんなこと決まりきっているようなものだ。
「こいつは俺の便利な小間使いですよ。なにしろ修道院での宿泊代すら持っていないんだ、俺にはこいつをこきつかう権利があるんですよ。」
「……先代の勇者として忠告させてもらうと、こういう借金みたいなのは絶対にしてはいけないよ。特に相手がこういう聖イグラネウス修道院みたいな変人ならね。」
なかなかいいことを言うではないか、俺だって自分みたいなやつに金を借りようとはしない。骨の髄までしゃぶりつくされるのが目に見えているからな。
ジョンの真剣なまなざしがミレンを突き刺す。ミレンは顔を真っ赤にして叫んだ。
「いや、その宿泊代のことはアドライトの嘘なんだろう! ほかの修道士に聞いたよ!」
「……ちっ、気がついていたのか。」
どうやらミレンは俺の小遣い稼ぎの件について把握しているらしい。もうこれ以上ミレンをこき使えないことが残念でしかたなかった。
「え、ということはアドライトくんはそこの旅人さんを騙して今まで召し使いをさせていたのかい?」
「ええ、でも騙されるほうが悪いでしょう?」
ジョンは俺の答えに黙りこくってしまった。その間にも俺は宝箱の中の金貨を選別する。
数百年前からいっさい手をつけられていないだけあって、貴重な金貨ばかりだ。なかには俺ですら見たことのないものまで混じっている。
さて、どれを持って帰るべきか。
「……君もこっちにきたまえ。」
俺がどの金貨がもっとも貴重なのか決めかねていると、ジョンから話しかけられた。
「はい? ですから俺はまったく無関係だと……。」
「いいや、いくらなんでも君がしたことは酷すぎる。せめて旅人さんの試練ぐらい手伝ったらどうだ。」
なるほど、俺はジョンの言いたいことが理解できた。
俺の言うことをほいほい信じたミレンが悪いとはいえ、すこしの補填ぐらいはしてやってもいいだろうということなのだろう。
「ええいいでしょう。ミレン、俺が寛容な心をもっていてよかったな。」
「……やっぱりわかってないか。まあいい、それじゃあ始めよう。」
俺たちの目の前に普段の様子からは考えられないような存在感を放つビンタ女がたっていた。とはいっても中身はジョンなのだが。
見慣れているはずの甲冑がまるで難攻不落の要塞の城壁のように感じられる。惚れ惚れするほどの美しい構えで、ジョンが息を吐いた。
ジョンが一歩足を踏み出したその瞬間、俺は真横に飛んだ。
ジョンの姿がぶれたかと思うと、一瞬のうちに距離をつめてさきほどまで俺がたっていたところに槍をつきだした。
狙いを外した槍はその背後の石柱にきれいな穴を穿つ。
一息つく間もなく横合いに振り払われた槍が俺を追撃してきた。その槍の長い柄に俺は拳を放つ。
空気がはぜた。
すさまじい力と力がぶつかりあって周囲に衝撃波をまき散らす。お互いに飛びずさって距離を取った俺とジョンは睨みあった。
「……やっぱり、ほんとうに君は厄介そうだね。」
「まさかビンタ女の体でこれほどまで槍を振るえるとはな、さすがは伝説の勇者様といったところか?」
俺がジョンの気をひいている間に背後から忍び寄ったミレンが抜き放った聖剣をジョンに振るう。
「気配がまったく消せていないね。愚かだ。」
だが、ミレンの動きはジョンにはお見通しだったらしい。振るわれた聖剣の刃を片手で掴まれただけでミレンは動けなくなってしまった。
「遥か昔に振るっていたからこそわかる、たしかにこの剣の切れ味は素晴らしいものだ。だけれどね、使い手がそれに甘えて依存しているようでは意味がないんだよ。」
なんとか聖剣をジョンの手から取り戻そうと四苦八苦するミレンの頭上から槍が振るわれる。
それを脇あいから滑りこんだ俺が受け止めた。
すさまじい衝撃が腕の骨に伝わる。神経に伝わる激痛を俺は金貨のことだけを思い浮かべて我慢した。
がら空きになったジョンの腹部めがけて渾身の力をこめた掌底打を放つ。
吹き飛ばされたジョンは遺跡の壁にたたきつけられた。が、そんなものまったく無駄だろう。
余裕の笑みで立ちあがったジョンに俺は苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた。
先ほどの槍を受け止めた腕からたらりと血が垂れる。背後のミレンが息を飲むような音が聞こえた。
「おやおや、旅人さん。まさか勇者になるっていうのに修道士にかばわれていいのかい?」
ジョンがすっと笑みを消して真顔になる。
「それではいけないな。勇者とは人々の希望であり盾だ。けっして自分のかわりに他人に血を流させるような人間ではない。」
「っ!」
ジョンの言葉にミレンが聖剣で切りかかる。確かにその剣術は目を見張るものがあった、ただジョンには遠く及ばなかった。
ミレンの剣閃をすべて軽やかに避けたジョンは槍のひとつきでミレンを俺の足もとまで吹き飛ばす。
みせびらかすように槍を振るったジョンはミレンに語りかけた。
「そういえばアドライトくんの左目、なくなっているね。」
ジョンの言葉にミレンの肩がぴくりと震える。
「まさかと思うけれど、それも旅人さんのせいなのかい?」
「……黙れ。」
「やはり、旅人さんは勇者にはふさわしくないかな。あまりにも弱すぎる。」
「……黙れ、その口を閉じろ!」
ミレンが怒りにまかせて飛びかかっていく。その目には感情がむきだしになっていた。
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